08.the reason why am I born

 私の生まれた理由。

 そんなものを考えたことは一度もない。考えてしまえばきっとあまりのくだらなさで全て投げ出してしまうからだ


 人間たちの住みかは木と石でできていた。玩具のような拙いすみかを作り、寄り集まり、人間たちがここに確かに生きていた。

 今はもうない。

 同胞たる人間が焼き払ったせいだ。

 天使が腕を振るうと行き場のない魂が空へ昇っていく。一度ですべてを連れていけないのは悲しみや怒りが魂に重くこびりついているせいだ。それらを禊ぎ、空へ昇るのを見送るのに、特に感慨はない。私とともに役目を果たす弟もまた無表情で作業をこなしていく。私の知る限り天使は皆そうだった。

 だから彼女の姿を見た瞬間まぶしさで目を閉じた。

 次に目を開いたら彼女は変わらずそこにいた。

 彼女が導く魂の数は少ない。そのひとつを細い指が撫でる。白い指先が汚れるのも構わず、慈しむように魂の汚れを撫でていく。

 皆から落ちこぼれ扱いされる天使だけれど、彼女が導く魂は清らかだった。

 残された人間の魂もまた。



 生暖かい感触が鼻を満たし、唇や顎に流れていく。突きつけられた剣には青空と、のんびり流れていく雲が映る。ばかみたいにのどかな空や怒りの形相の天使や女の子の泣き声を感じながら僕は、頭のなかを駆け巡る光景を眺めていた。

 古文書や古い地図で見た事のある光景が紙面よりもリアルに。ブーツみたいな形の島、海の向こうからやって来る船団、三日月みたいな形の剣、ありとあらゆる言葉で吐かれる怒号や断末魔。外見や話す言葉が違っていても血の色だけは同じ。

 流し込まれる情報は鼻血が出るほど莫大。大天使スカイが見てきた人間同士の争いの歴史だ。

 国が滅ぶのを見た。たくさん仕事があった。

 どこかの国の騎士団が異教徒を皆殺しにした。汚れのある魂がたくさん出た。

 そんな――言っちゃなんだが『ダルい仕事を次から次へと捌いていきます』的な光景が次第に色づいていく。


「思い出したか」


 唇の端をひん曲げる天使にゆるく頭を振って応じる。


「僕はキースだ。スカイの記憶も他人の日記程度にしか思えない」


 ティエンが片目の目尻をひきつらせてため息をつく。双子の弟がそうするのはがっかりした時のクセだ、というのも何となく分かっていた。

 剣の切っ先が僕の喉を軽く押す。ひ、なんて大袈裟に泣き声があがるあたりシエルはもう解放されたのだろう。


「僕は……いや、スカイは」


 喉が動くとぴりっと痛みが走り、浅く裂けた皮膚から血が流れる。このまま喋ってティエンを怒らせれば僕は殺される。いや、ティエンが手を下すまでもなく僕が動けばそのまま串刺しになるだろう。一分一秒でも生きていたければ黙っていればいいんだけれど、僕は言葉を続ける。


「魂に興味を持ち始めたんだ。天界にいけば安らぎが約束されるのになぜ死んだ人間の魂は汚れているのか。汚れの度合いが人によって違うのはなぜか。天使には人とコミュニケーションをとれる力があるのになぜ自分にそれが理解できないのか」


 まだ息ができている。腹に乗っかった足に力がこもって吐きそうだけれどティエンは僕にとどめを刺さない。仰向けだとべそべそ泣く声が聞こえるだけでシエルの姿が見えないのがちょっと寂しい――これは僕の気持ちだろうか、スカイのものだろうか。

 判別がつかないのなら僕と彼で見解の一致があったのだろう。


「そこのポンコツはやっぱりすっげーーーーーーーポンコツで」

「た、タメすぎですよう」


 シエルの抗議をフォローするものは誰もいない。


「でもシエルの導く魂はみんな清らかだった。何でだろうってよく見てみたら、こいつ魂の恨み言いちいち聞いてやがんの。そりゃ効率悪いよな」


 理不尽な死を迎えたもの。痛み苦しみを長引かせて死んだもの。そいつらの恨みつらみは時に『うるせえバカ』で一蹴したくなるような逆ギレめいている。それをひたすら聞いて彼らの感情を受け入れるから彼女は仕事が遅いし、彼らは自分の感情を誰かに受け止めてもらうことで自分の死に納得して天に昇っていった。


「だからさ。もしも死にゆく人間になにかしてやれる事があるなら、魂はもっと安らかに天に昇れる。天使……スカイ以上に人間の愚かさにうんざりしてる双子の弟の負担を軽くしてやれるかもしれない」


 切っ先が揺れてさらに痛みが走った。それでも僕は黙るわけにはいかない。

 スカイの動機を知っているのは、双子の兄においていかれた弟にそれを伝えられるのは、僕しかいない。


 最後の引き金になったのはある少女の病死だった。

 流行り病で両親と妹を亡くした男は自分の記録と思いを書き綴っていく。薬を手にいれる金など無かったから民間療法を手当たり次第試して、何が効いて何がダメだったか。どんな症状が出てどんなふうに苦しんでいたか。

 医者でもない素人の拙い文章だから回りくどいし不正確な記述も多い。ただその己の血肉で書いたような文には奇妙に人を惹き付ける力があった。もしもこれが後世まで残り、同じような状況の人間の目に留まったら、じっくり話を聞いてもらった時のようにその魂にこびりついた苦しみを少しでも拭い去れるかもしれない。

 その文章は未完で途絶えるはずだった。

 彼は病に倒れ、自分の思いを書ききる前に天に召されると決まっていた。

 その役目を担ったのはシエル。案の定彼女はぐずぐずだらだら戸惑って、他の天使が担当を変わる決定がされた。


「だからスカイが邪魔した。大天使だからね、シエルも他の下っ端もスカイが『お前はなにも見なかった』って命じればそうなる」


 天使たちを妨害し、金持ちの医者のところからこっそり薬を拝借して男に届けた。天命に逆らえば天使でいられなくなるのを承知のうえで、それでも構わないと。

 人間の世界で人間の魂に寄り添って生きるのも悪くはないと、そう思った。


「兄さんが自ら望んで堕ちたというのか。俺がふがいないせいだと」

「わ、わたくしが役目を果たさなかったせいなのです! だからどうか、キースさんをお救いください!」


 シエルがティエンの足にすがりつく。真っ青になって震えながらも僕のために抗ってくれると思うと胸が締め付けられる、けれど、できれば僕の腹に乗ってないほうの足にして欲しかった。僕が反射的にえずくのを見てティエンがちょっと引いた。

 その金髪を光の弾が掠める。続いて顔狙いの直撃コースでもう一発。ティエンは余裕の身のこなしでかわすが、おかげで切っ先が僕から離れた。


「今すぐ去りなさいな! さもなくば脳天をぶちぬきますわよ!」

「え、えと、ぶちぬくです」


 凛とした声が響く。たどたどしい共通語が続きノータイムでもう一発が放たれる。ごろりと寝返りを打って見ると、ルクレツィア嬢とマリアさんがめいめい杖を構えていた。威嚇射撃がルクレツィア嬢で殺意高めがマリアさんである。

 マリアさんの銀色に輝く瞳にティエンが目を見張った。


「この力……旧き巫女の家系か」

「ぶぶっ、ぶちぬくぬくですー!」


 ぎゅっと目を閉じ、手の震えのせいで狙いが定まらないまま、マリアさんの杖にまた力が集まっていく。ルクレツィア嬢は止めるどころかマリアさんの杖に手を添えて支えた。

 僕まで巻き込まれる未来がありありと見えて声をあげようとしたけれど吐き気のせいで声が出ない。

 光の弾が僕の頭くらいに膨れ上がる。


「落ち着け」


 それが、ティエンのため息とともにかき消えた。


『貴様、なぜこの男を庇う』


 ティエンが古代語で語りかける。震えていたマリアさんがはっと目を見開き、そうして彼女の地元の言葉で応じた。


『この方は皆さんの心を繋ぐ、ここにいなくてはならない方です。言葉や身分の違いを超えて皆と分かり合う力がキースさんにあるからです』


 ゆっくり体を起こした僕にシエルがしがみついてきた。

 ティエンの手に握られた剣が消える。肩を落として立ち尽くす姿は迷子の子どものよう。古文書に二人一組で語られるくらい彼は双子の兄と一緒にいて、スカイにとっても大事な片割れだったはずだ。

 人の魂に安らぎあれというスカイの願いが片割れの魂を重くしているのなら、ティエンの心を誰が軽くしてやれるのだろう。


「誰のせいとかじゃないよ。やりたくてやっただけ」


 僕の言葉にその力があるとは思えない。ただ彼の気持ちを伝えられるのは僕しかいない。


「スカイなりに皆の事考えてたんだろうけど、僕に言わせればただのワガママだ。あんたやシエルが背負う重荷なんてない」

「貴様に何が分かる」

「本人だよ」


 ティエンがきつく目を閉じた。息を吸って、吐いて、紡がれる言葉からは先程までの険が消えていた。


「大天使スカイは許しを乞わないのか。天界に戻る意志はないと」

「うん」

「ならば己の罪を償うといい。ここで、人の生に捕らわれて」


 僕もシエルも、皆がはっと顔を上げた。

 今や独りとなった大天使が背を向ける。マリアさんが泣き出し、それをなだめるルクレツィア嬢の目にも涙がにじんでいた。小柄な体がぎゅっと僕を抱きしめて、見下ろすと青空の瞳が涙をたたえていた。

 僕はまだ死なない。

 だったら僕を導くはずだったシエルともお別れなのだ。

 そんな当たり前の現実がすとんと腹に落ちて――気づけば僕もシエルを抱きしめていた。


「元気でな」

「はい。キースさんも」


 ずっと前から一緒にいた、たったひとりの女の子。次に会うのは僕が天に召された後だろうけどきっと寂しくはない。青空はいつも僕を見守ってくれるのだから――柄にもなく詩人になる僕の繊細な心を盛大なため息がぶち壊した。


「おい馬鹿娘。貴様、己の誤ちを忘れたか」

「へ、は、はい?」

「死ぬ定めにない人間に、力を使っただろう」

「…………あっ」


 小さく声をもらし、小さな手が僕から離れる。シエルは僕の腕の中で、ぎこちなく笑顔をひきつらせた。


「どういうこと? シエル」

「さ、最初に……キースさんを追いかけてた方々に……」


 ……確かあの時、彼女は『止まれ』という意味合いの、どこの国のものか分からない言葉を吐いていた。そして僕が見回りの兵士に助けを求めた時、振り返った先に追っ手の姿はなかった。

 地下室の博士いわく天使には負の感情を鎮める力があるらしい。

 つまり彼女は酔っ払いの足止めのために天使の力を使い、負の感情を鎮められた酔っ払い達は気持ちよく眠りこけてしまったと。


「度しがたい馬鹿だな。そこの人間の寿命が尽きるまで地上で反省するがいい」


 ティエンはそう言い残して消えていった。

 残された僕たちを見下ろす空はどこまでも高く青く、白い羽根が風に遊ばれて青空に吸い込まれていく。



 僕はキース。魔法学校のしがない下働きだ。今日も今日とて子ども達に振り回され、理事長の婆さんにこき使われ、ちっぽけな日々を生きていく。


「お疲れ様です、キースさん」


 それでもシンプルなワンピースの上からエプロンを着けた少女が声をかけてくれる。僕だけの空色が僕を出迎えてくれるのだからちっぽけな生も悪くない。


「お疲れ様、シエル」

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なにものでもない僕が、君のもとへ帰るまで 戸波ミナト @tonaminato

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