第4章 クローズドサークル 6 吉田の遺したもの
「なんのマークなんだ、クラゲ? イカか?」
「バカをいうな稲水。そんなものをなんで吉田が描かなきゃならんのだ」
「だけどさ、なにかの
「吉田はクラゲに刺されて死んだのか? 犯人は大王イカだとでもいうのか!」
イライラと声をあらげるハル。
「じゃハルはどう思うんだよ」
「わからん!」テーブルをバンとひとつ叩くハル。「に、しても吉田め、もがれた腕を思念で操り図形を描かせるとは味な真似を」
「ヴァンプはみんなそんなことができるの?」
「いや、通常ならば無理だ。どうしてもなにかを伝えたかった吉田の強い意志の現れだろう」
「吉田さん、なにをいいたかったんだろうな……」
「やはり文字。漢字、に見えなくもないですな」
権藤が意見した。夕食をとりながら、まひるの撮影した画像を検討している一同。誰しもが食欲などとてもわかなかったのであるが、明日には吉田の最後の仕事『クローズドサークル作戦』が決行されるかもしれないのだ。そちらの役割分担もふくめ、体調を整えておく必要があるとハルは判断した。幸嶋は涙をこらえ、懸命に調理した。それを食わずにいられるわけもなかったのだ。生前、吉田は言葉少なではありながらも彼女の用意した料理を、うまい、いける、そんな風に短い単語で表現していたらしい。食べる者が無反応であれば、調理人に喜びが生まれるはずがない。そんなひとつひとつの小さな積み重ねが吉田、幸嶋、まひるの疑似家族を結びつけていたのかもしれない。
「漢字? この相合傘みたいなのが?」
無理をして白飯をかっこんでいたまひるがたずねた。
「いや、あたしは断末魔の人間が書くなら図形ではなく、文字ではないかと思っただけで……こいつを描いたのは左腕。右利きだった吉田が面倒な図形を
「一理あるな」
ハルがこたえた。
「だけど、犯人に悟られないためにわざとわかりにくく描いたのかも」
稲水の反論をハルは
「死の間際にそこまで考えられる余裕があったなら、吉田は逃げおおせたはずだ」
「だけど漢字には見えないよ」
「まあな、まるで一筆書きだ。止め、はね、はらいが一切ない」
「地面から指を離したら、次を書けない、吉田はそんな状態だったのでは?」
そう提言したのは幸嶋であった。
「なるほど。だとしたらひらがなのくずし字……いや、吉田はかっちりとしたフォントを好んでいたし、ここを改装した際の工事業者へのメールも、漢字を多用しすぎていて読みにくいと文句をいわれていた。ふふ、今となっては懐かしい話だ」
昔日に思いをはせているような目をするハル。うんうんとうなずき、目じりを下げる幸嶋。
「はい、そうでした。あの時吉田は、私が幕末生まれのせいだ。よくそう申しておりました」
「吉田は明治の代で学問、特に漢詩をこよなく愛していたからな。幸嶋、よし、漢字だ」
テーブルを立ち、微笑みながら、今にも涙があふれそうな幸嶋の肩をたたくハル。
「申し訳ございません。大丈夫です、春乃さま」
「そうか……おい、権藤」
「はい」
「食事を終えたら一時間以内に吉田の遺した文字に近い漢字の一覧を作れ。カルテなんかで難しい病名を書きなれてるだろ?」
これは完全にむちゃぶりである。
「はあ……しかし……ネットで検索いたします」
「まかせる」
『允(イ)・永(エイ)・禾(カ)・介(カイ)・欠(ケツ)・牙(ゲ)・朱(シュ)・尓(ジ)・充(ジュウ)・天(テン)・夲(トウ)・末(マツ)・未(ミ)・弁(ベン)・矛(ム)・牟(ボウ)・夭(ヨウ)』
「まったく自信はありませんが、以上十七文字を候補としてあげさせていただきました」
A3の用紙にプリントアウトされた漢字の一覧を、食器が片づけられたテーブル上に披露した権藤は、文字通り自信なさげである。
「ふうむ、まずはご苦労」権藤へねぎらいの言葉をかけるハルはしかし、首をひねらざるを得ない。「ただ、どの漢字だったとしても吉田がなにを遺したかったのかさっぱりだ」
「本当だよな。でも吉田さんのことだからなにか意味があるはずだよ。取りあえず検討してみよう」
いったん図形案を捨てたらしい稲水の提言にうなずく一同。
「ここにはないけど、アタシには虫(ムシ)に見えます」
「まひる、確かに似てるが書き順が違う。一筆書きの始まりは右上、そこから左側へと流れている」
「と、なりますと永(エイ)、牙(ゲ)、充(ジュウ)、天(テン)、夲(トウ)、末(マツ)、未(ミ)、矛(ム)は消えますね」
「いや、幸嶋、先走るな。ゆがんではいるが縦に中心線がはっきりと書かれている。充(ジュウ)、天(テン)は捨ててもいいが」
「ならハル、允(イ)、介(カイ)、欠(ケツ)に弁(ベン)、夭(ヨウ)も同じだ」
「うーむ。弁(ベン)は捨てがたいか? 縦線がないこともない」
「あたしは最後のはらいが気になりますね。ピンとはねている所が」
「そうだな。となると允(イ)と充(ジュウ)は候補に残るか、権藤」
「いえ、あたしはこの流れが隣、もしくは下に向かっているのではないかと」
「隣? 下? 」
「つまりこれは漢字の部首、いわゆるかんむりとかへんに当たる部分なのではと」
「途中で力つきたといいたいのか?」
「可能性はございます」
「そうだとしたら、ますますわからなくなるだろが!」
「いえ、ひとつの可能性を、あたしは」
「──すまん、権藤。つづけてくれ。しかし隣はわかるが下とは?」
「下へ指を動かそうとしたが、はねてしまった。そこで亡くなった」
「可能性は無限大だな」
「はい。たとえば牙(ゲ)の隣に鳥を置けば鴉(カラス)、介(カイ)の隣にやはり鳥で䲸(カイ)となります。矛(ム)の隣に今で矜(キョウ)、禾(カ)の隣に火で秋」
「禾(カ)の下にカタカナのルみたいな字を置けば禿(ハゲ)になります! 犯人が禿げ頭だったのかも!」
まひるの発言にうなずいて見せる権藤。
「それもひとつの可能性です」
「二文字書こうとしていたのかも……」
おずおずと意見をのべる幸嶋。
「ええい、キリがない! この件はおのおのの宿題とする! 考えておけ、吉田の仇は必ずとる! いいな!」
ハルの号令に
「しかしその前に吉田の最後の仕事を完結させる。明日、日下部園美、巻本俊、川上真一の三名が現れたなら、これも必ず、朝子殺しの犯人を突きとめる!」
稲水は大きくうなずいた。そこに一番かかわらなければならないのは自分なのだと。
(つづく)
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