第2章 探索 10 指名手配

 阿佐ヶ谷駅とは反対方向の路地裏へと駆けこんだふたりは、スマホでハイヤー運転手へ住所を伝えて迎えに来させ、とにかく出せ、早く出せとせかして発進させた。汗をぬぐい、顔色の悪いハルと稲水を、バックミラー越しに不審そうな目で見る運転手。

「どうかされましたか? 一ノ宮さま」

「あ? ああ、なんでもない!」

 激高気味のハルに代わって稲水が答えた。

「今、そこで蛮夫の殺人を見た」

「なんですって!」

 この運転手が初めて冷静さを欠いた声を張り上げた。今にも泣きだしそうな表情を浮かべて。

「稲水!」

 怒鳴るハルを片手で制する稲水。

「どうせニュースになる。そこで運転手さん」

「な、なんでしょう? 見たんですよね、蛮夫、追って来ませんかね?」

「来ないとは思います。パトカーのサイレンが聞こえて蛮夫も逃げたから」

「そうですか……」

 ホッとしたように片手で胸をなでる運転手。

「ただ怖いから、なるべく大通りではなく住宅街や裏道、こまごまとした道を走ってください。時間はいくらかけてもいいから」

「かしこまりました」

 運転手がうなずくと、ハルが稲水の耳元へ、小声で話しかけた。

「なぜだ? 早く帰って作戦を立てた方がいいだろ?」

 稲水も口元を手で隠し、こそこそとささやく。

「防犯カメラ、なるべく少ない道がいい。俺らも警察に追われるかもしれない」

 なにしろ蛮夫とハルは対峙し、会話までしていたのだ。堂島医院の前に街頭防犯カメラがあったとしたらかなりの確率で追跡されるだろう。防犯カメラの映像だけを頼りに追尾され、犯人が逮捕されるにいたった例もあると、どこかで稲水は聞いたことがあった。そうである、いつまでも朝子を殺した犯人を捕らえられない刑事から二年ほど前に聞いたのだ。刑事は、まだ希望はあるんだなんだと、ご託をならべていた。

「なるほど。しかし冷静だな、稲水」

「ハルがイラついてるから、そうならざるを得ないんだ」

「私はイラついてない!」

 突然のハルのキリキリとした奇声に、ハイヤー運転手はひぃっと悲鳴をあげた。


「あの野郎、なんでだ!?」

 ホテルの居室へと帰るなり、ひとつだけ残しておいた盗聴器を握りつぶし、そのままハルは、その拳を高級な布製クロスが貼られた壁へと叩きつけた。

「落ち着け、ハル」

「落ち着いてなんぞいられるか! あいつは今朝方のカフェでの私らの会話まで盗聴していたんだぞ!」

「そういえば……」

 稲水も総毛立った。

「だいたいなんで大正時代の男が盗聴器なんぞ持ってるんだ!」

 ドカドカとヒステリックにベッドへ頭突きをくらわすハル。しばし考えを巡らす稲水。

「──江戸時代のハルだってスマホやPCをあつかえるんだ。一年も令和にいたら当然だろうな、まだ若そうだったし。あいついくつなんだ?」

「十七だ」

「ハルと同い年か。それだけ若いんならすぐになじむよ、現代のネット環境にだって」

「だからどうした」

「盗聴器なんてネット通販で簡単に手に入るんだし」

「なんて世の中だ! 犯罪グッズがタップひとつ買えるだなんて。外を歩けば盗撮カメラばかり、なんて国だ、日本は犯罪大国だ!」

 いよいよ国や行政にまで八つあたりするハル。

「いちおう防犯グッズに防犯カメラね」

「防犯? ならなんで外での会話が他人に聞かれていたんだ!」 

「知らんけど」

 処置なしといったふうに首を振り、ハルの怒りがおさまるのを待つしかない稲水。

「いや、そうか! 彦佐の奴、テーラーのおやじに蠱惑を使ったんだ!」

「え?」

 ハルはハンガーにかけられていた稲水のイタリア製スーツを乱暴に引き裂いた。

「なにするんだ、ハル!」

「やはりな……見ろよ、稲水」

「マジか!?」無惨に破かれた新品スーツの上襟の裏側に、ピンマイクのような小型盗聴器が縫いつけられていた。稲水はスマホですぐに検索をかける。「盗聴器の電波は通常、二、三百メートルしかとどかないんだと」

「あのカフェ周辺にいたのか、彦佐は……」

 その気配に気づけなかった自身にも腹を立てているようなハル。

「そしてタクシーか、誰かから奪った車で後をつけられた」

 しばし沈黙するハル、そして稲水。

「……なんでもありなんだな、蠱惑って」

「ああ、なんでありだ。人たらし、血を吸ってのしばしの奴隷。ヴァンプが現世で生きてゆくための術を彦佐に叩きこんだのは、ほかならぬ私だ」

「師匠に負けないくらい優秀な弟子だな」

「皮肉か? しかしこうなると──」

「朝子殺しの容疑者がすべて殺されかねないか」

「そんな真似させるかよ……生き残りがあと三人、稲水のいうとおりだった。落ち着こう、まずは落ち着いて対策をねるんだ」

「全面同意だ、ハル」

 ふたりは新たにカメラやマイクが仕かけられてはいないか、徹底的に室内と衣服、持ち物をチェックする。盗聴に備えて、つけっぱなしにしたテレビを大音量で流しながら。みるみるうちに荒地と化すスィートルーム。なければないに越したことはないのだが、不安の影をぬぐいきれないハル、そして稲水。

「ハル、ベッドやソファーを切りきざむのはさすがにヤバいよ」

「金で解決する! ホテルを盗聴で訴えてやってもいい」

「法廷で原告席にすわるのか? 罪人殺しのヴァンプが」

「うるさい。いいから探せ」

「どこで寝るんだよ……」

 ふたりの捜索は約二時間におよんだ。

「くそ、これだけ探してなにも出てこないなんて! 逆に腹立つ!」

 流麗だったハルの黒髪は、もはやボサボサに逆立ち、乱れている。

「よかったじゃないか──え、ハ、ハル!」

 テレビのボリュームを下げようとした稲水が叫んだ!

「なんだ、うるさ……なに!?」

 液晶テレビの大画面に映し出されていたのは、危惧していた堂島医院前に設置されていたと思われる街頭防犯カメラの映像、その静止画であった。登場人物は当然、対峙する蛮夫とハル、稲水。モザイクをかけられた血に染まる堂島の遺体である。テレビのニュース番組にかじりつくふたり!


【警視庁、防犯カメラの映像を緊急解禁。蛮夫、ふたたび!】のテロップ。女性アナウンサーがしかめつらしい表情で原稿を読みあげる。

『本日、朝方、東京都杉並区の路上に蛮夫が現れ、またしても痛ましい犠牲者が出ました。また、この事件になんらかの形でかかわった、もしくは被害にあわれるも逃走に成功したと思われる男女二名がおります。この二名はこれまで不明とされてきた蛮夫の顔を直接見ている可能性が高く、警視庁では、防犯カメラの映像を公開し、蛮夫とともにこの男女に対しても広く情報を求めております。男性はベージュ系上下そろいのスーツ、女性は黒の上着に赤のスカート姿。それらしき方々を見かけましたら、ぜひとも警察へとご一報ください』

 女子アナは画像のハルと稲水の姿を指さして服装の特徴を伝えている。


「マジかよ……」

つぶやく稲水に対し、ふふんと苦笑いのハル。

「これで私ら、完全に指名手配されたようだな」


『では防犯カメラがとらえた映像をご覧ください』

 ※一部残酷な映像がありモザイクがかけられております。との表示とともに動画が流れる。堂島医院前で会話しているらしきサングラスの男女。女の背後から歩いてくる長身の男。振り向く女。その瞬間、野獣さながらに飛びだしてきた白のパーカーを着けた蛮夫が長身の男に襲いかかりここでモザイクがかかるも一瞬にして心臓がつかみ取られたことがわかる。その心臓を高々とかかげ、喰らう蛮夫(ここも当然モザイク)。真向から向きあう蛮夫と(後ろ姿なのでわかりにくいが)、サングラスを外したらしき女。その背後で尻もちをつく男。

 蛮夫、女の首筋に噛みついた、ように見える。蛮夫と女、何事かいい争いをしているらしく女が腰を落としてかまえる。ここで立ちあがった男が女の手を引いて画面から消えた。蛮夫も猛然と走り去る。ここで映像は終わった。

『この女性、あの蛮夫に挑むような無謀な行動を示していました。噛まれたことでどういった症状が現在、彼女に発症しているのかも不明です。私たちテレビクルーも彼女の保護を第一と考えます。どうか目撃情報を警察または当番組におよせください。

 そして今入った情報です。惨劇のあと十分後に杉並区荻窪で白のパーカーを着用した蛮夫らしき男の姿が防犯カメラにとらえられておりました。どうやら蛮夫は武蔵野市方面へと向かったようです。杉並区および武蔵野市周辺にお住まいの方々は十分に注意し、不要不急の外出を避けるよう警察は呼びかけております。繰り返します、杉並区──』


「もういい稲水、テレビを切れ。なにが保護だ、バカめが。あれからもう四時間近くなる。彦佐は服を替え、もう東京にはいないだろう」

 リモコンでテレビの電源を落とした稲水が苦しげにうめく。

「今ごろ、阿佐ヶ谷周辺はゴーストタウンだろうな」

「おもしろいな、見にいくか?」

「いい趣味とはいえないな。でもまずいよ、バッチリ撮られてた。俺はただのスーツだが、ハルの服は目立つから」ニュースでも解説されたように、今日のハルは黒のシアーシャツに真紅のボリュームスカートといういでたちであった。「角度のかげんでサングラスを取ったハルの顔が映ってなかったのがさいわいだけど」

「ホテルを出た方がいいな」立ち上るハル。「従業員や客に服装を見られている。全員にいちいち蠱惑をかけるは不可能だ」

「そうだな。あ! ハイヤーの運転手!」

「あれは心配ない。車から降りる時、ちょいと噛んでやったから」

「そうか……にしても、とにかく急ごう」

「少し地味めな服にしとくか。稲水はショボイ自分の服に着替えろよ」

「はいはい」

 三十分で準備を整えたふたりは、急な仕事が入り渡米することになったとホテル側へ説明しチェックアウトした。荒らした室内については指輪の爪からダイヤが外れたせいで探しまわったのだとわびを入れ、後で請求書を送るようにと伝えた。

                            (つづく)

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