30、コーヒー

 ふと、「あ、このコーヒー美味しい」と思うことがある。


 コーヒーへの造詣が著しく浅い私は、何を以て美味しいというのか、全くわからないのだけど、たまに確かに、美味しいと感じることがある。

 淹れ方、豆、当たり前だけどそれが大事なのだろう。


 美味しい、と感じた時。確かに幸福で満ち足りた時間を過ごしている。

 だから、自分で美味しいコーヒーを淹れられた方が、絶対に良いに決まっている。

 けれど、ここで私の妄想スケートが始まる。

 もし仮に、今の私が多少の知識を得て安定した美味しさのコーヒーを作れるようになったとしよう。

 すると、きっと前まで感じていたコーヒーの美味しさのありがたみを忘れ、確かに美味しくなったコーヒーに対して特に何も感じなくなってしまうだろう。

 そうして惰性でコーヒーを飲んでいる自分にいずれ気づき、このままではいけないとより美味しいコーヒーを淹れるための知識を仕入れる。おそらくコーヒーミルも買うことになるだろう。ありとあらゆるフィルターをかき集め、抽出時間やフィルターでの風味の違いを探るだろう。

 アマゾンや楽天でありとあらゆるコーヒーにまつわる便利グッズを漁るだろう。そうして幾つかのアイテムの便利さに夢中になり、棚から溢れかえる頃に「紙フィルターでいいよね」となるだろう。

 そうして長い時間をかけ、究極の美味しいコーヒーを生み出し、コーヒー界隈で知らぬものの居ない傑物となった私はいずれコーヒーの雑誌か何かでインタビューを受けるだろう。


「あなたが、世界一美味しいコーヒーを淹れるコーヒー仙人であることは皆知っています。そこであえて聞かせてください。今までで一番美味しいと感じたコーヒーは?」


 それに私はこう答える。


「八十年くらい前に、たまーに上手く淹れることができたコーヒーがね、本当に美味しかったんですよ」


 スケート終了。

 つまり、今日たまたま良い感じに淹れられたコーヒーが、世界一美味しいコーヒーなのだ。


 

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