第11話

 旭が体の疲れも無視して一生懸命に働いている間、かなたは毎日小唄と一緒に登下校をともにした。最初はぎこちなかった小唄も慣れて、笑ってふざけるようになった。小唄はふざけながらも、かなたの顔はまともに見れなかった。それは恥ずかしいためだった。彼女の眼に自分がどう写っているかみるのが怖かった。その何の曇りのない真実に出会うのが嫌で、彼は笑いに夢中な不利をした。ときどき目が合うと急いでそらし、気分を害されないように、ふざけたことを言って笑わせてご機嫌をとった。

 二人で学校に入ると、一人の顔見知りの生徒が彼らをみて言った。

「顔真っ赤だぜ! そんなに好き好きビームだして恥ずかしい奴だな」

 それを聞くと、小唄は傷ついたように俯いた。自分のことを言われたと思ったのだ。なんせ、頬からあがってくる熱気を眼に感じたので、自分の顔が赤いのが彼にもわかっていて、後ろめたかったのだ。こんなにも緊張してかなたを愛している気持ちが彼女には重かろうと思ったのだ。

 泣きそうな顔をしていると、かなたはそっと小唄の腕に手を添えて、

「赤くなんか無いわ」と気休めを言った。

 分かっているんでしょう。俺が君を好きなこと。小唄は思った。赤くはないって言うのは彼女がそうあって欲しいと望んでいるからだ。彼女は俺なんかが発情しているなんて認めたくないんだ。彼女は俺らの間に、恋愛とか言う嫌らしいものがないことを願っているのだ。だからそんな言葉がでたのだ。

「俺さ」

 小唄はかなたの手をとりぎゅっと痛くない程度に強く握って言った。

「かなたのこと好き」

 かなたがどんな顔をするのか見たかったが、小唄は視界が涙で潤んで見えなかった。なぜ涙なんて……。それは小唄が極度に怯えて震えているために、その弱さが涙になってあらわれたのだ。もしかしたら冷たいかなたの目が、同情的な彼女のめが自分を射るのではないかという不安が彼に胃を締め付けるようにして襲いかかっていた。

「恋愛的な価値観で好きなんだ」

「どうして好きなの?」

「可愛いから。かなたのすべてが可愛いから」

 笑おうとして涙がこぼれた。こんなにも緊張し、ストレスを感じている。彼は思った。なんで告白するんだ。やめときゃよかった。こんなみっともない姿見せるよりだったら。否定的に自分を痛めつける言葉を考えると、よりいっそう涙がこみ上げてくる。

 小唄は下を向いてばれないように涙を指ではじくように拭いた。

 かなたはこんなにも怯えて震え泣く青年を気の毒に思った。恋の綱渡りである。極度の緊張。かける言葉次第で、彼を苦しめもし歓喜させもする。死と生である。もし何かまずい言葉をかければ、彼は深く傷つく。絶望が彼を殺すのだ。下手なことはいえないとかなたは思った。

「まあ……そう……」

 返事がそれだけだったので、小唄は死ぬほど緊張して耳を傾けている自分が馬鹿に思え、自嘲的にふっと笑った。其れを見て、かなたは笑えるなら大丈夫そうねと思い、

「私、よく考えたいの。しばらく考えさせて」と言った。かなたの頭には沙代の顔がちらついた。何でも親友の彼女に相談したいのだ。私はどうすべきだろう。かなたは自分のことを自分では決められなかった。

「しばらくって、明日まで? 明日には返事をもらえるの?」

 小唄は身を乗り出して泣きそうな笑い顔をした。笑い顔と言っても、歪んでいて、ほとんど笑いに見えない。

「一週間」

「え? そんなに待てないよ」

「じゃあ、明日で良いわ」

「うん」

 教室にはいると、かなたは小唄と離れ、沙代の姿を探した。騒がしい生徒の声の中、埋もれるように、沙代は静かに自分の席に座っていた。彼女は漫画を読んでいた。

「沙代」

 かなたが声をかけても、沙代は最初無視した。沙代はかなたがそばに来て自分を呼んだのに気付いていたが、返事をするのが腹立たしかったのだ。嫌いだ。沙代はかなたをこう思った。

「沙代ったら」

 二度目に呼ばれると、無視できないような焦燥を沙代は感じた。どうして嫌いなのか、突き詰めると、小唄に行き当たり、その沙代の心の秘密の思いを知られるのは恥ずかしいのだった。沙代は秘密を隠すために、怒りをおしこめなくてはならなかった。

「何」沙代は目をぎょろりと剥いて、唇をひきつらせた。嫌悪が表情にあらわれた。しかし、すぐに沙代は今の自分の表情がうまくないことに気づき、とりつくろった。

「ごめん。漫画の世界に入り込んでたみたい。で、なに」

 胃を絞られる思いで、沙代は優しい微笑を浮かべて、はははと笑いながら机に置かれているかなたの手に自分の手を重ねた。

「相談したいことがあって」

 かなたは沙代の耳に口を寄せて小声でささやいた。

「小唄君に好きって言われたの。でも私どうしたらいいか。なんて答えたらいいのかなって。私は別に好きでも嫌いでもないの。これから好きになるかもしれないし。明日までに返事をしないといけないの。ねえ、なんていったらいいかな」

 沙代は頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。

「あいつが告白したの?」

「そうよ」

「そりゃどうしたらいいんだろうね。そうだね……」

 ねえ、嫌いって言ったら。そういいたかった。沙代はかなたが小唄を振ればいいと思った。しかし、小唄の気持ちを考えると、小唄を悲しい気持ちにするのが沙代ははばかれた。小唄の為に親切にしたい自分が、自分の気持ちを裏切る。

「あいつは良い奴だよ。つきあいなよ。損なんかしないよ」

「でも」

「ね、あたしのためにも付き合ってよ。あいつどれだけあんたを好きか。あんなにも愛してくれる人なんて他にいないと思うよ」

 親友として口当たりの良い言葉をはいて、沙代は良い人面した。そうしないと自分の気持ちに気付かれると思ったのだ。報われない恋をしている自分をかなたに馬鹿にされるのだけは嫌だった。だから隠し通さないといけなかった。胸がズキズキ痛かった。小唄のために好きな男のために自分を地獄に突き落とすようなことをするのは苦しい。二人で幸せになってはほしくなかった。しかし、小唄のためと思えば、彼女は自分の引き立て役の役割を演じられた。それは心がものすごく苦しくなることだったが、かなたを前にすると、馬鹿にされること怖さに、しっかり仮面をかぶれた。

 本当言うと、二人の男女の関係性を破壊したかったけれど、面と向かってそうするのはやりにくいのだ。沙代は自分を良い人として見られたかったのかもしれない。これまで親友としてやってこれたのだから、それを続けるのは義務みたいなものだ。

「でも私……」

「大丈夫だよ。かなたもあいつといる内に自然と好きになるよ。好きになんないのはおかしいよ。それほどあいつは良い奴だかんね」

「でも今は好きじゃないのに、本当に好きになれるかしら。人としてじゃなく恋人として」

「そんな深く考えなさんな。結婚する訳じゃないし。ただの恋人でしょ。彼氏だよ。上手く行かなかったら別れればいいだけ。付き合ってみなよ」

「そうだね。そうしようかな。じゃあ、OKの返事するね」

「う……うん。しな」

 沙代は心臓が凍り付くようなぞっとする寒気を感じた。のどにつららが生えて、飲み下すと痛かった。冷たい寂しさが彼女の身を包み込む。沙代はかなたの顔をじっと見つめた。黒く濃い形の良い眉、大きな目に、すっと通った鼻筋、可愛い唇。可愛らしいわ。体だって華奢でついつい守りたくなるの。沙代は自分の太い足を見下ろした。どうしてあたしは愛される容姿じゃないのだろう。かなたのようだったら良かったのに。

「でも、私……なんだか、本当にっ、嫌だわ……気が重いわ」

 かなたは苦しげに眉をよせ、グチっぽく口をとがらせ言った。

 すると、沙代は頭がかっとなった。

 嫌だって? 愛されるだけ光栄なのに、嫌だなんて、やらしい人! なんて贅沢な女だろう。あたしが欲していた人を、かなたは唾を吐いて嫌悪する。酷い酷い、あたしがどんな思いで譲ったと思っているの?

 浅く呼吸しながら、沙代は刺すような冷たい眼でかなたを見やった。その嫌みな眼にかなたはびっくりした。そして、取り繕うように言った。

「私ってなんでも自分で決められないのよね。あなたに頼りきりでごめんね」

「いいの」

 沙代はさっと目をそらし、怒りを心の奥底に封じ込めた。息をはくと、震え、自分が興奮していることが分かった。

「問題ないよ。何もかも上手くいくから、頑張れば、それなりに」

 自分に言い聞かすように沙代は言った。

 不機嫌そうな沙代をみて、かなたは不安になった。

「ねえ、沙代、もしかして、あなた小唄君のこと好きなんじゃないの」

 そういうと、沙代はびっくりして眼を見開き、同時に顔を赤くし、狼狽えたように手で顔を隠した。

「ねえ、沙代。どうなの」

「違う」

「本当に?」

「違うってば」

 沙代は涙目に睨みつけて、強い口調で言った。すると、かなたの方は怯み、其れ以上追求して怒らせないように優しい口調でいった。

「あなたが小唄君を好きなら、私だって無理して付き合うとか考えないわ。だって、私のほうでは別に好きでも何でもないんだもの。そうだよ、二人で、あなたと小唄君で付き合っちゃえばいいのよ」

「何も分かってない」

 沙代は怒りに顔を歪ませて、歯ぎしりした。

「小唄はあんたを好きなの。あたしじゃないの。あたしだって……好きじゃないし、だから、その、小唄の幸せを考えて、それから、あんたの生活……あんたを守るために彼は必要でしょ。あたしじゃないから。あたしはそうよ、好きじゃないもの。絶対そう。あたしのことは考えなくて良いから、あんたは小唄と付き合ってやって、お願いします、本当にお願いします」

 自分でも好きと気付いていないのかしら。ばればれだわ。かなたはしどろもどろな親友をみて思った。

「私、やっぱりよすわ」

「嫌だよ。そんなこというなら、あたしあんたと絶交するから」

 二人はにらみ合った。

 沙代は炎のような熱い怒りと、憎しみに目を見開き、眉をしかめている。熱烈な視線がかなたを射すくめる。かなたの方は呆れと優しさで悲しげな顔をしていた。

 ふいに沙代はけたけたと気が狂ったように笑い出した。

 彼女は自分が傷つく未来を予想して、心にひびが入ったのだ。

 かなたは驚き、呆気にとられたように親友の様子を見ていた。

「ねえ、かなた。あたし心からお願いするんだ。小唄と付き合って。そしたらあたし……」

 沙代は言いよどんだ。あたしはどうするつもりだろう。もしかしたら、あたし、壊れるかもしれない。仲の良い二人をみて、壊れるかもしれない。いやなのに、あたしの大事な心の中に触れられまいと、大切な人を他人に渡して、自分の心がほっておかれる安心が欲しいのだ。

「そしたら、あたし、凄く嬉しいなって」

 ひきつったような笑みを浮かべて沙代は言った。あたしの気持ちから身を背けることだ。それがあたしを幸福にする。

「本気で言ってる?」

「そう」

「ねえ、気を使っているのかもしれないけれど……」

「馬鹿だねえ。付き合っちゃえばいいのに。何を気にしているんだろう。あんたは大馬鹿だ。誰よりも馬鹿だ」

 かなたはそういわれるとむっとした。しかし、そんな悪口を言った沙代は、ちょっと触れたくらいで泣き崩れそうな顔をしているので、かなたはあえて怒りをのどの奥に押し込めた。気の毒になったのだ。

「私やっぱり付き合わないわ。やめるわ。だって好きじゃないんだもの。そういう気持ちがないのに付き合うのは相手方に失礼でしょう」

「そういう考えをしているから良い物をとられて損をするの。小唄はすごいのよ。すばらしいの」

「そう思うならあなたが付き合えばいいのに。私には良さがわからないもの。優しいのはわかるわ。でも沙代ほどわかっちゃいないんだから」

「小唄はあんたが好きなんだよ」

 沙代の眼は必死で、涙の膜にきらきらと潤っている。

「かなたは馬鹿だね」

「あなたほどではないわ」

 かなたは沙代を抱きしめようとしたが、沙代は傷ついた獣のように乱暴に、かなたの手をはねのけた。そして、彼女はかなたに背を向けると歩き出した。

「どこいくの」

「保健室。具合悪い」

「沙代」

 沙代は振り返る。

「かなた。一生のお願い。小唄を幸せにして。小唄が欲しているのはあたしじゃなくてあんたなの。わかるでしょ」

 そういうや、沙代は駆けだして、かなたの目の前からあっという間に姿を消した。かなたは嫌なことを引き受けたと思って重い心で呆然としていた。

「やっぱり、付き合わない方がいい。変な恨みをかいたくないもの」

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