第二十三話 迷宮炎上配信の真意
ややあって、調理を終えたフランが部屋に入ってきた。彼女の手には深い藍色の器が乗ったトレイがあった。
「お待たせ……いたしました……蒼空白魚の……煮付けで……ございます……」
器の中には、綿のようなヒレを持つ、曇りガラスで出来たガラス細工のような半透明の白い魚が煮付けられていた。
まるで空に浮かぶ雲のように、ふわふわとした質感の白身が、かすかな湯気とともにその姿を現している。
箸でそっと身をほぐし口に運ぶ。
「……美味い」
あっさりとした味わいの中に、想像を超える強いうまみがあった。蒼空白魚の身は舌触りが絶妙で、口の中でゆっくりと解けていく。噛む必要を感じないほどだ。
「食材が良いものですから……これで不味い料理が出来上がるようであれば、もう包丁を持つべきではないでしょう……」
フランは謙遜した。
確かに、蒼空白魚以外にも一部の調味料は超一流だった。
俺にわかるものだけでも、スライムに似た二級異獣【歩き毒】の超巨大コロニーでごく稀に発見される【歩き酒】や、迫撃砲の直撃でも傷一つ付かない【ダイヤモンドシュガー】をコンマ1ミリ以下まで製粉したものなどが使われている。どれもこれも下級の特異物並みの価値だ。
だが。
「高級食材だからこそ、調理するものの腕が必要だろ」
一部度を超えた高級食材や高級調味料を使っているが、その他の調味料は一般的なものだ。
迷宮産の高級食材はうますぎるせいでなんというか排他的なところがあり、普通の調味料では食材の味に負けてしまったりうまくなじまなかったりすることもある。
その点フランの調理は完璧で、ごく普通の醤油を蒼空白魚に絡めることができていた。
「それは、重畳でございます……」
しばし二人、無言で舌鼓を打つ。
食事を終え、食器を片付ける。
「それで、ナハトさま……なぜいらっしゃったのか、説明はしていただけるのでしょうか……?」
食後の雑談もそこそこに、フランは切り出してきた。
もうはぐらかすことは許さないと、その目が告げていた。
「話をしに来た」
だから、俺も率直に話す。
「話……でございますか……?」
「ああ。今後も一緒に配信してくれ、っていきなり言いたい気持ちもあるがな。イエスかノーかだけで迫ったらノーって返すんだろ?」
「それは……まぁ、そうでございますが……」
「だから、まずはあんたを話を聞いて、理解することから始めようと思った。なんといっても、俺は勘違いで世界樹に放火するようなヤツだからな。話を聞いておかなかったら思い違いで何をしでかすかわからんだろ?」
先日の盛大なやらかしを引き合いに出す。こう言っておけば、今すぐ帰れとは言われないだろう。
「ナハトさまは……コミュニケーションが独特なだけで……本当のところは狡猾でございますね」
「天然でムラがあるだけ、と言われることの方が多いけどな」
フランはかすかに笑うと、おもむろに椅子から立ち上がった。
「……外に出て、歩きながら喋りませんか?」
孤児院を後にして向かったのは、孤児院のすぐ横を流れる川だった。
夜の静けさが彼らを包み込む中、河原に降り立つと、冷たい風が俺たちの髪を揺らした。
「……冷たい風が好きなのです。考えすぎて煮える頭を、乱暴に冷やしてくれる冷気が……」
フランの言葉に耳を傾けながら、周囲を見る。川は荒れていて暗かった。川岸はところどころ崩れ、雑草が生い茂っている。舗装路は割れすぎて油断すると足を引っかけそうだった。
ここが非常に貧しい地域であることは一目瞭然だった。特異物のもたらした恩恵で、現代のインフラは通常非常に長持ちするものだ。しかし、この川の荒れ具合を見ると、特異物の恩恵を受けているようには見えない。
この川が整備されたのは特異物の恩恵が社会にもたらされる前、七十年、いや八十年前ではないだろうか。そんな遠い時代から発展に取り残され、まるで化石のような地域として存在し続けているのだろう。
二人が静かに歩を進める中、遠くの歓楽街から漏れ出る毒々しいネオンの光が、川面にかすかに反射していた。その光は、この荒廃した風景に不釣り合いな彩りを添えていた。
「みすぼらしいものでしょう……三年前、前国王が倒れるまで、この地は暗黒街と呼ばれる荒んだ地域だったのでございます……」
そう言ってから、フランは首を振って自分の言葉を打ち消した。
「いえ……首都以外はすべて同じようなものでございましたね……物も人も命も尊厳も、すべて国王とその一族に吸い上げられ奪われるものでしたから……」
「今は、いくらかマシになったか?」
「ええ……ですが、もともとが最悪の国でございますから……すべての弱者が救われるほどには、よくなってもおりません……」
フランは空を見上げる。すっかり日の暮れた寒空に、星の光はあまり見えなかった。
「だからわたくしには……力が、お金が必要だったのでございます……命と尊厳を守る手段として、金銭よりも確実なものは存在しないのです……。
事実、お金を稼げるようになって、わたくしの世界は変わりました……飢えることも凍えることもなくなって……院の改修まで出来るようになりました……」
これでみんな少しはいい生活ができるのです、と、彼女は笑った。
「金を稼いで、それでF国全体にまで恩恵を行きわたらせてるんだから大したもんだよ。前に来た時とは雲泥の差だ」
「いらしたことがおありなのですか……?」
「何度か依頼で来たことがある。F国将軍ミュッフェルテを焼き殺したのはあんたも知ってるだろ」
三年前の大戦争、F国と敵対するC国に雇われていた時期の話を例に出すと、フランはああ、と頷いた。
「……そうでございましたね」
フランは風にあおられた髪を押さえながらつぶやく。
「わたくしは……わたくしたちは……お礼を、申し上げなければならないのかもしれませんね……」
「お礼はここに来るまでに一度言われたからいいよ」
「……それでも、一言だけ……ありがとうございました」
「律儀だな。恩に来てくれるなら、また一緒に迷宮配信してくれてもいいんだが」
「……それは卑怯、でございます……」
フランは苦笑した。
「相変わらず魅力的なご提案でございますが……やはりわたくしは、共には行けません……ナハトさまへの恩よりも、迷宮への憧れよりも、お金を稼ぐことのほうがずっと大事なのですから……」
静かな、しかし断固とした拒絶だった。予想通りだ。
もう一度会ったところで、前回の焼き直しになるのはわかりきっていた。氷のように頑ななのもわかっていた。
「全く未練を振り切れてないのに、悟ったようなことを言うんだな」
「……どういうことでしょうか?」
だから俺は、言うべきではないことを言うことにした。
「あんたは迷宮が好きだから、迷宮を娯楽にする連中が死ぬほど嫌いで……そいつらをコケにするために、迷宮炎上配信をやろうとしたんだろ?」
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