第4話
授業中、旭は勉強どころではなかった。こころここにあらずで、窓に当たる太陽のまぶしい日差しを左半身に感じながら、天国や地獄そういった大きな世界にもこんな温かい日差しがあるのかとか、食べ物はあるのかとか、いろんなことを考えて胸を締め付けられたり、不安になったりした。
午後の授業が終わると、河瀬が「じゃあ」と言って、先に一人教室を出ていった。
「河瀬は菊池なおをつれてくるんだ。俺たちは先に団地の廃墟に行くぞ」
伊藤が声を潜めて言うと、ずらずらと少年たちは同じ方向へ歩いていった。旭は彼らの後に付いていきながら、自分だけ高いところにいてみんなを見下ろしているような、心が大人びた気持ちだった。彼らの命をどうにでも扱えるという優越感が彼を背伸びさせたのかもしれない。
鞄の中には刃物が入っている。旭は少年たちを一人一人睨みつけた。誰も気づいていなかった。旭のことなど誰も重要に思っていなかった。一緒にきた一人でしかなかった。名前のない存在でしかなかった。空気みたいでいてもいなくてもどうでもいいのだった。やがて、旭は自分自身の心が浮き立っているのに気づいて、なおの不幸がそんなにも楽しみなのか、自分もなおへの惨劇を作る人間の一員だと思って、自分を恥じた。旭は睨むのをやめ、狼狽えて下を向いた。
廃墟の金網と石垣を飛び越え、アーチの下に来ると、もうそこは壁に守られ、外からは見えなかった。マンションの窓は黒くて不気味だった。
「中に入ろう。ここはエントランスだ」
扉のガラスが割れており、中に入れたが、各部屋は鍵がかかっていた。踏み入れられるのはエントランスだけらしい。
少年たちはその辺に座り、壁を這うムカデに驚いて騒いだりしながら、やがて、河瀬が来ると、みんなの声が色めき立った。河瀬のとなりには菊池なおが立っていた。菊池なおは自ら石垣と金網をとを飛び越えてここまで来た。そして、にこにこして、河瀬に腕を捕まれて連れ去られるままにしていた。そのいかにも白痴じみたなおが旭は一寸不快だった。
むさ苦しい男達の巣の中に一人の蝶が舞い降りると、その蝶を中心としてわくわくと胸が躍り、幸福にしびれるような思いが伝染した。このままなおを眺めているだけでもいいんだ、そんな気持ちを少年たちはみんな揃って、抱いた。すると、おもむろに河瀬が、なおのスカートをめくりあげた。食い込むほど小さい白い下着がみんなの目の前にあらわれた。毛のない白い太股の、大福のように柔らかそうな様は、目を引きつける。少年たちは色めき立った。次は何をするのだ? 少年たちは河瀬の行動に期待をした。耳まで興奮で赤くなった少年たちは妙な色気を醸し出していた。しかし、至ってなおの方は、恥じらうこともなく、平気そうにしていた。
「脱げよ」
河瀬はそういいながら、菊池なおのブラウスのボタンをはずし、ブラジャーのしていない裸の胸をぽろんとこぼれ落とした。なおはそんな自分の露わな胸を見下ろしている。不思議だと言いたげに。
にやにやしながら少年たちはなおを取り囲んだ。彼らの日に焼けた浅黒い手がなおの白い肌に伸びる。誰かがなおの下着をずりおろした。そこには、無毛のやわらかな割れ目があった。少年たちはなおの股間に手を伸ばし、できるだけ優しくそこにふれた。誰かが乱暴にしようものなら、他の人間が注意した。
「怖くないよ。大丈夫。ね、泣かないで」
泣きそうな顔のなおをみて伊藤は優しく言った。小便臭いにおいが風に乗って漂う。旭はなんだか夢を見ているようだった。
俺は手を出さないぞ。旭は、自分に誓いをたてた。なんだか、そうする方が良い気がした。自分たちは犯罪を犯しているのだ。善人の自分が悪人の自分をくい止める。すると、彼は見守ることが、自分の仕事に思う。手を出さなければ、自分は無罪で責められない。なおに嫌われない。そう思う。彼はなおの味方でありたかった。あとからなおに感謝される、そうなることが当然ある気がして。
やがて、SEXが始まった。
「あれ、なおちゃん処女じゃねえな」
顔を赤くしてみだらに喘ぐなおを見下ろして河瀬は言った。
「なんだビッチか」
神聖な処女を扱う時の注意深く繊細な手つきが一変して、なおは乱暴に扱われ始めた。
何人もの少年たちが、なおを犯した。彼らは等しく満足な意地悪げな顔をしていた。彼らの心には悪魔がとりついていた。罪の蓄積が彼らの表情に後ろめたいものを負わせたのだ。暗くどんよりとしていながらもどこか残忍で晴れ晴れとした光が瞳に宿っている。
旭はなおが憎かった。嫌がればいいのに、そうしなかった。喜んでいた。売春婦のように。なおが知らない大人の道を先に進んでいるように感じて、旭は萎縮した。なおへの気持ちが萎縮した。守りたい天使のようなきらきらと美しい存在から、だるだるの脂肪を身につけた年増女に彼女のイメージが変わった。旭はなんだか悔しかった。なおがこれほどでしかない存在なのかと思うと情けなくなる。自分の好きな女がこれほどでしかないなんて、怒りがこみ上げてくる。どうしてもっと清い存在でいてくれなかったんだ?
裸のままのなおを置いて少年たちはすることをして引き上げていった。旭だけ、壁の陰に隠れるようにして残っていた。
なおは脱がされた服を拾い、体にまとった。使用済みのコンドームが辺りに散乱している。そこから精液のイカ臭いにおいが漂っている。
ほんのり赤い顔で、とがった唇を半開きにして、せっせとブラウスのボタンをとじているなおを見て、旭はいとおしい気持ちと、荒々しい苛立ちがこみ上げてきて、ぱっと彼女の前に飛び出した。
「なおちゃん!」
そういいながら、旭は、なおの頬を平手でぴしゃりと叩いた。憎たらしかった。平然としている彼女が。少しでも傷ついた顔をしていれば違うのに。なおは痛みに顔をゆがめてうつむいた。そして、しくしくと泣き始めた。
犯されたときは泣かなかったのに、それよりもぴしゃりと一度叩かれた時の方が、なおには辛いのだ。無性に腹が立った。彼女の性格が素質が。旭は憤怒に顔をゆがめ、茹で蛸のように赤くなって、なおを怒鳴りつけた。なんて言ったのか、自分でもわからなかった。ただ。次々と浮かんでくる激しい残酷な言葉を躊躇なく吐き出し、ボールをぶつけるように、なおにぶつけていた。なおは泣いていたが、だんだん落ち着いて、きょとんと旭を見つめる。
「お兄ちゃん」
「ばか。誰がお兄ちゃんだ!」
強い風を浴びたように、胸の中が清く一気にざわついた。よく可愛いことを言ってくれたと彼は思った。そして、偉大な何かに踏みつぶされて息絶えるように、旭の中の残忍さが姿を消した。変わりに美しい何かが絞り出される。父親のような優しい目で旭はなおを見る。
「君は、汚い女だ! でも、頭が狂っているから何もわからないんだな。自分が墜落しても、それに気づかないんだな」
旭は言いながら感動して涙がこぼれてくる。
「いいよ、いいよ、そのままで。俺が君を終わらせるから。君はこれ以上汚れるべきじゃないよ。俺がやる」
胸が引き裂かれる思いで、旭は自分の鞄からナイフを取り出した。その銀色の刃をなおの目の前に突きつけた。旭の手は激しく震えていた。
殺してやった方がなおのためだ。何者かに傷つけられることが、これ以上起こらないように。
胸に、首に、脳天に。
どこを突き刺していいものか。旭はわからなかった。そもそも、刺す気持ちなど全くなかった。しかし、何か内なる存在が自分をせき立てるのだ。やらなくちゃいけない。それをしないといけない。怖いけれど、怖がっちゃ駄目だ。なおの為なのだ。こうするのが自分の義務であるように。
「切って、切って」
なおは無邪気に笑い出した。遊びだと思っているらしい。彼女は飛び跳ね、床にぶったおれると、手足をばたばたと揺らした。そして死んだように静かになると、なおは首を動かし、とろけるような笑顔を浮かべ、旭を見た。その様は本当に美しかった。なおは美しかった。
「切って、切って」なおは楽しげに歌うように言った。
旭は涙を拭うと、ナイフを遠くに投げ捨て、なおに飛びついた。
「できない! できないよ!」
なおの柔らかい胸に顔を埋めて泣いた。
「お兄ちゃん泣かないで」
なおはそう言って、旭の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
母に甘える赤子のようだと、旭は自分で思った。嬉しかった。なおのしてくれることが。
「なおちゃんの人生って辛いじゃないか。こんなことだらけで、嫌だろう。だって、辛いじゃないか」
なおを見ると彼女は笑っていた。それが哀れで、痛々しかった。
「わからないんだな。君は。自分では何も。君は笑い物でなぶり物だ、みんなからバカにされるんだ。可哀想で仕方ない。君は毎日こんな調子で生きていくつもりか?」
「お兄ちゃん、なおと遊ぶ」
なおのスカートがめくれ、下着の履いていない股が露わになっていた。旭はなおの下着がどこにいったろうかと辺りを見渡すと、入り口の近くに落ちていた。それを拾ってなおに差し出した。すると、なおはその下着に足を通し、履いた。
その素直な様を見て、めまいがした。それは征服欲と言っていい。何か強い渇望が、旭をおののかせた。
死んだ方が幸せだ。これ以上彼女を壊したくない。今の美しいままで終わらせる。なおが可哀想だった。なんて哀れで弱々しくて、愚かなのだろう。芸術品が無惨に踏みにじられるのを黙って見ていろと言うのか。俺はなおを救い出さなきゃ。
旭は両手をつきだし、なおの細い首を絞めた。ぐっと力を入れると、なおはのけぞり、唇から涎の泡を垂らした。なおは旭の手を自分の首から剥がそうと抵抗した。しかし、旭の方がずっとずっと力が強いのだ。なおの顔の色が赤黒く染まる。彼女は爪を立てた。
くっくっと喉が鳴る。涎が糸を引いて床に落ちる。なおは旭の手の中で、命の炎を小さく小さくしていく。やがてその炎はふっと消えた。
「おい見たぞ。お前!」
引き上げていったとばかり思っていたが、一人の男子生徒が残っていた。彼は一部始終見ていたようで、燃えるような目で旭を責めた。
「人殺し」
旭はそのことばに、びくんと肩を震わせた。恐ろしくて呆然と突っ立ち、旭は眠っているように倒れているなおを見下ろした。
「蘇生させるんだよ、早く」
その男子生徒は楓という名前だが、楓は、なおの胸に手を置き、心臓マッサージを始めた。
「見ているだけか? お前邪魔だ。消えろ」
楓は旭が許せなかった。可愛い子を殺そうとする野蛮な心が許せなかった。だから怒って、乱暴に怒鳴った。彼は、なおの胸を押し続ける。
旭は遠く白い霧のなかに自分の身が消えていくのを感じた。自分は悪役で、蘇生させようと頑張っている楓がヒーローなのだ。そして、彼こそこの曇った世界の主人公なのだ。お姫様を守る主人公なのだ。
はて、自分は悪役。いなくなることが役割。
けほっ。
なおが息を吹き返した。たくさん咳をしていた。
あ、また彼女の哀れな人生が始まるんだ。
旭は、そう思い、やるせない気持ちになった。そして、なおを生き返らせた楓に強い怒りを覚えた。そんなことをして、彼はなおの人生に責任が持てるのだろうか。いや、きっと持っちゃいない。こんな男が。一時の自分が輝くことばかり気にして、こんな男が。
きらりと何かが地面で光った。捨てたナイフである。旭はそいつを取って、しげしげと見つめ、考えた。これを俺は使うのだろうか、使わないのだろうか。
矢を射るように刃先を、なおと楓のいる方へ向ける。振り返った楓は仰天して泣き出しそうな顔をした。
「何だよ、お前、殺すつもりか。お前にできるのかよ?」
旭は高らかに笑った。そんなにびくびく怯えている楓が面白かったのだ。俺みたいなちっぽけな存在に怯えるのだから、楓はよほど弱い男なのだろう。旭はバカにして彼を見た。殺してやろうか。俺を怖がっている。俺が刺すと思っている。彼の思い通りにさしてやろうか。それがお望みなのだから。
「誰か――! 助けてくれえ」
楓が必死に叫び、逃げ出した。なおは横になったままそんな彼を見送り、ふと首を動かし、旭の姿を目に入れた。
旭はナイフを構え、じりじりとなおに近づいていく。そして、彼女は何もわかっていなかった。恐ろしいこの瞬間、なおは笑っていた。照れたように精液臭くなって笑っているなおのいじらしさに心を震わせながら、旭はナイフを持った腕を振り上げた。
どすっ。
銀色の刃は、なおの胸に深く突き刺さった。白いブラウスが赤く染まっていく。ひやりと背中に冷たい汗が流れた。涙をあふれさせて、なおの目が薄く閉じられる。全部閉じる前に、彼女の表情は凍ったように固まった。死んだ。
生きていても彼女は幸せになれないから、だから、死んで良かったんだ。
なんだか胸につっかえていた。ほっとしているのに、ひどく悲しかった。そして、空しかった。旭は廃墟を出ると、心にぽっかりと穴が開いたような喪失感を覚えた。
なおのような無垢な女は滅多に出会えるものではない。俺はなんともったいないことをしてしまったんだろう。ああ、俺は捕まるのか。警察が来る。罪をとがめられる。すると他人に罪を知られたくないと言う思いがこみ上げてくる。家族に知られたくない。自分が殺人を犯すほど、何も悪いことをしていない子を殺してしまうほどの悪人だと知られるのが怖い。俺がそんな大それたことをする奴だと知ったら、みんなきっと驚く。軽蔑する。だが、なおは死んだ。もう生き返らない。殺す位なのだから、すべて覚悟していたはずなのに、今更ながら恐怖に震えている。
死ぬべきだ。
旭は思った。
「俺は死ぬべきだ。あんなに可愛いなおを殺して置いて、自分だけ生きるなんて卑怯だ。しかし、俺はなおのためだと思ってやったのだ。これ以上苦しまないように、なおだって感謝している。死にたくない、生きたい」
エゴだ。馬鹿馬鹿しい。俺はほとほとくずだ。みっともない。弱々しい生き物だ。
警察に捕まったら、たくさん散らばった精液入りのコンドームを見て、なおが大勢にレイプされたことも知られるだろう。これはいじめだ。なおが死んだのもいじめのなれの果てだと思われるだろう。
だが違う。
旭はなおを守りたかったのだ。こんな形にしかできなかったのも、旭が無知なせいである。愛していた。好きだったのだ。
死ねばいい。俺なんて。
だが、死ぬのは怖い。
バカなことをしたものだ。俺はなおを殺すべきじゃなかった。一度割れた陶器の芸術品は、割れる前のもとの美しさに戻すことは不可能だ。深い亀裂は濃い色となって残る。なおというみずみずしい存在が、死んで、腐り落ちた。
旭は振り返りたくなかった。廃墟の中に横たわるなおを再び見たくはなかった。もういい。たくさんだ。見たくない。現実を受け止めるのは苦しい。見ないで居たら、このまま夢の中の出来事だとおもえてしまう。
旭は逃げるように駆けた。途中公園で血に濡れた手を洗い、服に飛び散ったなおの血をあらった。白いシャツについた赤い血はなかなかおちなかった。桃色ぐらいになったところで、旭はあきらめ、水飲み場の水道を止めた。空はオレンジ色に染まり、大きな夕日が沈みかけていた。夕日の光りをうけて、雲は黄金色に縁取られていた。旭の影が黒く伸びている。
ずしんと重いものにのしかかられているみたいに旭は体が重いし、息苦しさを感じていた。辺りが薄暗くなっていくごとに旭は焦燥感にかられ、喉が嫌に乾くのだった。嘘みたいだった。自分が殺したというのが信じられない。俺は果たして本当にやったのだろうか。なおは本当に死んだのか。もしかしたら、まだ生きているかもしれない。いま戻って、助ければ、元気になるかもしれない。細い腕で必死に自分にすがるなおの姿を思い描き、旭は胸が苦しくなった。旭はゆっくり歩きながらも家からは遠ざかるように歩くのだった。不愉快なことをした自分の姿で家に帰り、温かい家族に迎えられるのは何か違う気がして、苛々するほどの拒絶が家から自分を突き飛ばすのだった。
すっかり夜になった頃、旭は自分の家の前にたった。しかし、何かの絵でも見ているように、自分の家は自分が入れるぐらいに開放的に思えなかった。旭は帰りたいのに、帰っていけないと自分に言い聞かせ、その窓のカーテン越しの温かい電気の明かりを自分と離れた遠いところに感じた。
「戻ろう」
旭は思った。戻って、なおのところに行って、すぐ病院につれていくのだ。俺はよく見ていなかった。だからわからないけれど、なおはまだ生きているかもしれない。きっと生きている。そんな気がする。痛がっている。誰かが来るのを待っている。
旭は家の小屋に入り、懐中電灯をつかむと、急いで走った。
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