10日目

 二日酔いで目が覚めた。月曜の朝としては最悪の目覚めだ。

 冷蔵庫のミネラルウォーターでカラカラの喉を潤し、冷水で顔を洗って、気分をしゃっきりとさせる。

 そこで、どうしても奴のことが気になる。


 リビングに入り、部屋の隅の飼育ケースに顔を向ける。

「……」

 テーブルの上には、昨日取ってきた虫の入る虫カゴが置いてあった。中では虫たちがざわざわとしていたが、そこそこの数がすでに死んでしまっている様だ。どうせ死ぬなら、昨夜餌としてあげてもよかったかな、と思ったが、すぐにあの凄惨な光景が蘇り、体がぶるっと震えた。


「金は…、ないか……」

 期待していたわけではない。それでも初めに確認してしまうのは、人のさがって奴ではないだろうか。

 ゼリーはいつものように空になっていたので、それだけ交換して、後は放っておいた。

 朝食は駅で立ち食い蕎麦でも食べようと、身支度を手早く終えて家を出る。カブクワムシに対する恐怖感が、少しでも早く家を出たいと思わせたのかもしれない。


 その日は酒が残っていた事とカブクワムシの事で仕事に集中できず、何度かミスをするという散々な一日だった。

 晩御飯は外で済まし、お酒もと思ったが、明日も二日酔いで仕事に影響が出てはいけないのでそこは自重した。それでも、家には帰りたくない気持ちがあり、意味もなく駅前の街中を散策し、更には家の近所もぐるぐると歩き回って、時間を潰した。しかし、帰らないわけにはいかない。意を決してマンションへの帰途に就いた。


「……」

 玄関の扉を静かに開ける。まるで他人の家に忍び込むように音を立てずに中に入った。

「はぁ~」

 ため息を一つつき、靴を脱いで廊下を進む。

 リビングに入り、明かりをつけたところでとある異変にすぐに気づいた。

 テーブルの上に置きっぱなしにしていた虫カゴが壊されていた。そしてその周囲に散らばる虫たちの残骸……

「な――」

 言葉が出ない。何が起こった?


 いや、奴しかいない!


 部屋の隅の飼育ケースを見る。――蓋が開いていた。更に、周囲には空になった昆虫ゼリーの容器が散らばっている。見るとケースの横に置いてあったゼリーの袋が倒されいる。恐らく残っていた昆虫ゼリーはすべて喰われしまっただろう。

「奴は――?」

 恐る恐るケースに近づく。蓋を拾い上げ、ケースにはめる。そこで、更にまだ半分ほど残っていたミルワームの容器も床に転がっているのに気づいた。中のフスマがこぼれだしていたが、ミルワームの姿はない。どうやら全部食べてしまったようだ。

「くそ、いるのか、この中に?」

 ケースを持ち上げて、下をのぞく。それらしいものは見えない。そこで、ケースを斜めにしておがくずをずらして、中にいないか確かめる。

「いない?」

 確実ではないが、マットの中にカブクワムシがいる気配はない。

 では、どこに――?


 ガタッ!


 音がした。体がビクッとなる。


 いる、奴がいる――


「どこだ?」


 ガタガタ!


「!?」

 キッチンだ!


 足音を忍ばせ、キッチンへと向かう。


 ガサゴソガサゴソ……


 いる、奴がいる! 冷蔵庫だ!!


 リビングから漏れる明かりに照らされたキッチンの中、奥に見える冷蔵庫の扉が壊されていた。野菜室と冷凍室も開け放たれ、その中から音がする。


 どうする? そうだ、虫とり網が――


 そう思った途端に、開け放たれた冷凍庫から奴が姿を現した。


 ブーン……


 大きな翅音と共に、宙に浮かび上がる黄金の姿。


「うっ…!」

 複眼に睨まれ、金縛りにあったように動けなくなる。


 下手に動いたら、られる!


 そんな思いが体を固くしたのか、それとも奴に敵を居竦ませる能力でもあるのか?


「……」


 無言のにらみ合い。そうして、どれぐらいの時間が流れたのか。長い、数分にも感じたが、実際は十数秒ほどだろうか、唐突に奴の体が輝きだした。


「何だ、うっ――」


 黄金の輝き。光度が徐々に増していき、直視できないほどになる。


「う、眩しい……」

 目を細め、手をかざしてて光を遮るが、それでも眩しくて、顔をそむける。その時、


 ドカッ!


 何かが床に落ち、大きな音を立てる。微かに地響きするほどの重いものだ。

「なんだ――?」

 音の場所を細めた目で見る。

「な――」

 息をのむ。そこにあったのは、黄色の物体――寸前まで見ていたカブクワムシそのもの。

「まさか――」

 死んだ!? いや、そんなはずない。今もまだ光がある。なら、それは――

「脱皮したのか!?]

 宙に浮かぶ光源に再び視線を向ける。

 光の色がいつの間にか変わっていた。金色から白い光に。

「……」

 見ているうちに光が徐々に弱まっていく。そして、その向こうに現れたのは、白銀、いや、虹色に輝くカブクワムシの姿。大きい。二十、いや三十センチはあるだろうか。


「――――」


 美しく、威厳のある姿に圧倒されて、息をするのも忘れる。

 宙に浮いたままこちらを見つめるカブクワムシ。翅は開いているが、羽ばたく音がしない。その大きさならかなりの音がするはずだが無音だ。風圧も感じられない。その姿は重力を無視して文字通り宙に浮かんでいる様だ。


 なんなんだ、この生物は?

 遺伝子操作のキメラとかそんなレベルじゃない。未知――そう地球上のあらゆる生物からかけ離れている。では、何か?


 地球外生物――エイリアン!


 そんな考えが頭に浮かんだ時、再び目前の生物が輝きだした。今度は虹色に。

 その光を見ているうちに意識が徐々に遠のき――


 気を失った……


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