第二十二話 フランとマリアンヌ

 本当は都市で降りる予定だったらしい女子高生に帰りのタクシー代を握らせてバスから降ろし、目的のバス停まで三十分。さらにバスを降りて歩くこと二十分。俺は約束の場所へ到着する。


 そこは荒廃した地域にある孤児院だった。しかし建物は真新しく、周囲の荒れた風景とは不釣り合いに見える。明らかに後付けの離れも横にあり、どうにも相当な金をつぎ込んでリフォームしたらしかった。


「……」


 孤児院の前には、上下くたびれたジャージを着た少女が立っていた。野暮ったい眼鏡をかけており、青みがかった金髪はぼさぼさで、両手をポケットに突っ込んでいる。


「おばあさま……一体どのような意図で、ここで待てと言ったのでしょうか……」


 全く俺の存在に気付いていない少女へ声をかける。


「また会ったなフラン」


 少女が飛び上がった。

 背後にキュウリを置かれた猫のような大ジャンプだった。


「は!? ……は!?」


 口をパクパクとさせる少女に三度見される。


「ななななナハトさま……!? ど、どど、どうしてこちらに……!?」


 見事に声がひっくり返っていた。


「やっぱりフランだったか。【隠形の布】のせいでいまいち自信がなかったが、よかったよ」


「……!? ……あああーっ……!」


 少女改めフランは頭を抱える。


 他人に対する強い警戒心と疑り深さからか、外で出会う彼女はずっと【隠形の布】をつけ続けていた。

【隠形の布】は極めて有用な特異物で、これをつけている状態で出した声や見られた姿などは個人と結び付けられない。フランが青みがかった金髪であることは知っていても、目の前にいる青みがかった金髪の少女がフランだと気づくことができないのだ。


 だが俺はコメントに指示された場所にいる少女ならフランの可能性は高いと思い、声をかけた。そして、フランは驚きすぎて自白してしまったのだ。


「……もう……仕方がありませんか……」


 フランは諦めたように呟いた後、疑いの目をこちらに向けた。


「また……変態的特異物をお使いになったのですか……?」


 変態的特異物はないだろ。


「いや違う。今回は視聴者に呼ばれた」


「視聴者に……?」


 怪訝な顔をするフラン。


「お待たせいたしました」


 新たな声に振り返ると、そこには十歳を超えたくらいの女児が立っていた。エルフを思わせるとがった耳が特徴的だ。


「マリアンヌと申します。本日はご足労いただきありがとうございます。アリルナハトさん」


 フランは驚愕の表情を浮かべた。


「まさか……おばあさまが……!?」


「えへ、呼んじゃった」


「おばあさま!?」


 フランの驚きをスルーして、マリアンヌは俺に向かって深々と頭を下げた。


「お忙しい中、ご足労いただきありがとうございました」


 フランは俺とマリアンヌの顔を交互に見る。


「おばあさま……どうしてナハトさまを……それ以前に、どうやってご連絡を……?」


「それは、おばあちゃんの知恵袋というやつですよ」


 冗談めかしてマリアンヌは微笑んだ。

 どう見てもおばあちゃんという年ではないが、ここは特異物に支配された世界。見た目は必ずしも当てにならない。


「どうぞこちらに」


 促されるまま孤児院の離れのほうへと進んでいく。


「では……わたくしは、これにて……」


 ぺこりと頭を下げて、そそくさとその場を後にしようとするフラン。


「あなたも来るのよ」


「ですが……」


「いいから」


 マリアンヌは有無を言わさずフランの手をつかんだ。


「待って下さい……! この格好では……!」


「お客様に失礼、と言いたいのでしょうけれど、今回は気取った格好よりその格好のほうが都合がいいのよ」


「わけがわからないことを……おっしゃらないでください……!」


 フランは必死に抵抗するが、マリアンヌは手を離さない。


「せめて、せめて普通の服を着させてくださいませ……! 上下ぼろジャージは、あまりにも……!」


「男の人を気にするなんて色気づいたのねぇ。ほんの少し前までは彼氏なんて一生いらないって息巻いていたのに」


「それとこれとは関係が……! 頭イカレているのですかおばあさま……!?」


 そんなすったもんだがありつつも、俺は中に迎え入れられた。


 離れの内部は孤児院というより一般的な家だった。室内は明るく清潔で、壁には子供たちの描いた絵が飾られ、廊下には温かみのある色調の絨毯が敷かれている。所々に置かれた観葉植物が、さらに空間に生気を与えていた。


「おばあさま、ナハトさま……これはいったい、どういうことでしょうか……」


 マリアンヌとの交渉の末に髪を軽く整え、シンプルな私服に着替えたフランが問いかける。


 用件自体は明確だが、さてどうやって切り出したものかと思っていると。


「お話をする前に、食事をしましょう。ナハトさんも夕食はまだですよね?」


 マリアンヌがそんな提案をしてきた。


「ああ、いただけるならありがたいが……」


「でしたら、【蒼空白魚クラウドフィッシュ】を召し上がりませんか?」


「……蒼空白魚?」


 蒼空白魚。ある一級迷宮の高度150万キロメートル地点で漁獲される超高級食材で、同じ重量の貴金属より高価な品だったはずだ。

 来客とはいえ孤児院で出せる高級食材ではない。


「贈り物で来たんだけど、高級すぎて持て余してたんです。子供たちにこういうものばかりを食べらせるのもよくないし、ナハトさんに召し上がってもらえるならそれが一番です。……あなたもいいわよね?」


「……どうぞ、お好きなように……」


 わずかに拗ねた様子のフランがそっけなく答える。なるほど、彼女のご機嫌をうかがうための貢ぎ物か。


「じゃあ調理はお願いね。私、他の子どもたちのご飯を作ってくるから」


「おばあさま!? それはいくらなんでも横暴では……!?」


 フランの非難の声が終わるより早く、マリアンヌは部屋の外へと出ていった。孤児院の本館へ向かったのだろう。

 あれはもう戻ってこないな……。


 フランは特大のため息をついた。


「……仕方がありません……頭のイカレたおばあさまに代わって、料理を作ってまいります……」


「なんか……すまんな」


「いいえ、ナハトさまはあまり悪くありません……」


 多少は悪いのか。


「……おばあさまはいったい何を考えて……まったく意味が分からないのですが……」


 ぶつぶつといいながらフランはキッチンへと移動していった。


 ……少し見ていただけだが、マリアンヌはいくらなんでも無神経で破天荒すぎる。あれは周りの人間が苦労するタイプだ。

 だが、無神経で破天荒だからこそ俺をここに呼び出せたともいえる。常識的で配慮ができる人間なら、傭兵をこんなところまで呼び出さない。


 いや、もしかしたら……意図的に横暴なふるまいをして、娘を俺から逃げられないようにしたのか。

 いずれにしても、その行動の根底にはきっと、愛があるんだろう。親の顔も知れない俺にはよくわからんが。

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