第1章 遭逢(そうほう) 4 ハルとの契約
「江戸時代というのは、どういうことなんですか?」
「敬語はいい、普通に話せ。あと一年間はバディとなるのだから」
「あ、はい。いや、わかった」
「私がヴァンプになったのが江戸時代だったからだ」
「元々は人間だったってこと、です、なのか?」
「ああそうだ。いたって普通の町娘だった」
「八百屋の娘?」
「あん? 『八百屋お七』か? あれは私をモデルにした戯作者の創作話だ」
「ああ、そう。どうして普通の女がヴァンプになったんだ?」
「興味があるのか?」
「そりゃ……まあ」
なぜ人を喰ったり、空を飛んだりできるのか。稲水には理解がおよばない。
「ま、いろいろとな。が、内々の事情はあまり話したくないな」
むくれたように下唇を突き出すヴァンプ。ここで彼女の機嫌をそこねるのは得策ではないと稲水は判断した。
「じゃ、ひとつだけ。ヴァンプになったのは、だいたい何年ごろの話なんだ?」
「
「十七? 若いな」顔こそ楚々とした少女のようであるが、豊満な胸や物腰から、稲水はもっと大人の女性であると──それどころではない!「はぁ? 一六〇〇年代から何百年も歳をとらずに生きているってこと? え? 一六〇〇年て関ヶ原の戦いの年?」
「そうだ」
当然であると顔色ひとつ変えずにこたえるヴァンプ。
「それも……信じることにするよ」
「そうしておけ」
思考は追いつかないものの、うなずいてみせる稲水。そんなあわあわとする彼にヴァンプが聞いた。
「稲水、妻殺しの犯人を捕らえたらどうするつもりだ?」
「……もし犯人を見つけたら、俺はその場で殺す。胃や肛門にガソリンを流しこんで、生きたまま焼き殺す。となれば俺も立派な凶悪殺人犯だ。ヴァンプ、俺の生き血をすすり、肉を喰らえ。俺を砂山にしろ!」
「ふん、おもしろい」
「タイムリミットは一年だな」
「一年後、私は稲水を喰うか……うまいこと、熟成しろよ。筋金入りの悪党にな」
「契約成立でいいか?」
「いいだろう」
「ただヴァンプ、一年間は俺たちバディなんだろ?」
「そうだ」
「どう見ても日本人にしか見えない、筋金入りの美人のあなたを、人前でヴァンプと呼ぶのは不自然な気がするんだが」
「美人? まあ、そうだな」
風呂上りで頬が紅潮し、ぬるくなった緑茶を飲みながら小首をかしげてみせるヴァンプはあまりにも美しい。
「江戸時代、人だったころの名前はなんだった?」
「お
「おハルか。では、俺はハルと呼ぶがそれでいいか?」
「よかろう。立場としてはどうする? 私はおまえの恋人か? 嫁か? 妹か?」
「……妹にしよう」
「はん。現代人の考え方では近親相姦は悪党への第一歩だからな。それも悪くない」
「俺はハルと寝る気はない」
「どうかな? 私と一年をすごして堪えられるかな? 私に欲情したんだろ?」
「自信がないといったろ」
「いいだろう。ならば私は一年以内におまえを
「……いいたくはないけど」
「いえよ」
「人として、最低限……妖怪変化とは寝る気にはなれない」
「そういうことか。ふん、生意気な。プライドだけは一人前か」
「そんな大そうなものじゃない。それと……」
「はん? なんだ?」
「知っておいてほしいんだが、俺には朝子が殺された日、その前後の記憶がない」
「記憶がない?」
「ああ。事件が東京であったのが深夜0時前後、俺は九州の熊本で午前四時ごろ断崖の中腹にすっ裸で倒れているところを発見され、救助されたらしい。俺の身許がわかるような物、財布とか免許証なんかも一切合切、盗まれていた」
「アリバイは確実だが、身ぐるみはがされてつき落とされたようだな。朝子の事件と関係があるのか?」
「それはわからない」
「ふむ、頭を打って逆行性健忘になったのか」
「なんであの日、熊本にいたのかも判然としない。それから半年近く俺は行方不明者になっていたんだ。だから一番の容疑者にされた。妻殺しの逃亡犯ってね」
「半年も入院していたのか」
「崖からつき落とされたんだぞ」
「それもそうか……しかし稲水、なんだか目に精気がもどってきたようだな」
「そうかい?」
なんとなく自身の頬、無精ひげをなでる稲水。
「そうさ、悪くないぞ。死んでるみたいに生きている男なら興味も半減するからな」
「イキのいい奴がヴァンプのお好みか……」
「ああ。今からワクワクするな。おまえを喰らう日が楽しみだ」
「期待しててくれ」
唇をゆがめて笑う稲水であった。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます