A-side 5-1

 自宅まで送り届けてもらうなり玄関に鞄を放り投げ、すぐに階段を駆け下りる。自宅でありながら、和音は滅多に地下室に入ったことがなかった。何故ならそこは、

「あぁ、おかえり」

 ―――一要の研究スペースだったから。

「更紗ちゃんの様子はどうだったかい」

「父さんは、シナプス再生院にいたのが更紗だと何の疑いも持たないんだな」

「それはだって、更紗ちゃんのお母さんとお話した時にそう言っていたから。娘は千葉県のシナプス再生院で保護していただいているみたいでって」

 言い分に違和感は無い。しかし、一要のその態度を以って和音の中で疑念は確信へと変わる。

「更紗がミクログリア被害に遭った件について、何か知っているだろ」

「和音がこの部屋に入ってくるなんて珍しいから、更紗ちゃんのことについて治療法なり対応なりのアドバイスを求められるのだろうなとは予想していたけれど、その訊ね方を鑑みるに、まさか実の父親を疑っているのかい」

「俺だって、疑いたくはない。でもどうしても、一度思い浮かんでしまった疑念を振り払えないんだ。更紗がシナプス密度順位一位であると知った時のシナプス再生院の職員たちの反応からして、やはり更紗ほどのシナプス密度をもった人間がミクログリア被害に遭うなんて普通じゃない。それなのに、ミクログリア研究者で誰よりもミクログリア被害事例にも詳しいはずの父さんが、今回のことをすんなり受け入れているのは不自然だ。それに更紗が居なくなったのと同じ日に、全国統一シナプス検査が行われた。これを偶然だとは思えない。シナプス研究員たち、少なくとも父さんは、更紗の事件について何らかの情報を持って――」

 その時、一要の背後の机上に目が留まり、言いたかった物事の全てが、それまで考えていたことの全てが、思考から消え去ってしまう。真っ白になった脳内に「何故」という文字列だけが次から次へと並び連なり、薄くなった酸素に喘いで生体反応としての反射が新たな息を吸い込む頃には、思考回路が黒々と染め上げられていた。

「なあ父さん、」

 声が震える。涙を堪えるのに必死だった。必死でも堪えきれずに、大粒の雫が頬を伝う。

「父さん、何でここに、そんなものがあるんだよ」

 指を差す。

 机上に置かれた、一辺約二十センチの白い箱を。

「僕の研究に興味を示してくれたことは嬉しいけれど、これはまだ研究途中のものだから詳しくは話せない」

「お前の研究なんてどうでもいいんだよ!!」

 叫んでいるのに、全く届いている気がしない。近くにいるのに、遠い。

「俺が言いたいのは、何でそこに、更紗の配置とほぼ同じシナプスがあるのかってことだ」

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