B-side 1-3

 資料にもう一度目を落とす。氏名欄、その他個人情報を記載すべき部分は全て空白になっていた。てっきりまだデータベース検索が終わっていないだけだと思っていたのだが、本当にデータベースに存在しないというのなら、それは植田がシナプス再生院で働き始めてから初めての事例ということになる。ミクログリア関連の知識は一通り頭に入っているつもりだが、類似するような症例も記憶にない。

「タグを未所持だったということなら、ちゃんと顔認識とか条件検索とかもして、それでも無いの?」

 こくりと頷き項垂れる。自分より長身の人間が顔を俯けると、こちらからはその情けない表情が丸見えになってしまうから、少々居た堪れない。

「タグを含め、持ち物に身分証となるようなものは一切ありませんでした。恐らくミクログリアにより奪われたのだと思われます。顔認識、条件検索ともに試みましたが、一致する人物は居ませんでした」

「それは特定公開データ内で検索したのよね」

 金本と丹原が息をのむ音。

「それはつまり植田さんは、公開データ外に彼女のデータが入っていると考えていらっしゃるということですか」

 言霊を信じているわけでは無い植田だったが、それでもその可能性をはっきりと口に出して肯定してしまうのは躊躇われて、重い沈黙にのしかかられた。

「……身元不明の件は、私が何とかするわ。皆は患者を快復させることに専念して」

 空気を変えたくて、会議室を出る。そのまま金本、丹原と共に一号室へ。ベッドには資料で見たよりも更に幼く見える小柄な少女が横たわっており、静かに寝息をたてている。この施設で患者用に貸し出しているジャージを着用しており、既に身綺麗だ。透明な肌はきめ細かく健康的で、若々しく見せる要因のひとつになっていた。

「こちらの患者さん、何と呼称したら良いでしょうか。便宜上のお名前が無いことには業務がし難いと思うのですが」

 丹原からの提言は的を射ている。食事も衣類も、当院では患者の氏名と部屋番号で管理されている。それだけなら一号室という数字だけでも事足りはするのだが、リハビリ中の呼び掛けが番号というわけにもいかないだろう。

「とりあえず、未知さんとかで良いんじゃない」

「そんな、適当過ぎませんか」

 金本にはげんなりされたが、もう考えることに疲れていた植田は問答無用で、資料の備考欄に『仮称、未知』と書き加えて丹原に手渡した。

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