第2章 探索 1 銀座
翌日。ホテルのレストランで遅めの朝食をすませたふたりは、稲水の運転で銀座へと向かった。今日のハルは色の濃いサングラスをかけ、花柄をあしらった白の薄手のニットに、落ち着いたベージュのパンツといったいでたちで、首には淡い朱色のスカーフをふんわりと巻いていた。
「どうしてサングラスをしてるんだ。それに昨日とはずいぶんと違う服を着ているじゃないか」
稲水がたずねるとハルは笑った。
「私の目は特殊でな、殺人者を見ると赤く発光してしまうんだ」
「そうなのか? だから、あの時……」
暗闇の中で
「ああ。いきなり目が光ったら不審者あつかいされるだろうが。田舎より人の多い都心では警戒しないとな」
「大変だな」
稲水は思う。ならば朝子殺しの犯人も見つけやすいだろうと。
「それに服装も田舎では田舎なりの、都会では都会なりの配慮が必要なんだ。ましてや私は、東京じゃ大金持ちのお嬢さまという設定だからな」
「TPOってやつか」
「ああ。稲水も学べよ」
「はいはい」
まずふたりは一流紳士服専門店に立ちより、オーダーメイドのスーツを三点と、シャツやジャケットなどを多数購入。即日に一着ほしいのだとハルが
どの店もすいていて、待たされることなく順調にすすみ、稲水は当人の意志にかかわらず、みるみるうちに洗練されいくようであった。その上で彼女は稲水に、やはりブランド物のサングラスをわたした。
「なんで俺まで?」
「髪がボサボサのままなら気づかれにくいが、今のおまえの顔はゴシップ週刊誌やネットで流れた妻殺し、疑惑の夫の顔だ」
「だったら、どうしてカットさせたんだ!」
「むさくるしい男は好みじゃないんだ」
「趣味かよ!」
支払いはすべてハルのカード決済であった。いわれるがままの稲水は、たかだか数時間で一生分の買い物をしたような気分になって、あまりの金額の法外さに恐怖感すらおぼえていた。しかもすべてカード決済、一回払いである。
「ハル、戸籍も住民票もあるはずがないのにクレジットカード、どうやって作ったんだ?」
「作ってなどいない。オーストラリア在住の大富豪で、
「長いつきあいね……」
「ああ。だがじじい、そろそろくたばるかもしれない」
「そうなったらどうするんだ?」
財産は親族か国庫にわたるはずである。
「なーに、別の金持ちをあたるだけだ。十人ていどならば、もう目星をつけてある」
「抜け目ないな」
「当然だ。私が何百年生きていると思っている」
午後二時すぎ、ふたりは高級更科そば店で昼食をとり、ふたたび紳士服店にもどった。約束どおり肩幅や丈を仕立て直したスーツが一着できあがっていた。ほかのオーダーメイドの方は一週間ほど先になるという。
「ふん、馬子にも衣裳だな」
試着室からでてきた稲水に声をかけたハルは、店員に元着ていた服を捨てさせ、店から出ると駐車場へとスタスタ歩きはじめた。
「これで安心してホテルへもどれるか」
稲水がほっとしたようにいうとハルはうなずき、しかしピシャリといいきった。
「帰る前に仕事だ。
東京都渋谷区のコインパーキングに車を止めさせたハルは、繁雑な表通り、若者の街へと向かうことなく、銀座の酒屋で購入した一升瓶を片手に、さびれた裏道を進んでいく。後をついていくしかない稲水。
「ハル、銀座でも思ったんだが、ここ渋谷だろ? やけに人が少なくないか。道もガラガラだし」
「わからないのか?」
「ああ」
「一年前に現れた蛮夫のせいだよ。浦島太郎」
「蛮夫か……」無差別猟奇殺人鬼、蛮夫。コロナウィルスのまん延どころではあるまい、不要不急の外出を人々が避ける理由は。「だから昨日、検問をやってたのか」
「ああ、警察も必死なんだろうよ。一年も犯人を野ばなしではメンツ丸つぶれだからな」
「どうりで都心までの高速もすいてたわけだ……」
誰だってあんな化け物がいる街へなど、足を運ぼうとは思うまい。
「おかげで東京都内の逆経済効果はバッチリだ。知ってるか、今、都内の飲食店や個人商店、コンビニ、チェーン店ですらバンバンつぶれているんだ。政治、金融の拠点を大阪へ移そうという話まで出ている。蛮夫、はた迷惑な野郎だよ」
「まったくだな……東京がそんなことになってたなんて」
「稲水、いい大人なんだから少しは社会情勢にも目を向けろ。みっともない!」
「はい……」
高価なスーツに身をつつんだ稲水は、みすぼらしい少年のように小さくちぢこまった。
(つづく)
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