第8話 牧歌的な草原の物騒な一行①

 アルテミス帝国というのは、近年存在感を増し続けている私の住んでいたリングライト修道共和国の東側に位置する隣国である。

 リングライトとアルテミス帝国の仲は険悪という程ではなかったが、独特の緊張感は孕んだ関係性ではあった。

 隣り合った関係にある、勢力を増してる新興国と歴史ある宗教国家、だなんて客観的に字面だけ見てもそこまで仲良しには聞こえないだろう。外交担当の方々の努力によって目立ったいざこざが起こる事もなかったものの、国民同士はお互いの国にやや距離感と若干の拒否感は感じていた。


 そんな訳で本当に微妙な関係の両国同士な訳だが、確かにスパイの一人や二人ぐらいお互いの国で行き来していそうだとは姉様と話していた事はある。

 だがしかし、まさか私の家にアルテミス帝国の人間が潜入しているだなんて、流石に想像が及ばなかった。

 リングライト修道共和国に帰国して、フローティス家に戻ったらまず最初にする事は、父様によるガバガバ使用人採用試験の是正である。


 とはいえ、クルトに関しては私の専属使用人だった訳で、私がしっかりしていれば正体に気づける機会はたくさんあった筈なのに、完全に信用してしまっていた。

 何がフローティス家の門番だ。フローティス家だけどころか、リングライト修道共和国も巻き込むような事案に事前に気づけなかっただなんて、あまりにも不甲斐ない。

 やはり、私ではフローティス家を守り切れない。私より何倍もしっかりしている姉様に頑張ってもらわないと。

 フローティス家に戻ってやるべき事は山ほどある。焦燥感は募るばかりだ。



 しかし、今の私の状況はそんな心中とは反する状況だった。私自身は一刻も早くリングライト修道共和国の実家に戻りたいのに、何故かリングライトとアルテミス帝国の国境に向かう草原にて、クルトによって馬に乗せられ、アルテミス帝国へと連行されそうになっていたのだ。

 あれから移動の最中に、夜が開けていく中で森の中で3時間ほど休憩を取り仮眠もしたが、普段とは違う環境で寝たせいもあってか、あまり調子は良くはない。

 これからの事を考えて鬱々としてしまうのもあり、正直、若干吐きそうだ。



「えー、じゃあ、サーシャ嬢はマフェアの事なんて何も分からないし、アンダーボスってそもそも何? 単なるボスとどう違うの? って感じなんですか? クルセイド様、よくこんな何も知らないズブの素人を連れてきましたね」

「ノーコメント……と言いたい所ですが、お嬢様のご性質上、決して今後についての勝算がない訳ではないのですが、最悪の事態になった場合は責任を取ります。俺の力があれば最悪、徹底的に囲ってしまえば、一生守りきるぐらいなら出来ますからね」

「うわぁ、それってサーシャ嬢にとってはさよなら自由こんにちは監禁みたいな感じですよね? 可哀想に。人権とか色々なものを無視してますよ」

「別に、俺を貴族令嬢を攫うような馬鹿な酔狂をさせるまでに成り下がらせたお嬢様に責任を取って頂こうと思っているだけですよ」

「……いやぁ、俺もまさか貴族のお嬢様にあなたが夢中になるだなんて想像してませんでしたけどね」


 クルトと、オズとあの後名乗ってくれた青年が馬に乗りながら、どうやら私について会話している。

 私はクルトと一緒に馬に乗っているので、背中越しに声が聞こえるが、何だか内容はとても物騒そうだった。

 しかし、私は一切口を挟む気になれないまま、今の状況や今後について考えては鬱々とした気持ちになっていた。


 このままアルテミス帝国に連れていかれてしまっては、恐らくリングライト修道共和国に戻るのはかなり難しくなる。

 かといって、私は昨夜、クルトと約束してしまった。オズさんの命を担保に、今回ばかりはクルトから逃げ出さないと。

 そんな約束を律儀に守る必要もないのかもしれないが、この約束を破って逃げて、それが失敗した場合、かなり酷い目に遭わされそうな予感しかしなかった。

 そして、姉様もいた(いつも遊び歩いているとはいえ)フローティス家の中にて、私達の目を欺き続けてきたクルトを今この状況で出し抜ける気がしなかった。


 自分の気持ちとしてはクルトから今すぐ逃げ出したい所だが、今は冷静に状況を見極めて、情報もなるべく引き出して、十全に機会を見計らってからの方が良いのかもしれない。

 ……味方も一人もおらず、マフェアだという男たちに囲まれているこの状況に臆病になっているのもある。私は元来、そこまで気が強くはない。

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