第2章 探索 8 情夫

 ホテルニュー帝円にもどったふたりは居室へと小走りで急いでいた。

「ハル」

「なんだ」

「鮫原を見てどうだった。目は光ったのか?」

「わからん。私の目は死体には反応しないからな」

「そうか……もしあいつが犯人だったとしたら復讐もできない。最悪だな」

「かもしれないし、違うかもしれん。わかりもしないことでうだうだとするな。それこそ最悪だぞ、稲水」

「だな。ありがとう、ハル」

「おまえを喰いたいからだよ。それより稲水、部屋に着いても取りあえずしゃべるな」

「なんで?」

「いいからいうことをきけ」

「わかった」

 カードキーでスィートルームに入るなり、ハルは無言で自分のキャリーバッグやハンドバッグ、そして稲水の汚れたスポーツバッグの中身をぶちまけた。しゃべるなといわれているのでわけを聞くこともできない稲水を横目に、ハルは下着や小物をかきわけ、そして小さなライターサイズの小箱を指さした。それはハルのバッグにふたつ、稲水の物にひとつ貼りつけられていた。

「盗聴器?」

 小声でもらす稲水に大きくうなずくハル。そして今度はソファーやコンセント、ワイファイルーター、館内電話なども調べはじめる。稲水も壁掛けの絵画の裏側、カーテン上部、端部、ダブルベッドの下を捜索する。

 結果、小型の盗聴器、もしくはそれらしき物がゴロゴロと出てきた。ハルはそれらをひとつひとつ、ヒールのかかとで踏みつぶし、激怒したように叫ぶ。

「ふざけやがって、あの野郎!」

「あの野郎って?」

「もし顔を見せたら今度は殺す!」

「誰のことなんだ?」

「いっただろ。明治時代からこのホテルを常宿じょうやどにしてるって。それを知ってるのはふたりだけ、女優の姫川さおりとあいつだけだ」

「あいつ?」

「蛮夫だよ。台東区の工事現場で掘りおこされたという蛮夫だ」

「なんだって!」

「したがっておまえの兄が蛮夫であるとは考えにくい。おそらく奴が蠱惑か吸血を使い、このホテルの従業員に盗聴させたのだろう。私が現れたら盗聴し報告させる奴隷にしたに違いない」

「なるほど。男でも蠱惑を使えるんだ」

「だからヴァンプに性差などない。くそが!」

「工事現場に埋めたのもハルなのか?」

「ああ、当時は薄汚い木賃宿きちんやどばかりだったけどな。大正時代に罪なき人々を奴は喰いまくった。ヴァンプは罪人以外、喰ってはならないと散々さとしたのに……」

「大正時代! ああ、ネットで騒がれてたっけ。蛮夫事件は昔の模倣犯の仕業じゃないかって」

「ああ、そうだな。だが模倣犯じゃない、本人だ。笑えるな。殺しておくべきだった」

「笑えないだろ。ただ、ヴァンプは無敵なんだろ? 殺せるのか?」

「ああ、殺せる。情をかけるべきではなかった……」

 蛮夫こそハルが欲する罪人、喰らうべき対象であろうに。稲水には解せなかった。

「なんで殺さなかった? ハルらしくもない」

 蛮夫復活のせいで、コロナ禍以上に日本経済が脅かされ、危機的状況を生んでいるのだ。

「それは……」

「なんだ?」

「奴が……私の情夫だったからだ」

「じょうふ? はぁ? 情夫って恋人ってこと?」

 驚天動地の稲水。ハルはギリギリと歯がみしている。稲水は以前、はぐらかされたヴァンプの弱点を見たような気がした。

「情けない。笑いたければ笑うがいい」

「だから、笑えるかよ。そんなん」

「すまん稲水、おまえには関係のない話だった」

「でもないよ。俺たち相棒だろ。期間限定だけど」

「ふん。盗聴器はつぶしたし、本来の話にもどるとするか。明日は午後から堂島渉どうじまわたるの病院を訪ねるぞ」

「なんで午後なんだ?」

「いくら蠱惑を使おうが、まともな医者なら病人を優先するかもしれない。昼休みに訪問し、午後の診療の前に、堂島が朝子殺しの犯人か否かを見きわめる」

「わかった。まともな医者なら人は殺さないだろうけどね」

「ふふ、確かに。堂島医院は、杉並区阿佐ヶ谷か」

 稲水が病院名をスマホで検索すると一発でヒットした。それなりに評判のいい医師のようである。

「なんで浮気なんてしたのかね」

「腕のいい医者がいい人間だとは限らない」

「朝子が死んだ当時は五十一か。いい歳しやがって」

「五十ならまだ男盛りだろ? 仕事にも金にも余裕が出るころだ。金があれば女遊びをしたくもなるさ。まだ三十前の稲水よりもな」

「そんなものかね? 四十が不惑っていうじゃないか」

「いつの時代の話だ。私が生まれたころは平均寿命が五十くらいだったはずだから長老レベルともいえる年齢だが、そんなもの人生百年時代に通用するか」

「ま、いいや。堂島の人間性には興味ないから」

 稲水が吐き捨てるようにいうとハルは笑った。

「なんだかんだと、やはり朝子に惚れていたようだな」

「笑うな、自分だって……」

 いいかけて稲水はやめた。自分だって大量殺人鬼に惚れていたくせに。などといえるはずがなかったのだ。

                         (つづく)

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