第4章 クローズドサークル 5 ダイイングメッセージ
「吉田……」
──同じ夜。ハルは絶句した
彦佐にもがれたせいで縫合されたとはいえ、脆くなっていたであろう右腕を失い、さらに左腕もなくした消し炭のごとく黒焦げとなった吉田は、別荘の駐車スペースの中で息絶えていた。吉田を殺害した犯人は、彼の腕力を恐れていたのかもしれない。
本人とは判別しにくいほどに全身を焼かれていたが、身につけていた英国風タキシードの残骸、そしてなにより、ただれきった面差しの中に紳士然とした彼の懐の深さがかいま見えていたのである。
車のエンジン音が聞こえ、彼を迎えに出たまひるがまず投げ出されたような吉田の遺体を見つけた。まひるのかん高い絶叫に、館にいたハル、車椅子の稲水、白衣の権藤、幸嶋が駆けつけた。吉田は、三人の容疑者に館への招待状を手わたすというハルの密命を忠実に果たした帰り道に襲撃されたのだと考えられる。
「吉田さん? そんなバカな!」
愕然と目を見開きながら稲水がほえた! 泣きくずれる幸嶋。
「権藤!」
黙って首を振る医師、権藤。
「ハル、これって!」
「ああ、彦佐だろうな。人間に吉田ほどの手練れがやられるとは思えない」
「あいつ……」
突然、車椅子の向きを変えた稲水をつかまえるハル。
「どこへ行く気だ!」
「まだ、そこいらにいるかもしれないだろ!」
「バカ野郎! おまえごときになにができる。彦佐相手になにができる! いってみろ、稲水、いってみろ!」
稲水の両肩をガシガシとゆするハル。彼女もまた頬を濡らしていた。
「春乃さま」権藤がハルを止めた。「稲水の左腕と鎖骨は、まだ完治しておりません。ほどほどに」
稲水から手を離し、鼻をすすり、目を上げるハル。
「……稲水、彦佐は今度こそ私が殺す。心配するな」
沈痛な面持ちでうなずく稲水。確かになにもできないだろう。喰われるか、殺されること以外には。
「違う……違います! 春乃さま!」
ぐずぐずとベソをかきながら、まひるが叫んだ。
「なにがだ? まひる」
「彦佐ではありません!」
「なんだと。なぜわかる、まひる」
「アタシ、逃げる犯人の後ろ姿を見ました。吉田を殺した男は、両腕も両脚もありました!」
言葉を失うハル、そして稲水。幸嶋と権藤。彦佐のほかにまだ彼らをつけ狙う者がいるとでもいうのか。
「耳もあったか?」
「わかりません! 遠くだったから。そこまではわかりません!」
自身に黒々とした煤がつくのもいとわず、吉田の遺体にすがりつくまひる。
「幸嶋、懐中電灯を持って来い。どこかそこいらに吉田の腕があるかもしれない、ちゃんと見つけて丁重に葬ってやろう」
吉田の右腕は、広大な敷地内の片隅で案外あっさりと見つかった。しかし左腕の捜索は結局、翌日へと持ちこされた。
「なあ、ハル」
「なんだ」
別荘の外、足元の悪い雑木林その木立の中、ガタガタと震動する電動車椅子を走らせる稲水とともに左腕の捜索をつづけるハルは、館の内部、周辺は幸嶋と権藤、まひるに一任していた。
「考えたんだけど、彦佐には仲間というか、蠱惑や吸血で奴隷にした配下がいたんじゃないかな。あの体の大きな吉田さんをただの人間がひとりで運んでこれたとは思えないし」
「稲水が屋上から吊るされた時のようにか。あり得るな」
「それに彦佐、いくら耳が利くとはいってもたった一年で人を喰らいすぎだと思う。警察だって必死で追っていたのに。内通者みたいのがいたんじゃないかな」
「だが、もうひとつの可能性も捨てきれない」
「もうひとつ」
「ヴァンプにならひとりでも運べる。現に吉田の遺体を持ち上げて、墓標へと下してくれたのは、まひるだった」
「そんな……あいつのほかに、まだ蛮夫がいるってのか!」
「だから、ひとつの可能性だ」
「だとしたら、あの別荘、ヤバくないか?」
「まあな」
「クローズドサークルとか、やってる場合じゃないぞ、ハル!」
「いや、決行する。それは」
「もし、別の蛮夫が攻めて来たら? 俺のことは、もういいから!」
「おまえのためばかりではない。吉田のためでもある。攻めて来たら迎え撃つまでよ」
「どういう意味だ」
「吉田は結果的に、私の最後の使いを果たすために出て行き、死んで帰って来た。明日、はっきりする、三人の容疑者が館に来るか、来ないかで。あいつがきちんと使いをまっとうしてくれたのか、見とどける義務が私にはあると、そう思う」
「…………」
「私は、吉田に甘えすぎていた。行かせるべきではなかった、自分に腹が立つ。おまえとベッドの中でぬくぬくとしている間に殺されたんだからな」
「そう……だな」
「だからといって稲水に責任はないぞ。車椅子のおまえを使いにやらせられるわけがない。私が自ら足を運べばよかったのだ」
「ハルのせいでもないよ。ただ、取りあえず俺を喰うのは、さ来年まで待て」
「うん?」
「来年は、吉田さんを殺した奴を喰ってくれ。蛮夫、蛮婦だろうが、人間だろうが」
「……そうしよう」
「頼んだ」
ハルの手を握りしめる稲水。接した期間は短かったものの吉田は、彼の中では数少ない友人のひとりであったのだ。
「仮にそれが蛮夫か蛮婦なら、私は吐くかもしれんがな」
苦笑いを浮かべるハル。
「どういうこと?」
「ヴァンプは、蛮夫も蛮婦もヴァンプも喰えんのだ。そんな不文律、ルールが存在するらしい。原理は不明だが感覚的に。同族嫌悪とでも表現すればいいのか」
「おかしいと思ってた、なんでハルは彦佐を喰わないで一年も放置していたのかって。だから喰わずに焼こうとしていたんだな」
「ああ。憶測だが、だから犯人も吉田を喰わずに焼いたのかもしれない」
「喰わせてやりたいよ、まひるちゃんや幸嶋さんにも犯人をさ。人間だといいんだけどな」 ふふ、と笑みを浮かべるハル。「なんだよ?」
「おまえ、だいぶこっち側に来ているな。ヴァンプになりたいのか?」
「……いや」
「ヴァンプになれば、今すぐその腕や脚の骨折も回復するぞ。彦佐とも互角に戦えるかもな」
「そう、か。それもいいのかもしれない。なるか、ヴァンプに。ハルみたく我が名はヴァンプって名のりをあげてみようかな」
はははと笑い、ハルは稲水の頬を叩いた。
「バカめが。一時の感情や感傷に流されやがって。やはりヘタレだな、稲水は」
「なんだよ! 俺だって!」
「吉田の復讐など考えるな。奴も私も人知を超えた化け物なんだぞ。おまえは、家族を不幸におとしいれた妻殺しの犯人だけを考えていればいいんだ! 人間の小さな世界で生きていればいいんだ。ヘタレ男のままでいろ! いいな!」
「あ、ああ」
ハルの剣幕に押され、思わずうなずいてしまう稲水。
「それでこそ二十七代目の、私の男だ」
「はぁ?」
夕刻、吉田の左腕が見つかった。焼け焦げたその腕は、館内の床下で発見された。吉田は最後の力を振りしぼり、情念が指先をはわせたか、無意識が愛着のあるこの館へとたどり着つかせのかもしれない。探しあてたのは彼の女房役、パートナーであった幸嶋である。彼女の執拗な探索がなければ彼の腕は、ただ朽ち果てていただけであったに違いない。
「なんですか、これは!」
小柄な身体を生かして館の布基礎部分に入りこんだまひるが、マグライトの光をあて、ハルの顔を見た。同じく床下をはっているハル。ふたりとも、煤やほこりにまみれていた。
「吉田の指先が土の上になにか図形を書いているな?」
「だ、ダイイングメッセージというやつでしょうか」
「まひる、このスマホで写真を撮れ。後で検討しよう。それから吉田の腕を引きずりだせ。できるな」
「できます!」
ハルは低く、不自由な狭い空間で、スマートフォンをまひるにわたした。
(つづく)
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