第6話

 取り調べが終わり、朝になった。拘置所の中で目を覚ますと、明かり取りの窓からかすかに青い空が見える。そこから白い光線が部屋の中に伸びていた。光りの中にはよく見ると、小さな埃がきらきらと舞っている。旭はトイレをすまし、その臭いにおいのする中で粗末な朝飯を食べた。

 足を伸ばし、横になって天井を眺める。憂鬱で胸がふさがっている。

 とんでもない悪人だと世間は思うだろう。でも、俺は違う。救いたかったのだ。あたまの弱い彼女は自分ではわからないから、俺が見限って教えてやったのだ。

 かっと見開いた目から涙がこぼれる。

 自己弁護、言い訳、独りよがり。馬鹿馬鹿しい。

 旭は、あはははと笑った。

 自分の人生にだけ執着していればいいのに、他人の人生にとやかくちゃちゃを入れたがるのは愚か者の証である。自分では何もできなくて、人にありがたがられたくてほめられたくて他人の人生の主導権を握ろうとする旭は馬鹿者である。それはきっと失敗しても自分は痛くならない安全で楽しい快楽だから引きつけられ手にしてしまうのだ。

「俺は悪くない」

 一人の少女の命が壊れたのに旭はそう思うのだ。

「俺が全て悪い」

 苦々しく口元をゆがめながらこうも考えてみた。すると、ただではそれを受け付けないと脳が拒絶する。だって俺だけが悪いんじゃないんだもの。なおを殺したのは仕方なかった。そうじゃなかったら、自分は本当にどうしようもないゴミくずと言うことになる。



 裁判が終わり、旭は少年院に入所し、更正プログラムを受け、時がたって、出所した夏のある日、旭はアイドルグループの一人の少女に恋をした。毎週のようにライブに出かけ、少女に会う。めぐみというその少女は黒髪の美しい華奢な体の小さな十四歳の少女だった。

 彼女は旭の燃えるような血走った目に出会うと怖がって目をそらす。そんな少女の純粋な潔癖が愛しい。

 旭は町に出て偶然プライベートのめぐみを見つけて、後をつけた。そして、家を特定した。

 旭は彼女の家に押し入り、嫌がるめぐみの顔を見て、悲鳴を聞いて、腹が立って、首を絞め殺した。甘い泥酔感が彼を包み込む。好きな人を殺すと彼はたまらなく楽しい愉快な気持ちになった。彼はめぐみの死体を横目に、たばこを吸おうと窓を開けベランダに出た。と、同時に、大きな蛾がばたばたと部屋の中に入ってきた。旭はその蛾を片手で捕まえ、握りつぶした。もろい羽がくずれ、白いのと黒い粉が散った。

「俺は優しい悪人だ。俺は救ってやるんだ。世の中には怖いことが多いからな」

 はははと笑い,旭はたばこをくわえ、火をつけた。少しすっただけで、のこりを部屋の中に投げ捨てると、旭は急にまじめな暗い顔になり、じっと下をのぞいた。

「悪人と言われるのが俺はやっぱり嫌だ。良いことしていると思ってしまう。そんな自分は社会に悪影響でしかない。俺は死ぬべきだ。悪い、悪い、人間だから。そうだ、俺はただの殺人鬼だ。めぐみに悪いところなど一つもなかったはずだ。なのに、俺は殺してしまった。最初は、嫌らしい目で男たちから見られるめぐみを、もうそんな目で見られないように救おうと思ったのだ。でも、正直に言おう。俺は殺して置いて安心したかったのだ。女が死ねば、彼女は一生俺の物になる。ふははは。好きだから殺すのだ。好きな女の命まで思い通りにしたくなる」

 フローリングの上でくすぶるたばこの火を目に入れると、旭は土足のままあがった汚い足で、火をもみ消した。

 次に、めぐみの死体を見やって、激しい動悸を感じた。

 よく見ると、めぐみの死んだ顔がぴくぴく動いている。旭がこわごわとめぐみの体を手で揺すぶると、やがて、めぐみは目を薄く開いて、旭を認めると、かっと目を見開き、わっと泣き出した。

 旭はほっとした。生きかえった。これで、なおの死のとき否定した自分の悪は嘘じゃないことになる。俺が殺すのは救う為なのだ。そして、さらに完全な逃げ口を探して、旭はめぐみに言う。

「君は俺の物だ。俺のものになってくれるだろう? 結婚しよう」

 めぐみは信じられないと言うように顔をゆがめ、旭の顔を凝視した。そして、ひっとしゃくりあげ、叫んだ。

「嫌よ嫌よ! 酷い人ね! 気持ち悪いわ。誰があんたなんかと結婚するものですか! 早く消えて! 出て行ってよお! あんたなんて嫌いよ!」

「バカ野郎! 俺が好きなのがわからないのか。俺の好きの覚悟がわからないのか!?」

 旭はめぐみの頬を平手で殴った。めぐみは叩かれた頬を押さえ、うつむき、体をかばうように丸くなった。

「君みたいな淫売と結婚してやる俺の気持ちにもなれ!」

「私がいつ淫売したのよ」

「君はステージに立つと娼婦のように男たちに色目を使っていたろう。君の心はいやしい淫売なんだよ」

「もう聞きたくない関わりたくない。あなた失礼だわ。私の目の前から消えて!」

「やだね。俺の女になると言うまで俺は帰らない」

「じゃあ、良いわ。警察を呼ぶわ」

 警察と聞くと旭はぎょっとして、怖くなり、玄関に向かって走っていった。その滑稽な様をみて、めぐみがあざ笑うように甲高く笑い声をあげた。彼女は笑うことでバカにすることで、恐怖におののいた心を踏みにじられた復讐をした。こんどは私があんたの心を踏みにじるの。そう言いたげに。

 旭は外に出た。そして、走った。心臓が引き裂かれそうな痛みを覚えた。

 罪の上乗せをする必要はないのだ。

 初めての犯行と、今回の犯行は全然違う。

 初めての時は純粋だった。

 二回目は慣れがあって、悪魔めいた愚かさがあった。人が死ぬことに何の感慨も抱いていなかった。女という可愛い生き物に尊敬がたりなかった。

 果たしてなおのときは、旭はひれ伏す民だった。

 なおに会いたい。彼女は俺を愛してくれた気がする。

 なおのことを考えると、旭は自分の魂が浄化される心地がした。

 しかし、そのなおは死んでしまい、この世にはいない。俺が殺したのだ。

 旭は思い立った。なおに関わりのあるものを見たい。そんな気持ちになって、なおの生家を見に行きたくなった。もしかしたら、なおの幽霊にでも会えるかもしれない。そんなふうに思った。だいぶ距離を置いていた。旭の両親が慰謝料を払うことでしか、なおの家とは関わりがなかった。謝りにも行っていなかった。ただ、顔をも見たくないといわれ、ふん、なら見せないぞと意地を曲げてから会っていないのだ。




 そこは昔見たときと何にも変わらず多少黒ずんでそびえ立っていた。

 ただ、庭の雑草がぼうぼうと生い茂っているのが気になった。

 旭は家を回って、窓を覗いた。すると、そこに少女の後ろ姿があった。彼女はいすに座り、本を読んでいた。

 ふと、彼女は何かに気づいて、振り返った。

 旭はびっくりした。少女は、なおにうり二つであった。黒い長い髪に、華奢な体をセーターのしたに隠し,長いスカートをはいていた。その黒目がちな瞳と整った幼い顔立ちは、なおだった。

 なぜ? 生きていたのか?

 信じられない思いで呆然としていると、少女は怒った顔をして立ち上がり、手をしっしっというように振って、旭をにらみつけた。

 旭は胸が苦しくなった。

 少女は、ふと息を止めてから、叫んだ。

「お父さん、あの人よ。お姉ちゃんを殺した人」

 お姉ちゃんというと、彼女は妹か。

 旭は肌が粟立つ思いがした。同時に、感動で胸が激しく轟いた。ここに探し求めていた答えがあったと、その発見にひどく胸を打たれた。

 父親が窓を開けて

「何しにきた!」

 と叫んだが、旭はそんな強く責めるような言葉にも動じず、そもそも父親の言葉など今の旭の心理状態には無意味に響いた。旭はなおのおもかげを映すその妹に視線を向け、涙を流した。

「俺の救世主、俺の女神、俺を好きなだけなぶりものにしてください。そのかわり、毎日庭の片隅に俺が立って、あなたを見ることを許してください」

「何か言っているわ」

 少女は苦い顔をして、さも不気味そうに言った。

「かなた、近づくんじゃない」

 少女は別に近づこうとはしていなかったが、父は用心のために言った。

「何をしにきた気味の悪い男め。俺たち家族に近づくな。また手を出しに来たのか。あなたを見るとは何だ。今度は妹のかなたに手を出そうというのか。調子に乗って……まだ反省していないとみえるな。慰謝料だって、きさまの両親から払われているし、きさまは何も反省の態度をしめさない。そればかりか、楽しげに家に進入して、犯罪のにおいを漂わせる」

「好きなんですよ。俺は。なおさんが好きでした。殺してしまったことを後悔しています。しかし、なおさんが傷つかないためには、殺した方がいいとそのときは思ったのです。しかし間違っていました。なおさんがいなくなって、俺は苦しみました。彼女のような素晴らしい女性を、俺はこの世から消したなんて、もったいないことを……。彼女の不幸を僕が守って防げばよかったのです。しかし、今となっては何を考え改めようが無意味なことです。大切な物を失って初めてそれが大切で貴重だと気づくなんて、ほんと愚かしいことですよ。ああ、好きでどうしようもないのです。なおさんが好きでした。そして、そこのあなた、かなたさんというのですか。かなたさんを見たとき、びびびときました。好きになりました。かなたさんの顔にはなおさんのおもかげがあります。胸が震えおののいて仕方がありません。俺はなにをしてもいい。謝罪します。一生をかけて。そうだ。働きます。給料を全部この家に入れます。何でもします。家事もします。あなたたちの良いように扱ってください。ただ、俺をこの庭に置いてください。いつもかなたさんを見ていたい。そうだ、そこの小屋を寝床にさせてください。全てを捧げます。そうしたいのです。そうしたくてどうしようもないのです」

 旭は庭の地面に手をついて土下座した。

「申し訳ありません。どうか全てを捧げさせてください」

「一日中働いてそのもうけた金を全てこの家に入れると言うんだな」

 なおの父親は興奮したように鼻息荒く言った。

「はい」

「できるものか、途中で逃げ出す」

「逃げるなんてしません」

「それなら少し考えよう」

 金に目がくらんでなおの父は言った。

「嫌よ、お父さん」かなたはへの字の口をして、嫌そうに言った。

「この人殺人鬼よ。怖いわ」

「しかし君は反省していると言ったね。本当だな」

「はい。もうあんなことは二度としません。その誓いに、かなたさんを死ぬまで守りぬこうと思っております」

「よしじゃあ、今日から働いてもらおうか。朝は引っ越しの仕事などをし、夜は工事現場で働いたらいいだろう。給料の良いところで一日十二時間以上働くことだね」

「わかりました」

 旭は天にも昇る心地だった。美しいかなたのそばに居られる。そのためならどんな苦しみも甘んじて受けよう。なおの面影を残すかなたのそばに居られるだけで幸せで盲目的になれる。

 旭が心の中でどんなに厳しく自分を戒め、誓いをたてても、かなたにはそれがわからない。かなたは怖かった。殺人鬼に目を付けられ、今度は自分が殺されるんだ、そう思うと、落ち着いてはいられない。

 かなたは家中に鍵をかけ、家の中から窓越しに、庭にある小屋に父からもらった寝袋を運び込む旭を、じっと見つめた。布団を入れると、旭はなおの父親に連れられて、仕事の面接をとりつけに行き、帰ってきた。

 外は寒かった。秋である。落ち葉が降る中、旭は外から家の窓を覗き、かなたの姿を探した。かなたは居間で落ち着いてテレビも見れず、怖くて、カーテンをしめた。すると、旭は窓を叩く。なんだと父が出ると、

「かなたさんが見えませんよ。約束が違う。カーテンの隙間を開けといてください。俺は全てを捧げる代わり、かなたさんの姿を目に入れていたいんです」

「しょうがないな」

 父はカーテンを少しあけた。それをみて、かなたは恐怖と嫌悪に顔をくしゃりと縮めた。しかめた眉のしたの大きな目で、彼女は父を信じられないと言うように見つめた。

「嫌だわ。こんなの犯罪よ。ストーカーにつきまとわれてるみたい」

「でもな、あいつはほとんど一日中仕事をすることになるのだから、少しくらい見られたって良いじゃない。それよか、かなた。お前は自分の部屋の窓のカーテンもうすく開けておくんだよ。いいか。そうやって褒美を与えてやらないと彼もやる気がでないからな。風呂場やトイレをのぞかれる訳じゃないからいいだろう。着替えは部屋でするんじゃなく脱衣所でやるんだよ」

 かなたはそれを聞くと体を自分の腕で抱いて震えだした。

「どうしてそんなことができるというの? ひどい仕打ちだわ。あの男が何を考えているのかわからない分怖いんだわ。今にも殺人の計画を立てているかもしれない。嫌、嫌よ。ここに置かないでよ。お父さん」かなたは涙目で訴えた。

「バカ言うな。こんな良い話もないよ。だって、あいつは一日中働いて、高給を全部この家に入れてくれると言うんだから。お父さんは働きたくないんだよ。疲れるし、面倒だ。毎日同じ時間に起きて、満員電車になんて乗りたくないんだ。それがあの男のおかげで救われるんだ。こんなにいいことはない。明日から働いてもらうことになっている。お父さんは明日パチンコ屋に行くよ」

「え? やだよ。私を一人にしないで」

「なに。あいつと一緒なのが嫌なのか? でもあいつは仕事で居ないんだ。帰ってきても、疲れてすぐ眠ることになる。お前に手などださせるものか。お父さんがしっかり言っておいたから」

 父は旭と一緒に出かけたついでにコンビニで買ったサンドイッチをかなたに渡した。

「夜はこれを食べなさい」

 電気をつけて居間にいると、カーテンの隙間から見える窓は黒く塗りつぶされている。しかし、旭が顔を外から押しつけているために、その顔だけぼんやり見える。大きな目玉がぎょろりと中をのぞく。

 かなたは恐ろしくて窓が見れない。しかし、父に喜ばせてやれといわれ、父の意に反するのはひどく意地悪に感じて、居間で食事しているのだ。

 風呂に入って、かなたは二階の自分の部屋に引き上げた。そして部屋の窓のカーテンを閉めて、言いつけ通りに少し透き間を空けて、そこから下を見下ろすと、庭の小屋が見える。そして、旭が外に出ており、じっと下から上を見上げていた。目が合うと、かなたはびくりとし、思わずカーテンをぴったりと閉めた。しかし、また旭が文句を言うと思って、カーテンに隙間を開けた。そして、窓から離れ、死角になるところに座ると、一人頭を抱えて、憂鬱に胸を支配された。

「かなた」

 父がなにやら叫びながら上に上がってきた。

「どうしたの」

 かなたはドアを開ける。

「あの男が言うのさ。今みたいに一日一回は部屋から顔を見せて、あの男の前に現れて欲しいと。そういうことを日課にしたいというんだ。一度だけ顔を見せればいいというのだから楽でしょ」

 かなたはうんざりして、ため息をはいた。

「お金のためなの? お父さん。こんなことするの。私が稼ぐから、あの人を置くのをやめてといったらやめてくれるの?」

「おまえはまだ中学生だろう。それに娘にそんなにハードな仕事をさせるほど俺は悪魔な父親じゃない。一緒に甘い汁を飲もうじゃないか」

「怖いわ」

「じきに慣れるさ」

 いい加減に言うと、父は背を向けて下に降りていった。

 かなたは机の引き出しから、武器になりそうなあらゆる物を取り出し、身の回りに並べた。

 もし、彼が家にあがってきたら、このカッターナイフで、鋏で、針で……。かなたはそれらを服のポケットの中にしまいベットの上に寝た。

 かなたが目を覚まして、学校に行こうとするときには、もう旭の姿はみえなかった。父に聞くと、五時に起きて、仕事に行ったという。

「それはよかった。目が覚めて朝っぱらからあの人を目に入れないといけないと思うと憂鬱だもの。お父さん、私、あの人嫌。なめるようにじろじろ見られるのが嫌なの。不愉快よ。嫌なのに、やめてと行ってもやめてくれないんでしょうね。お父さんとあの人の契約だものね。私はものみたいに扱われて、お父さんは私のことが全然大事じゃないんだわ」

 ヒステリーに、しまいには涙ぐんでそんなことを叫ぶと、父は愛想笑いをして、

「そんなこというもんじゃないよ。お父さんはこれで働かなくても良くなったんだから、あいつの親の仕送り以外に収入ができたことで、ゆとりができた。お前にかまってやれる時間もできたし、それにお前をお嬢様学校に入れられるかもしれない。まあ、お前は望んでいないかもしれないが。大学にだって行かせられる。なに。永遠にこの状況が続く訳じゃない。大学もお前は都会の大学を受けるだろうから、そしたら一人暮らしになるだろうし、あいつもこの家にいる意味がなくなる。それで契約解除だ。稼ぐだけ稼いでもらってあとはさよならさ」父は洗っていないふけだらけの髪の毛をボリボリかいてふけをばらまきながら言った。

「大学まで? そう。大学までなのね」

 念を押すようにかなたが言うと、父はかなたを安心させるように、こびるような笑みを浮かべて頷いた。

 とにかく、終わりがあるとわかっただけで希望ができた。

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