秘密の話

 その日の夜。夕飯を食べ終え、食休みを挟んで、時間があまり遅くならない内にあかりが一番風呂をいただきに行く。


 しずくは、この時を待っていたのだ。


香苗かなえさん、少し話があるんだけど……」


「しずくちゃん? どうしたの? なにか困りごと?」


 食器の片付けなど、一通りの家事を終えた香苗は、リビングのソファでテレビを観賞中だった。非常にリラックスしている様子が見て取れるが、しずくに声をかけられると、ゆっくりと姿勢を正して目を合わせる。


 くつろいでいるところを邪魔して申し訳ないという気持ちはあるが、今を逃してはまたずるずるとタイミングを引きずってしまう。打ち明けるのなら早いうちがいい。


「えっと……驚かないで聞いてほしいんだけど」


「うんうん、なにかな?」


「わたし……いや、俺は、晴崎はれさき幸雄ゆきおなんだ。あなたの……晴崎香苗の夫の」


「…………うん?」


 ずばり単刀直入。あまりにもどストレートなカミングアウト。


 これ以上ないほど端的に現在のしずくの状態を表した一言ではあるが、端的すぎて全く伝わっていない。海の底に向かってボールを投げ込んでいるかのような手応えのなさだ。


「そりゃそうだよね……急にこんなこと言われても信じられないよね。でも、ひとまず何も聞かずに俺の話を聞いてほしい。昼にあった出来事を、覚えてる限り全部話すから」


 しかし、そういう反応が返ってくるのは想定済み。それに対する解決策は、多少長くなってしまったとしても、あった事実をひとつひとつ説明していくことだけだ。


 パトロール中に謎の怪物が現れたこと、それと戦って倒す力を持った美少女の正体が娘のあかりであること、その怪物を使役する青年に何かをされたこと、目覚めた時には少女の姿になっていたこと……ところどころ、細かい部分は省略もしたが、大事な部分は確実に伝えたはずだ。


「……それを聞いても、まだ頭が理解を拒んでるよ。流石に実感がなさすぎて」


「何を言っているのかわからないと思うけど、俺自身も何を言ってるのかわからないから、お互い様ってやつだ。ただ、今言ったことは、全て現実に起きたことなんだ。どうか信じてほしい」


「そうは言われても……ねぇ。信じてあげたいのは山々だけれど……」


 やはり当事者と、その話を聞いただけの者では、認識に差が生まれるのは当たり前のことだ。このような突拍子もない内容の話を、そう簡単に信じられるはずもなく。


 それでも香苗としては、半々くらいの気持ちにはなっている。何故なら、しずくが知るはずのない情報……幸雄が警察官である、ということを知っていたから。他にも、幸雄として喋っている時の、喋り方のクセ。顔は雨宮あめみやしずくのものでも、どこか幸雄の面影を感じていたのだ。


「……結婚記念日は8月3日」


「え……?」


「初デートは虹ノ原自然公園、プロポーズはゴールデンスカイタワー35階の高級フレンチレストラン。初めて俺に買ってくれた誕プレはブランドもののネクタイで、君のお尻の左側には三つ並んだホクロがある」


「え、え、えぇぇ……⁉︎ な、なんで、そんなことまでぇ……!!」


「……これで、信じて貰えただろうか」


 幸雄と香苗、夫婦しか知らないはずの思い出。それは、しずくの姿になった今でも、はっきりと胸に刻まれている。……どさくさに余計なことまで口走ったが。


 香苗もこれには動揺を隠せない。顔を赤くし、あかりの前では決して見せない慌てふためいた表情だ。


 しかし、そのおかげで香苗は、しずくの話に確信を持てたのである。


「こんな話までされちゃあ……信じるよ。ていうか、幸雄さん以外にこの秘密が漏れてると思いたくない」


 なんだか気恥ずかしくなって、まともにしずくの顔を見れなくなってしまった。中身は夫だとわかっていても、やはりどうしても若干の抵抗は残る。


「それで、あかりはこのことを知ってるの? しずくちゃんが、自分のお父さんだってこと」


「いや、知らないはずだよ。それに、このことはあかりには言わないでほしい……きっと、責任を感じて、自分のことを責めてしまうだろうから」


 もちろん、今の状況を招いたのはあのルシフェリオという青年で、あかりに悪いところなど一切ない。


 だが、自分が彼と戦い、関わってしまったことで、家族を巻き込んだ……と、考えてしまっても不思議ではない。あかりは、そういう考え方をする優しい子なのだ。


「ただでさえ、変身して得体の知れない怪物と戦ってるってのに、余計なプレッシャーを与えたくないんだ。頼むよ」


「それは構わないんだけど……幸雄さんはそれでいいの? あかりが変なのと戦ってることについては」


 あかりが家族にさえ隠そうとしていることを、こちらからつついてわざわざ明らかにしないようにする。それに対しては香苗ももちろん賛成だが、やはり気にかかるとしたらそこだろう。


 娘が危険な目に遭う、どころか自ら率先して戦いに身を投じているなど、親としては到底受け入れられるものではない。香苗の心配は、親として至極当然だ。


「もちろん、俺としても良くはないよ。できることなら、あんなことさっさとやめさせたい……けど、現状あの怪物を倒せるのもあかりだけ。街の破壊活動を知った上で放っておくことは俺にはできないし、それはあかりも同じだと思う……だから、俺個人でも何か動いてみるよ」


「何かって……今のあなたに何ができるの⁉︎ あかりはもちろんだけど、あなたのことも同じくらい大切なんだよ……!」


「無茶はしない。元に戻るため、いろいろ調べてみるだけさ。あかりのことも、どうか俺に任せてくれないか。きっと上手くサポートしておくから」


 危険は承知の上。しかし、これだけは譲れない。何故ならこの件、なるべくなら当事者以外を関わらせたくない……と、幸雄は考えていた。


 公権力に頼ろうにも、怪物相手に警察はおそらく無力。太刀打ちするには自衛隊でも引っ張ってくる必要があるだろう。その自衛隊すら、怪物と渡り合うためには大量の兵器類を投入することになるだろう。街中でそんな規模の戦闘が発生すれば、却って被害が増す。


 それに、なんとか倒せたとしても、きっとそれは根本的な解決にならないのではないか。幸雄の、あるいはしずくの直観が、そう言っていた。


「とにかく、この件は他言無用で頼むよ。……あ、あと最後にひとつ」


「ん、なぁに?」


「俺、仕事中にこの姿になっちゃったから、署内では急に消えたことになってると思うんだよね……職場には、香苗の方からうまく言っておいてくれないかな……?」


 ある意味では、街の怪物騒ぎよりもこちらの方が懸念である。事情を知らない者からすれば、晴崎幸雄は無断早退に変わりないし、明日からの仕事もこの姿では不可能。


 つまり、早期に元の姿に戻れなければ、最悪の場合失職もあり得る。なんの目処も立っていないことを考えれば、そうなるのが妥当な結末だろう。


「わかった。そっちはなんとかしておくよ」


「うぅ、ほんとごめんな、香苗……家のローンだってまだ残ってんのに、働けなくなっちまって……」


「幸雄さんのせいじゃないんだから、気にすることないよ。こんな時だからこそ、私が支えないとね」


 ああ、自分はなんていい妻を持ったのだ。どれだけ感謝してもしきれないし、感動のあまり泣きそうになる。


 この恩には必ず報いねば。そして、一刻も早く晴崎幸雄としての生活を取り戻し、大黒柱としての役割を全うする。改めて目標を再確認したのである。


「お母さーん、しずくちゃーん! お風呂上がったよ〜!」


 浴室の方向から聞こえていたのは、元気よく報告するあかりの声。思っていたよりも長く話し込んでしまっていたらしい。


「はいはい、今行くよ〜! しずくちゃん、先にお風呂行っておいで」


「あ……はいっ、先にいただきますね」


 そしてその声をきっかけにして、すぐに気持ちを切り替える。秘密を共有する夫婦ではなく、娘の友達と、友達の母という、微妙な距離感の関係性に。


 この調子なら、あかりにしずくの正体を隠しながら、うまくやっていけそうである。

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