伯爵令嬢の私、マフェアに執着され結婚前夜に誘拐されて泣きそうです

鯖缶ひな

第1話 思わぬ結婚前夜

 私、サーシャ・フローティスは現在、人生の中で一番のピンチを迎えているかもしれない。

 本来なら明日結婚を控えている伯爵令嬢として、幸せと少々の苦しさを抱えつつ、実家で過ごす最後のティータイムをする筈だった。


 それが今、私は今までずっと信頼していた専属執事のクルトに何故かベッドの上で組み敷かれている。

 ……何がどうしてこうなったのだ!?


「ありがとうございます、お嬢様。あなたのお陰で俺はこの国の仕事を無事に遂行する事が出来ました」

「し、ごと……!?」


 クルトはサファイアのような青い瞳を妖しげに煌めかせ、いつもの彼らしくない皮肉げな笑みを浮かべた。

 いつもは一人称も「私」と言っているのに、「俺」になっている。何故。


 私はこの状況にどう対処していいか分からず、冷や汗が止まらなかった。

 寝る前にいつも飲んでいる、ルイボスティーを私の部屋に運んできてくれたと思ったら、急にこれだ。一言二言、普通に言葉を交わしたと思ったら、目にも止まらぬスピードで私を押し倒してきた。

 何が起こったのか、私には本当に一切理解できていない。


 どうする? 助けを呼べばいい? 試しに大声で叫んでみる?

 いやいや駄目だ! そんな事をしてしまえば、クルトは捕まってしまう。

 彼には出来たら酷い目にあってほしくない。


 ここはどうにかクルトと交渉して、穏便な方向性に落ち着けるよう対処しなければ……!

 頭の隅にちらりと「自分、呑気すぎないか?」という思考が浮かんだが、今の所この気持ちを曲げるつもりはなかった。


 でも、彼は何が狙いでこんな事をしているのだろう。そこをはっきりさせないと、対話しようとしても思いっきり滑るだけな気はしてる。

 ううん、素直に言ってくれるかは分からないけど、一応聞いてみようかな。


「クルト、あなたはどういうつもりでこんな事をしているの?」

「はは、あなたのその澄まし顔を崩してやりたいなと思ったんですよ。でも、突然使用人にこんな無体を働かれても、あなたはあまり動じませんね。もっと面白い顔をしてくれれば良かったのに」


 ものすごく無駄に挑発的だ。いつも私に穏やかに接してくれていた優しいクルトとは思えないような発言なんだけど……!?


「何だか今のクルトは刺々しい感じがするわ」

「場の雰囲気にあまりにもそぐわない事を言うんですね。お嬢様がここまで平和ボケしているとは俺も想定外でした」


 自分でも自身の事を正直呑気だとは思ってはいたけど、クルトにまでそんな感じの事を言われてしまった。

 流石にちょっと悔しいな。思わず言い返してしまう。


「確かに平和ボケしてるのは否定しないけど、こんな事をしてる張本人に言われたくないわね」

「お嬢様は意外とすぐにムキになりますね。そういう所も可愛いと思いますよ」


 ……か、可愛い!?

 あれだけ私にも女性の使用人にも徹底して気を持たせるような事を言わず、どこか一線を引いていたクルトが、私に、可愛いって言った……?

 絶対に女性に異性に対してのお世辞の類の言葉を投げかけなかったクルトが!?

 さらりと爽やかな笑み交じりで言われたその言葉に、私は瞠目した。

 正直、急に押し倒された事より、そちらの方が衝撃は上だ。

 

 私がその事に驚きだけでなく胸の高鳴りも感じている事に、苦々しさをおぼえた。

 こんな危機的な状況でよくときめけるなという気持ちもあるが、それ以上に封印した筈の自分の気持ちに目を向けざるを得ない事に、嫌気がさしていた。

 ……違うの、駄目なの。伯爵令嬢である私は明日、親の決めた相手と結婚して、幸せにならないといけないんだから。

 家の為に結婚しないといけない私が、平民出の使用人に恋するだなんて、決して許されないのだ。

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