第二十四話  黄金を凍らせた少女の話

 虚をつかれたように、フランが呆ける。


「……は?」


 フランが立ち直ったのはそれから五秒後だった。

 首を振って否定する。


「い、いえ、そんなことはありません……好きか、といえばそうでもありませんが……お金になるので、特段嫌う理由もありません」


 続いた言葉は、彼女らしくもない早口だった。


「炎上配信は、単なる気紛れでございました。報道番組で宣伝する、きっかけのネタがほしいだけならば、自分でネタ作りをすれば、外注するより安く済むと、思っただけだったのです」


「自覚がないなら重傷だと思うがな」


 見え透いた建前を一言で切って捨てる。


「クロンダキアを焼いた後炎上商法について少し調べたが、あれは知名度も失う物もない弱者の戦法だ。コールドゴールドほどの企業がやるのはリスクがデカい。そもそも報道番組を支配してるならネタなんかわざわざ用意しなくてもどうにでもなるだろうし、安く済ませたいって割には変な連中に三百万渡してたのも不可解だ」


 だからずっと違和感があった。何かちぐはぐな気がしていた。

 俺でも気づくような作戦の瑕疵。わずか数年で大企業を作れる賢い人間が気付かないわけがない。


 気付かないようにしているわけでもない限り。


「それは……」


 フランは言葉を失った。自分の行為の意味が、本当にわかっていなかったらしい。


「観光客扱いにひどく不満そうだった理由も今ならよくわかる。クオンとマジョリオ……【カーテンコール】の冒険譚が大好きなら、迷宮を笑える観光地として消費するような扱いはそりゃ不愉快だろうな。……迷宮観光のパイオニアが迷宮観光嫌いってのは皮肉だが」


 クオンとマジョリオの冒険譚はデタラメだらけでメチャクチャだが、そこには確かに危険と浪漫と冒険が書かれていた。それは安全な観光や快適な配信とは対極にあるものだ。


 だから、自分でも気づかないままに、誰にも気付かれないように、観光者や配信者を傷つけ貶めようとしたのだろう。

 気にくわない相手を滑稽な動作で真似るように。


「……」


 フランは俯き黙りこくった。


 傷つけてしまったかと、少し胸が痛んだ。悪意で炎上配信そんなことをしたなんて、察しても直接指摘するものじゃない。


 だが俺は彼女と話すと決めたのだ。今更日和る選択は取らない。

 ……そう思っていたせいで、次の言葉を早まった。


「あんたにとって金が大事なのはわかった。自己防衛のために金を集めるのは当然の考えだし、この国の過酷な環境を考えればあんたは間違いなく正しいことをした。

 が……もう、無理しなくてもいい程度には稼いだんじゃないか? この国は今もいい国じゃないが昔よりはマシで、あんたには大量の金と特異物がある。命や尊厳を脅かせるやつはそういない。

 迷宮をコンテンツとして消費するのが許せない程、大切な夢があったなら……金のことは今だけ脇に置いて、少しだけそれを追いかけてみても……」


「何がわかるのですか」


 声を遮られたと思った瞬間、挑みかかるように襟を捕まれた。


「あなたに何がわかるのですか! わたくしが……どんな気持ちで……夢も心も凍らせてきたと……!」


 剝き出しの激情がたたきつけられる。フランは感情を爆発させるように叫び続けた。


「そうです嫌いでございます悪いことでしょうか!?

 迷宮にゲームを持ち込むクソガキが嫌いです!

 迷宮で自撮りを撮るバカ女が嫌いです!

 迷宮で飲み会を開くバカ男が嫌いです!

 迷宮のことを公園だと思っている老害が嫌いです!

 迷宮動画で小銭を稼ぐイナゴ配信者が嫌いです!

 世間がそうなるように仕向けた自分が大っ嫌いです!

 クオンとマジョリオの冒険に泥を塗る者は、皆まとめて死ねって思っています……!」


 一息にそう叫んで、その後、フランは風船がしぼむようにうなだれた。


「……ずっと、冒険者になりたかったのです……」


 ぽろぽろと、俯いたフランの口から本心が涙のようにこぼれだす。


 最初はありふれた話だった。幼い頃、お姫様よりも大冒険に憧れた。ほとんどの幼児がそうであるように、伝説の冒険団【カーテンコール】のクオンとマジョリオの冒険譚に胸を躍らせた。

 ほとんどの文字は二人の冒険譚で覚えた。何度も何度も読みすぎて、いつの間にか口調が移ったりしたが、それでもよかった。

 見たこともない土地、見たこともない色彩、見たこともない生物、消された歴史、隠された秘密、歪められた真実、想像するだけで楽しかったそれらを、自分の目で見たいと思い始めるのにそれほど時間はかからなかった。

 有用な迷宮が各国に占拠されている今、冒険者を職業にするのは厳しいとわかっていた。でも、夢を追いかけた。

 お金がないというだけで、兄や姉が惨たらしい最期を迎えるまでは。


「喜びも、大好きな夢も憧れた浪漫も、現実のお金の前には優先できないのです……! だってわたくしは、はした金と引き換えに食べられて死んだ人たちを何人も知っているから……! 『お金のために何でもする』ってことがどれだけ怖いか知ってるから!」


 彼女の声は震え、言葉が途切れがちになっていた。


「だから、だから……! いつか夢見た大冒険にはほど遠い、観光、配信、バカみたいなお遊びでも……お金になるならそれでいいと……! 心なんていくらでも凍らせると……! そう、決め……たのに……」


 フランは顔を上げ、こちらを見つめた。その目から何粒も何粒も涙が零れ落ち、冷たく乾いたコンクリートの染みになる。


「……どうしてまた、素敵な夢を見せたのですかぁ……」


 彼女はふら、ふらと二歩、三歩後ずさりした。

 糸が切れたように崩れ落ち、小さく蹲る。声を押し殺すように、顔を膝に埋めた。


「……ほんとはわかっているのです……もう十分すぎるくらいに稼いでると。お金はたくさんあるから、【食人華】も死んだから、もう姉さまがゴミ袋の中から見つかることも、食べ残された兄さまを拾い集めることもない、と……」


 フランの肩が小刻みに震えていた。


「でも……どれだけ稼いでも不安が消えないのです……! どれだけ理屈を並べても、心が聞いてくれなくて……心を凍らせて、お金を集め続けないと、もう、まともに息も出来ない……」


 夜の川辺に、フランの嗚咽が静かに響いた。俺は黙って彼女を見つめ、言葉を探す。

 風が冷たく二人の間を吹き抜け、フランの髪を揺らした。俺は深く息を吐き、ゆっくりとフランに近づき、彼女の傍らにしゃがみ込む。


「……あんたの気持ちも考えず無神経なことを言って、悪かった」


 頭を下げる。


 特異物に保証されている通貨の価値など大したものではないと今でも思っている。

 だがそれは迷宮の申し子とでも言うべき強者の視点だ。迷宮の恩恵を受けられない弱い立場の人は俺と全く違う現実を生きている。

 ああ、今もわかっているようでわかっていないんだろう。俺はいつもコミュニケーションエラーばかりだ。


「だけどな、フラン」


「…………」


 俺は今、彼女の生暖かい傷口に触れている。下手なことを言えば全ての関係を切られる。

 それでも口にする。


「それでも両立はできるんじゃないか」


「……」


 フランは答えない。ただ、聞いてはくれているようだった。


「なぁフラン。クオンとマジョリオ、【カーテンコール】の冒険譚はこの百年で何冊売れた?」


「……約3億4500万冊……」


 フランはうずくまったまま、けれど正確な数を述べた。


「百年前の冒険譚がそれだけ売れるのなら……迷宮の冒険の生配信にも、それくらいの金を稼げる可能性はあるはずだ


「……迷宮配信が、カーテンコールの冒険譚に及ぶわけが……」


「及ぶも及ばないもないだろ。本だった冒険譚が動画の形になるだけだ。それともあんたは、カーテンコールの冒険は動画だったらゴミ同然だと言うわけか?」


「そんなことは……ありません」


 フランは泣きはらした顔を上げ、鼻をすすりながらもきっぱりと否定した。


「勿論配信の収入だけでコールドゴールドの利益に勝てるはずもないが……たった三年でコールドゴールドを育て上げたあんたなら、迷宮配信をいくらでも金儲けにつなげられると俺は思ってる」


「…………」


「俺はなフラン、凍った心は無理に溶かす必要もないと思うんだ」


 俺はしゃがんで、フランと目線を合わせる。


「この世には燃える氷がある。メタンハイドレート……メタンの分子と水の分子が絡まって、冷たいまま燃え盛る、まるで特異物みたいな氷だ。

 ……あんたもそんな風に、凍ったまま燃えればいい。いつかその強迫観念がいつか自然に溶けるまで」

 金儲けと夢の両立……名実ともに世界一の実業家、【コールドゴールド・レナ】なら、それくらいできるはずだ」


 きっと迷宮配信の需要は尽きない。

 この世ならざる異常な力が支配するこの世界で、力を持たない一般人の命は羽よりも軽い。だから、誰もが夢を見たがっている。

 だから、結局やるかやらないかというだけなのだ。


「……」


 フランは再び顔を膝にうずめる。その息遣いだけが、彼女の葛藤を俺に伝えていた。


 都合がいいことばかりを並べ立てた自覚はあった。

 危険を冒さずに稼ぐだけなら、間違いなく現状維持を続ける方がいい。リターンがあっても、リスクに見合うかはまた別の話だ。


 けれど……自覚がなければ怒り起因の炎上配信すらやろうとする彼女だ。

 建前さえ作ってしまえば、きっと、こちらに来てくれるはずだと、信じる。




 不意に。きぃん、と。音が聞こえた気がした。


 B国北部の戦線で、耳慣れた音だった。


「嘘だろ!?」


 咄嗟にフランを抱えて川の対岸に飛ぶ。一秒後、俺たちの立っていた地点に巨大な何かが落下し、クレーターを作った。


 川の水が土手を這い上がり、コンクリートの破片がぱらぱらと落ちてくる惨状の中、クレーターから垣間見えたのは、機械の爪。その機械は土砂を派手に巻き上げながら全高10メートルを超えるその巨大な全身をゆっくりと現していく。

 扁平な体躯に鋏を備えた巨大蟹とでもいうべき兵器だった。特筆すべきは全身から生える大小まばらなアームユニット。深海に住む奇怪な虫のようにいくつもの腕を纏っている姿はB級パニックホラーの怪物にも見える。全体的に無機質だが、その複眼だけがぎらぎらと不気味な光を放っていた。明滅を繰り返すその光は、壊れた信号機のようでもあった。


「……これは、A国の……【蟹の王パラダイムシフター】……?」

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