第2章 探索 11 交換条件 

「まずは銀座へ行くぞ、稲水」

 駐車場から車を出した稲水にハルが指示する。

「なんで銀座?」

「おまえのスーツ、まずは受け取らないと。そんな服装の男とは一緒に歩きたくない」

「そんな場合かよ。また盗聴器が仕掛けられてるかもよ」

「外せばいいだろ、そんな物。早く行け」

「はいはい」

 高級紳士服店でスーツを三着受け取ったのち、江戸川区へと進路を向けるふたりの車。ちなみに新調のスーツには、盗聴器は仕込まれていなかった。

「稲水、高速は使うな。Nシステムがあるからな」

「Nシステムって? オービスとは違うのか」

「違う。犯罪捜査用の監視カメラだ。ナンバーも運転手のつらもしっかりと写されるらしい」

「そんなものがあるのか」

「ああ、久永に聞いたから間違いない」

「そうだ、久永さんに聞いてくれないか」

「なんだ」

「あの防犯カメラの映像が解析されて、俺らの顔がバレるってことがないのか」

 稲水は昔の海外ドラマで、FBIが粒子の荒い画像の解析度を上げることで、犯人の顔を特定するシーンを見たおぼえがあった。

「警察は何度も防犯カメラに撮られた彦佐の顔もまともに判別できずにいるんだぞ。あんな遠巻きの画像から顔バレなどするものか」

「ならいいけど。まあサングラスもかけてたしな」

「……いちおう久永には聞いておく」

 一度サングラスを外したハルは、少しばかり不安そうにうなずいた。


 荒川をわたり、旧江戸川を越えるとどんどん海沿いの街へと近づいていく。

「そこ左に入れ。その先に小さな倉庫がある」

「倉庫。それが目的地か?」

「ああ、ここだ。いったん止まれ」稲水は停車した。「稲水、シャッターを開けてこい」

「人使いがあらいな」

 鍵をわたされた稲水がガラガラとシャッターを開くと、運転席に移ったハルがスルスルと車を動かし、倉庫の中へとおさめた。稲水にシャッターを下させ、照明を灯すハル。車を置いても十分に余裕のある、そこそこの広さがあるレンタル倉庫であった。奥に積まれたいくつかのダンボール箱を探っているハル。

「これでいいか」

 ハルが手にしていたのは白色の鉄板、つまりはナンバープレートであった。

「どういうこと?」

「警察は服装の目撃情報からホテルニュー帝円にたどり着く可能性がある。となるとホテル駐車場の防犯カメラでこの車のナンバーを特定されるかもしれん。さっき話したNシステムに引っかかったら面倒なことになる」

「なるほど」

 ハルが選んだのは『なにわ』ナンバーであった。大阪市のナンバープレートである。

「なんで、なにわ?」

「意味なんてあらへん。適当や、適当。はよ、かえてや」

「俺がやるの? どうやればいいの」

 まともな人生を送っていれば、車のナンバープレートを交換する機会などめったにない。

「プラスドライバーでボルト、マイナスドライバーで封印を取ればええんねん。簡単やろ」

「エセ関西弁はやめろ。イラつく」

 仕方なくハルが用意したドライバーを手にする稲水。

「イラつくか、かめへん、かめへん。これで高速にも乗れるやろ」

 ほこりを払ったパイプ椅子に腰かけ、タバコをふかしているハル。

「マジ、ムカつく」

「稲水はん、真剣にやりや」

「はぁ?」

「走行中にプレート、外れてもうたら、シャレにもならへんで!」

 半笑いでありながら、にらみをきかすハル。やけっぱちの稲水はこう答えた。

「はぁ、さよけ! ほな、マジメにやりまっせ!」


「で、ハル。次はどこへ向かう?」

「さしあたり小田原だ」

「小田原?」

「そこに別荘を持っている」

「別荘? 金あるんだな」

「一ノ宮のじいさんの持ち物だがな。とにかくいったん都心から離れた方がいい」

「かもな……だが……」

「むろん朝子殺しの犯人捜索は続行する。心配するな」

「すまない」

「契約だ」


 小松川インターチェンジから高速道路へと入り、東名へと乗り入れる。ふたりは一路、小田原を目ざして走る。

「ハル、質問と提案があるんだが」

 ハンドルを握る稲水がいった。

「なんだ」

「まず質問だけど、あの彦佐って蛮夫、殺人鬼だよな」

「ああ。まごうことなき大量殺人鬼だな」

「なぜハルの目は赤く光らなかった?」

「ああ……まさか稲水、私の能力に不信感をいだいているわけじゃあるまいな」

 運転する稲水の脇腹に軽くパンチを入れるハル。

「いや、だけどさ」

「まあ、いい。私の目はヴァンプには通用しないのだ。なぜならヴァンプは人を喰うのがあたり前の生き物だからだ。人間だって食い物にいちいち同情はしないだろ」

「まあ……」

「私に見えるのは後悔や慟哭、悔恨、快楽、愉悦なのかそれはわからないが忘れることのできない人の心だ。ヴァンプにはそんなものはない。喰わなきゃ死ぬから喰うんだ。見えるわけないだろ?」

「そういうことか……じゃあ、たとえばイジメにあって自殺した子がいたら? イジメをした連中を見ぬけるのか?」

「それは不可能だ。ヴァンプは万能ではない」

「ふーん」

 ハルはいきなり稲水の首を片手でつかんだ。

「おまえ今、たいした能力じゃないな、とか思っただろ!」

「ハル、危ない、危ないから!」

「まあ、私も日々、進化しているからいずれ見える日も来るかもしれんがな。なぜそんなことを聞く?」

「その……自殺した父さんや母さん、失踪した兄さんや茜さんを本当に追いこんだ人物なんか特定できたらな、とか思って」

「稲水」

「ん?」

「それこそ不可能だ。おまえもいっていただろ。おまえの家族を崩壊させたのはゴシップ好きの日本国民すべてだ」

「……だよね。だけど、日本にも加園みたいな奴がいてくれた。あの軽薄さにだいぶ救われたような気がしたんだ」

「うむ、そうか。それで、提案というのは?」

 ハルは少しウィンドウを下げてタバコに火をつけた。

「盗聴器はもうないみたいだけど、彦佐って男、なんだか怖い。次はどんな手で来るつもりなのか想像もつかない」

「確かにな」

「ハル、あいつを殺せるんだろ? 始末するっていったよな」

「当然、常識、そしてあたり前だ」

「だったら彦佐を先に倒しておくべきじゃないか? これ以上の犠牲者が出る前に、そうするべきだ」

「なんだよ稲水、いきなり社会正義に目ざめたのか? 容疑者ふたりが殺されて、怖気づいたか」

「社会正義なんかとは違う。あいつが生きている限り、俺たちの目的は妨害されつづけるぞ」

「うん。だが、あいつとの確執は私個人の問題、片をつけるのは稲水との契約を履行してからでないと本末転倒だと思うがな」

「それこそ本末転倒だ。妨害工作がつづいたら犯人捜しどころじゃない、容疑者がいなくなるぞ。たとえばさっきの、あの倉庫内とか人気のない場所へおびき出してでも彦佐には消えてもらうしかないと、俺は思う」

「──納得だ、稲水。少し方法を考えてみよう」

「で、ハルの私的な問題を先まわしにするにあたって、ひとつ条件がある」

「なんだと?」

「いろいろと全部、片がついたら、俺を喰う前に兄を捜すのを手伝ってくれ」

「おいおい、それこそ稲水の私的問題だろうが」

「だから交換条件だといってるだろ」

「ふん。割に合わない気がするがな。だが稲水よ。ひどい兄貴だったんだろ? どうしてそんなに見つけだしたい?」

「そりゃ、ただひとりの肉親だから。それに……」

「なんだ」

「はっきりいって兄さんなんかのことより、義姉ねえさん、茜さんのことが気になる。生きているのなら、確認したい」

「なんだ稲水、兄貴の嫁に惚れていたのか?」

「バカいえ、そんなんじゃない。茜さんがいたから無軌道な暮らしをしていた兄さんは真っ当になって、美容室を開業するまでになった。兄さんを変えてくれた彼女に俺は感謝してるんだ。ふたりは俺にとって理想の夫婦だった」

「前にもそんな話しをしていたな」

「そうだっけ?」

「まあいい。その条件、承知した。私向きの案件ではないがな」

「ありがとう、ハル」

「面倒くさい! まったく面倒くさい!」

「ありがとう、ハル……」


 午後三時をすぎたころ、突然のゲリラ豪雨。滝のような水量でワイパーを最速にしても視界が狭い。ふたりはサービスエリアの駐車場へ車を着けて遅い昼食をとることにした。

 こんな土砂降りの中、やはり蛮夫の影響なのか、時刻のせいなのか、ニ百席はありそうな広々としたレストランは客足もまばらで、閑散としていていた。まるでふたりの貸し切り状態である。周囲に気がねなく会話ができるのは結構なのだが、この飲食店の経営はいずれ破綻するのではないか、と稲水は心を痛めた。ハルは名物らしきラーメンを、稲水はざるそば定食をそれぞれカウンターで受け取り、テーブルに着いた。

「それでさっきのつづきなんだが、大正時代の彦佐の話を聞きたい」

 話しをしながら稲水は、そばをつゆにつける。

「聞いてどうする」

「敵を知り己を知れば百戦あやうからず、だろ?」

「敵か……そうだな」

 たいしてうまくもない名物ラーメンをすすりあげたハルは語りはじめた。彦佐のたどった惨憺さんたんたる人生を──。

                          (つづく)

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