77.増えるほど混乱する情報

 懸案事項となっている『コロナリア建国記』の、三部の主人公の名前だ。思い出された数少ない固有名詞の一つだった。アスター、コロナリアの未来の王となり周辺国を滅ぼす男。


 二人に凝視されても、アスカは気にしなかった。スコーンにジャムをたっぷり載せて頬張り、余ったクリームに首を傾げる。スプーンで掬い、そちらも味見した。嬉しそうにジャム載せスコーンに、クリームを追加で載せる。


 ごく普通の青年に見える彼が、悪魔のように既存の国を滅ぼしていく。そんな物語が進行しているなら、変更しなくては! カレンデュラは意を決して、尋ねた。


『コロナリア建国記、というお話を知っているかしら? 前世で発行されていた小説なの』


『コロナリア……知らないなぁ。ラノベじゃないの?』


 ラノベなら何冊か読んだ。姉がよく貸してくれたんだ。そう説明しながら、アスカは果物を摘む。その所作は落ち着いており、嘘を吐いているように見えなかった。


 ほっとする反面、少しがっかりした。現時点でコロナリア建国記のあらすじを知っているのは三人だけ。それも固有名詞を思い出せたのが、コルジリネ一人だった。受け取った手紙からアスターの名を知っても、カレンデュラは他の部分が思い出せない。ティアレラも同じだ。


 連想して思い出すのでは? と期待した分だけ落胆も大きかった。いくら真剣に読んでいなくとも、ここまで固有名詞が思い出せないのは、誰かの作為を感じる。神様なのか、ラノベ展開でよく見る強制力か。どちらにしても、当事者と思われるアスカに読んだ記憶がないのは予想外だった。


『新書で発行されたの。三十五巻くらいまであって、作者が亡くなって一気に売れたのよ』


 ティアレラは情報を補足する。うーんと目を細めて考え込んだ後、アスカが思わぬ言葉を口にした。


『それ、アニメ化されたやつっぽい。二部構成でさ、軍事国家と戦ったのが第一部で、続編はその子孫の話だっけ。第一部しか観てないんだよ』


 思い出しながら話すあらすじは、一致している。だが、アニメ化? 作者が亡くなっている上、完結しなかったのに。考え難い状況に、自分達が死んだ後のことだろうかと顔を見合わせる。カレンデュラもティアレラも、アスカの享年を聞こうとしたが……。


『でも原作者は生きてたぞ』


 違う話かもしれない。締め括ったアスカは、再びお菓子を口に放り込んだ。咀嚼する彼の口元を凝視したカレンデュラは、そっと目を逸らす。頭の中を情報が踊り、混乱していた。


 そんなこと、あるかしら。かつて読んだ小説の展開が浮かんだ。同じ世界から転生したと思っていたら、パラレルワールドだった。そんな小説で、作りが甘いと酷評されていた。考え込むカレンデュラの隣で、まったく別の考えに傾いたのがティアレラだった。


 もしかして……私達が知らなかっただけで、作者存命中にアニメ化していたんじゃ? 死んでから知ったけれど、死ぬ前も有名だったのならあり得る。


『なあ、この焼き菓子のお代わり頼んでいいか?』


 無邪気なアスカに頷いて手配しながら、二人は目配せし合った。ひとまず、彼は確保しよう。

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