汚い本能

伊島

 

 ギシギシ――……ぐちゅぐちゅ――……ギシギシ――……ぐちゅぐちゅ――……


 嬌声の中に混じり合う小さな軋みと、まとわりつく粘り気をかき回す音が僕の鼓動を少しずつ早めていく。

 伝わってくる生温かさに思わず蕩けてしまいそうになる。

 吐息が僕の鼻腔まで届き、甘く刺激的な匂いが脳にまで響き渡る。

 込み上げる苦しさの快楽が、僕の”本能”を痛いくらいに膨れ上がらせる。


山崎やまざき


 僕が寸前、僕の名前を呼ぶ担任の男性教師の声によって現実へと引き戻されてしまう。


「大丈夫か?その……周りと馴染めていないようだが……?」


 担任の何の取り繕いもない言葉に、逆にこちら側に罪悪感が生まれてしまう。


「……別に大丈夫です」

「だが……」

「本当に大丈夫なので。それじゃあ……」

「お、おい山崎!」


 引き留める担任を無視して僕は強引に話を終わらせる。

 担任に呼び出されてからかなりの時間が経っていたようで、廊下の窓からは茜色が差し込んでいる。

 早く帰ろう。


 僕は自分の在籍するクラスに戻ると、扉を開ける。

 空席だらけの普段と違う景色の教室に、一人の少女の姿が見えた。

 幼馴染の美咲みさきだ。


「あ、浩人ひろと


 美咲は僕の姿に気付くと、足早にこちらへ近付いてくる。


「か、帰ってなかったの?」

「うん。部活がなかったから、久しぶりに浩人と一緒に帰ろうかなって」

「そ、そっか……」


 僕は美咲のことが少し苦手だ。

 可愛くて、明るくて、優しい……そんな美咲のことが苦手だ。

 キーンコーンカーンコーン――……と、最終下校時刻を告げるチャイムの音が学校中に響く。


「じゃ、帰ろっか」

「う、うん……」


 僕と美咲は会話もないまま一階まで降り、靴を履き替えて外に出る。

 校門を抜けた辺りで美咲がゆっくりと口を開く。


「あのさ……浩人は、セックスってしてみたい……?」

「え……?」


 美咲の瞳には穢れのない純正の疑問だけが映っていた。


「私の友達、みんなそういう話をしてて……それで、浩人はどうなのかなって……」


 ぽつりぽつりと小さくこぼす美咲の横顔は、夕日が反射して陰になっていた。


「僕は……そんなこと……出来ないよ……」

「何で?」


 僕からこぼれ落ちた言葉を、美咲が掬い上げる。


「だって……僕は陰キャで……キモいし……」


 ああ……蘇ってくる。

 クラスメイト達がぶつけてきた数々の言葉。


 『キモイ』

 『近づくな』

 『死ね』

 『菌がうつる』


 何年も何年も何年も……ずっと晒され続けてきた言葉。


「……そんなことないよ」


 美咲の言葉が僕の鼓膜を突き破り、脳みそを嫌ってほどに揺らす。

 ひび割れていた僕のが、完全に壊れた音が聞こえた。


『だって……私は……私は浩人のこと……』


 続く言葉に惑わされて、いつの間にか美咲を押し倒していた。

 静かなアスファルトの上に、僕と美咲の二人だけ。

 まるで全て消え失せた世界のように。


『いいよ……浩人のなら……浩人になら……』


 頭がチカチカする。

 心臓の奥の奥がゾクゾクする。

 僕の”本能”が疼き、痛がっている。

 美咲……美咲……。


『嬉しい……』


 美咲がないている。

 美咲を貪れば貪るほどに、苦しくなっていく。

 やがては気持ちよさと混じり合い、苦しみもどんどんと加速していく。


「美咲……美咲……美咲っ……」


 やっとの思いで苦しみから解放される。

 部屋の豆球と汚れた手のひらが僕の罪悪感を明確にしていく。

 やっぱり……美咲は苦手だ。



◆◇◆◇◆



 二年後――……。


「えー!?マジで!?」


 甘ったるくて甲高い女子の声が僕の耳をつんざく。


「美咲、マジで竹澤とヤッたの!?」


 彼女の名前を聞いて、僕の身体がピクッと反応してしまう。


「しーっ、ちょっと声大きいって」


 紛れもない美咲の楽し気な声が僕の心を蝕んでいく。


 違う違う違う違う違う。

 大丈夫……大丈夫だ……。


 ずっと……ずっと僕の物なんだから。


 美咲はずっと……僕が汚し続けているんだから。


 僕だけがずっと……。

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汚い本能 伊島 @itoo_ijima

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