A-side 5-3
「和音がシナプスを見ることができるようになったのは、幼稚舎の年長くらいの頃だろう」
「何でそんなことわかるんだよ」
「父さんはミクログリアの研究者だよ、ミクログリアの生態についてわからないわけがない……というのは嘘だ」
納得しかけたのも束の間、一要はご機嫌に何度も頷く。
「ちょうどその時分に、僕の研究室から“ミクログリア導入剤”が一錠消えるという事件があってね、どんなに探しても見つからなかったんだがそれもそのはずだ、僕が必死に探していたときにはもう、和音の体内にあったのだから」
「ちょっと待て、何の話をしている」
理解が追い付かない。ミクログリア導入剤とは、何だ。
「可哀そうに。ずっと自分が超危険生物だと思い込んで苦しんでいたんだね」
眉根は憐れむように八の字を描くも、口元には笑みが零れ溢れている。
「笑ってばかりいないで洗いざらい話せ。更紗のシナプスのことも、俺の身体のことも、ミクログリアに関する一連のことお前の知ること全てを」
思案する様の後、首を傾げてみせる。
「再三言ってきたけれど、僕が研究の過程で知り得たことは国の重要機密だ。いくら息子といえども、簡単に規律を破って話すことはできない」
予想通りの台詞を返され、言葉に詰まる。案の定ではあったが、かといって現時点の和音に有力な打開策があるわけでは残念ながらなかった。次なる一手を模索して脳をフル回転させながら、唇を鉄の味がするほど噛む。
「規律を破ることはできないが、規律に従うことはできる」
そう言いながら一要は幼子をあやす様に優しく優しく和音の頭を撫でた。浮かべる微笑みは先ほどとは打って変って慈愛に満ちており、和音は更に困惑するばかりだ。
「本当なら、服用前にインフォームドコンセントとしてする話なんだけどね。飲んでしまったものは仕方がない、順番は逆だが、“ミクログリア導入剤”についての説明をしてあげよう。これは寧ろ、説明しなければならないというのが規則だからね」
和音の中で新たに湧き上がる疑問―――これらの規則は、一体誰が決めたのか。
しかし今は、ようやくありつけた目の前の答えに鼓動が早まっていた。
「恐らく和音は幼児のときに勝手にこの部屋に入って口に含んでしまったのだろうが、その薬は本来、現制度でいうところの第一類シナプス特別強化生出身の女性が妊娠した時に投与されるものだ。勿論これは義務ではなく、一類シナ生の特権のひとつだよ。子どもができた時、夫婦はこの国の真実を知ることができる。知り、そしてその歴史の一端を担う権利が与えられる」
「この国の真実……」
和音とて幼稚舎から一類シナ生として生きてきたエリートのひとりだ。日本の歴史は一通り頭に入っている。そのどこに、ミクログリアが関与していただろうか。
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