晴崎家の母

 どれほど眠っていただろうか。ぱちっと目が覚めて、反射的に枕元の目覚まし時計を確認する。


「……1時間くらい寝てたのか」


 やはり、気絶から起きて間も無くの二度寝だったため、そこまで深い眠りではなかったらしい。それでも、1時間はそこそこ寝ていた方だとも思うが。


 だがそのおかげか、ずいぶんと頭がすっきりしたように感じる。とは言え、また似たようなことになると面倒なので、今後は家族やら住所やら、雨宮あめみやしずくとしての経歴のことを考えるのは控えよう、と心の中で決定した。


「あれ、あかりは……?」


 と、そういえば部屋にはあかりの姿が見えない。流石にコンビニまでの往復に1時間はかからないはずなので、帰ってきてもいいはずだが。


 しずくに気を遣って部屋に入ってこないのか、あるいはまた怪物との戦いにでも巻き込まれているのか。


 もし後者だとしたら、それは父、晴崎はれさき幸雄ゆきおとしては見過ごせない事態だ。今このか弱い体で何ができるわけでもないが、かと言って大事な娘が危険に晒されているのを、黙って見ていられるはずもない。


「あかり……!」


 その可能性を考えると、居ても立っても居られない。部屋を飛び出し、早足で階段を降りる。


 そこで、リビングから話し声がすることに気がついたのだ。


「……やっぱり、しずくちゃんは、気を失う前の記憶を失くしちゃってるのかな」


「そうかもしれないエル……しずくを見つけた時、近くにルシフェリオがいたエル。ルシフェリオがしずくに何かをした可能性は高いと思うエル!」


「エルエルもそう思う? くっそー、ルシフェリオったら……みんなの〝欲〟からヨクボーイを作り出して迷惑かけるだけじゃなく、しずくちゃんの記憶まで消しちゃうなんて……許せない!」


 話し声のひとつは、確実にあかりのものだ。もうひとつの声は、聞き覚えがない。あかりが友達と通話でもしているのだろうか。


 いや、だが確かに、ルシフェリオの名前を出しているのは聞き取れた。つまり話し相手は、確実にそれに関連する人物だろう。


 ひとまずはあかりが家にいることに安心はしたが、どうも中に入りづらくなってしまった。自分のことに関する話なので、その内容は気になるのだが、このまま盗み聞きを続けるのも少々気が引ける……。


「ただいまー」


 と、その時ちょうど、帰宅時の挨拶とともに玄関のドアが開かれた。


 とどのつまり、晴崎家のもう一人の住人……あかりの母で、幸雄の妻。晴崎香苗かなえが、帰ってきたのである。


「あっ……」


「ん? あれ、あなたは……? あかりのお友達?」


 しずくと香苗は、しっかりばっちり目が合った。しずくとしては全くの初対面であるものの、幸いなことにあかりの友達と認識されたため、全く怪しまれてはいないようだ。


 しかし、娘と同じ年頃の少女として自らの妻と初対面をやり直すことになるとは、なんとも言い難い変な気分である。妙に緊張してしまい、どうしても言葉が詰まってしまった。


「お母さんおかえり! あ、しずくちゃん! よかったぁ、もう体調は大丈夫そう?」


 母のただいまを聞いて、出迎えるためにあかりもリビングから顔を出す。


 どうやら誰かとの話はもう終わったようだ。もしくは、母の帰宅で慌てて話を打ち切ったか。今この状況においては、そのどちらでもさほど違いはないが。


「う、うん。体調は、もう大丈夫……ありがとう。あの……はじめまして、あかりちゃんのお母さん。わたしは、雨宮あめみやしずくって言います」


「礼儀正しくていい子だねぇ。こちらこそはじめまして、しずくちゃん。あかりの母の、晴崎香苗です」


 深々と頭を下げながら、香苗に対して自己紹介。以前の姿ならともかく、今の外見年齢からすると香苗は目上となるので、失礼のないようにと考えた時、自然とこうなった。


 その甲斐もあってか、第一印象は悪くなさそうだ。いや、元々香苗は人当たりが良い人物なので、そこに対しての不安は最初からなかったが。


「ねぇ、しずくちゃん、ちょっと来て! お母さん、後で話があるから、少しだけリビングで待ってて!」


「え、うわわっ……⁉︎」


「はーい、しずくちゃんと仲良くするんだよ」


 挨拶も済んだところで、あかりはしずくの手を引いて階段を登る。いきなり手を握られたので、しずくは少しびっくりしながらも、特に抵抗することもなく再び二階へと戻っていく。


 そんな二人の姿を、香苗は微笑ましそうに見送ったのだった。

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