第2話 真夜中の情動
クルトは自分の発言で動揺した私を見て、本気で不思議そうに首を傾げる。
「今の発言のどこにそんなに驚かれる要素が?」
まぁ確かにクルトには分からないだろう。この「可愛い」だって、言葉の文脈や状況的にからかう事を目的で言われたのかもしれないのに、私が過剰反応しすぎているというのはある。
流石にクルトには私が何故こんな風になっているかについては言える訳がないけれど。
クルトはひとしきり疑問そうな表情を浮かべていたが、「ああ」と納得したような様子で呟く。
「ひょっとして、お嬢様は俺に可愛いと言われて驚いてるんですか? 俺がそういう事を言うタイプではないから、と」
クルトのこういう一切の遠慮なく、核心の部分を一刺しで突いてくる所は変わらないな。
「違う絶対に違う。そんな訳ない」
私は猛烈に否定した。勢いよく否定しすぎて、逆に嘘くさくなってしまった。
クルトは「へぇ」と感情の読めない、何ともいえない表情になる。
「俺に可愛いと言われると、お嬢様はそんな顔をするんですね」
「う、だから別にその事は関係な……」
「お嬢様のそういう所を、この国から去る前に知れて良かったと思いますよ」
……クルトがこの国から、去る?
私は頭が真っ白になる。一拍置いた後に続いて出た声は、自分で驚く程に掠れたものになってしまった。
「……クルト、この国からいなくなっちゃうの?」
「はい、残念ながら、お嬢様とはひと時のお別れです。俺のこの国での「仕事」が終わるので、母国に帰らないといけなくなりまして。俺は母国ではそこそこ重役についているので、いつまでもここに居れる訳ではないんです。お嬢様と一緒にいられなくなるのは残念ですけどね」
「……っ!」
クルトは本当にいなくなってしまうつもりなんだ、という胸を切り裂くような感情と、クルトは一体どんな意図で今まで私の専属使用人をしていたのだろうという思考で頭がいっぱいになる。
「お嬢様には最後に俺があなたの思うような安全な男ではないという事を、知ってほしかったんです。あなたが見ていた俺はただの虚像です。本当の俺は、あなたが信頼を置く事の出来るような男じゃない。もし今でもあなたが俺を頼れる専属使用人だと思っているのだとしたら、今すぐそういった希望を抱くのはやめてくださいね」
クルトは、私に使用人としてお茶を勧めてくれたりした時と同じような軽やかな口調で、何でもない事のようにそう言った。
理解が追いつかない部分はあるが、クルトが言う「仕事」とは私の家で使用人として潜入する事で何かをしていたという事、それが恐らく裏で暗躍するような怪しいお仕事だった事は何となく察せてしまった。
我が家は使用人を雇う時、これまでの経歴をあまり見ずに父様が人柄で選んでしまいがちなので、正直なところ危険なバックボーンを抱えた人間が入ってきてしまったらどうなってしまうんだとは思っていたが、恐らくその不安が的中してしまうとは。でも、それがよりにもよって信頼していたクルト相手にとは、私も予想できなかった。
「クルトが、どういう経緯で私の屋敷へと来たのかは分からないけど、あんまり表では言えない事情でこれまでクルトが動いていた、という理解で良いの?」
「……はは、いつも冷静なお嬢様らしいご反応で。お嬢様のそういう取り乱さず理性的に物事を見れる所は、結局この期に及んで変わってはくれないんですね」
そういうクルトは本当に残念そうだった。
本当に私が取り乱す所を見たくて、こんな行動に走ったのだろうか。私の前からいなくなるのなら、黙っていなくなる方がきっと彼にとっても安全だっただろうに。
「別に私は冷静でも理性的でもないわ。さっきクルトが言ってた通り、結構短気だし」
「俺が言いたいのはそういう事じゃない。俺は、お嬢様が強い感情に駆られる所を見てみたいんですよ。俺はお嬢様のようにいつも平静でいられるような人間ではないので、あなたの本音の部分の気持ちにいつか少しでも触れたかった。それが、結局叶いそうにないのが本当に残念ですが」
「クルトも結構いつも自分を律してるイメージがあったのだけど」
「仕事の時まで感情的な自分は持ち込みませんよ。俺は一応、公私混同はしないので」
その「仕事」が私の専属使用人としての仕事なのか、クルトが裏でやっていた仕事の事を指して言っているのかは分からなかったが、そこは大きな問題ではない。
でも、今の話の中で私の琴線に触れた部分は正直あり、私はクルトが言う程自分の感情を律せる人間という訳ではないので、思ったままの事を口に出して言ってしまっていた。
「待ってよ、私の事を感情を見せないなんて言っておいて、クルトも今まで本当の自分を大して見せてくれていなかったって事じゃない?」
「だから言ったでしょう、今までの俺は全部虚像だと」
クルトは自嘲するように笑う。それはどこか他人事のように話しているように見えて、そこも正直ちょっといらっとした。
私が恋したものはそんな嘘だらけのものだったと? そんな事を言われてしまったら、私のこの気持ちはどうなるの。
私は息をすうと吸い込み、ほんの少しの勇気を出して一息に告げた。
「言っておくけど、私だって本当のクルトともっと話したり、接してみたかった。私は……クルトの事が好きだから」
私はそう言って、クルトの隙をついて彼の唇に自分の唇を押し当てた。
クルトがいなくなるのなら、私はせめて、最後に自分のどこにも行くあてのない恋愛感情のお葬式をしたいと思ったのだ。
……好きな人とのキスって、こんなに柔らかくて気持ちいいんだな。この感触をずっと覚えておけたらいいのに、だなんて一方的に唇を奪っておいて、あまりにも都合のいい事を考える。
私は数秒触れるだけ触れた後、すっと唇を離した。
これを大事な思い出にして、今後はクルトへの恋心は封印して生きていこう。
家の為に政略結婚をして、伯爵令嬢としての責務を全うする。それが私の一番の望みではあるんだから。
でも、本心を言うのなら、こんな形じゃなく、正面からクルトに告白できるような立場の女の子に生まれたかったな。
……いやいや、クルトも表には出ないような仕事を隣国までしにきてるような人間なんだから、例え平民に生まれていてもこの気持ちは叶わない気もしてきた。どっちみち詰んでるだなんて、泣ける話である。
「……なんて事を、してくれるんですか?」
クルトは震える声で私を責める。囁くような声量だったけど、その声はしっかり私に届いていた。
私はキスをした後に俯いてしまいクルトの顔を見れていなかったが、彼は私の事を嫌いになるに違いない。突然恋人でもないのにキスしてくるような女、普通に気持ち悪い。
でも、そうする事で少しでも思い出に残れたらだなんて思ってしまう時点で、私は重症だったし、恋愛感情で頭がおかしくなっていた。
しかし、クルトの反応は私の予想からはあまりにも逸脱するものだった。
「こんな事をされたら、このままあなたとお別れする訳にはいかなくなるじゃないですか」
そういうクルトの声音はどこまでも冷たいのに、どこか熱情を感じられた。
「え?」
クルトは突然さっと取り出した怪しげなハンカチを私の口元に当てた。
激しい戸惑いののち、私の意識は数秒後に酩酊する。
「あーあ、何やってるんだ、俺……こんなどう考えても悪手にしかならない事をするなんて」
「……クルト……?」
「お嬢様、申し訳ございませんが、あなたには俺のものになってもらいます。運が悪かったと思って諦めてください」
クルトが何だかすごい事を言っていた気がするが、言葉をきちんと理解できないまま、意識が手放される。
そうしてこの日、私はクルトに隣国へと誘拐された。
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