第2話
初夏。衣替えをして、上は白いワイシャツになった。女子はブラウスだ。
「おい菊池なおのやつ、ノーブラだ」
河瀬がこの報告をすると、男達は我先になおのクラスに走った。
なるほど、薄いブラウスの大きく膨らんだ胸のあたりにとんととがるものがある。
教室の入り口からのぞいただけだったが、男達はにやついていた。
一年生の目もあったので、そのひは見るだけで、あとで教室にもどり、三年生の男達は語り合った。
「あの胸に触ってみようかな」
「いいな触ろう」
「あいては頭がいかれているんだから、触っても大事にはならないだろう」
「服を破いて中の肌にふれたいよ俺は」
「襲いてえな」
男臭いつぶやきがあちこちで起こる。
「だれか菊池なおを人気のないところまでつれてきてくれないか」
「それでどうするんだ。つれてきて」
「レイプしよう」
レイプ。その言葉は男達の心に甘いうずきとなって銅鑼が鳴るように響いた。こんどはいつか話し合ったのとは違い、本気で。
「人気のない神社の裏手にでも連れ込むか」
「よせよ。神様の前で」
「じゃあ、どこにする」
「たしか貧乏団地に廃墟があったろう」
「おいおい本気でレイプするのかよ」
「みんなしたいだろう。あんな可愛いことおまんこしたいだろう」
「したいけど、良心が痛むなあ」
「なに、可愛がるだけだ。いじめる訳じゃない。優しく抱くよ俺は」
げひた笑いが起こり、旭は心にかっと何か明るいものが激しく燃えるものが兆すのを感じた。それは倫理感や、道徳といったもので、どうにかしてあの可愛い子を救わなくてはという正義の心であった。旭は同級生の顔を一人一人睨みつけた。相手は旭のことなど空気で気にしていなくて、睨まれていることもしらないまま笑っている。
「お前たちは間違っている」
そう言ってやりたいのに、言う勇気がなかった。相手を否定できるだけ自分は潔白じゃないとおもう。自分の心の臭いにおいの気配を、旭は確かに感じていた。
「金曜日だ。いいか、金曜日に菊池なおをあの廃墟に連れ込む。来たい奴は来い。俺はやるぞ」河瀬が興奮したように言う。
「先生にはかなわないな」伊藤が首をふる。しかし、彼は否定したわけではない。その瞳はぎらぎらと浅ましい欲望に高ぶり、俺もいくぞという強い意志を感じさせた。
「よし」
「金曜」
「コンドームも忘れずに」
飢えた雄たちはどっと笑った。
どうしたら仲間の悪事を止められるのか。旭は考えた。大勢いる。一人で立ち向かうには厳しい。
金曜日は二日後である。
いっそ放っておこうか。
自分も加わってなおの裸を目に納めて楽しもうか。
だめだだめだ。なぜかいけない気がする。せっかく美しい丸い水晶に汚いヒビが入るような、そんな幻影。取り返しの着かないことをしようとしている。それをやめさせなきゃ、胸がひきつるような暗い未来が待っている。そんな気がして、自分の中の正義が、すごく焦っている。
授業が終わって放課後、旭は一年生の教室に行ってみた。三年生は金曜日にレイプすると決めたためか、それまでは一年の教室には寄りつかないとかってに決めて自粛しているようで、三年の姿は見えない。そっと教室を覗くと、菊池なおは居なかった。廊下に出て、窓から校庭を見下ろすと、同級生だろうか、男子生徒の後ろを追って菊池なおがいた。男子生徒は迷惑しているようにちらちらと振り返りながらも、時々差し出されるなおの手から逃げるように駆けて、また歩いて後ろをちらちらしていた。彼は嬉しい気持ちと、正義なる嫌悪を感じているようだった。
旭は下に降りていき、下駄箱で靴を履き替え、なおの後を追った。
しばらく歩いて、男子生徒が彼の家にたどり着くと、玄関から、家の中に消え、なおはしばらく閉じられた玄関を見ていたが、やがてあきらめたように一人で歩き始めた。
邪魔者が消えると、旭はこのぼんやり歩いているなおの後ろ姿を羽交い締めにしたいような、乱暴な欲望を感じた。はやる心を落ち着けながら、旭はなおに向かって大きな声を出した。
「菊池なおさん」
そのびくびくした震える声に、なおは振り向いた。
彼女の子犬のような大きなつぶらな瞳は旭を映すと、にこりと細められた。彼女は白い歯を見せて笑い、旭の側に寄ってきて、旭のワイシャツのそでを引っ張りながら、飛び跳ねた。
「お兄ちゃん、遊ぼ」
乳が揺れ、とんがりが上下した。黒い乳輪が薄くシャツを透かして見えている。
「あ」
旭は赤面し、思わずあたりに誰かいないか確かめた。一人こっちをみないで人が通り過ぎていった。その後は自分ら以外誰もいないので、旭は急に度胸が据わって、なおの胸を凝視しながら時々彼女の愛らしい顔を見つめた。何かとても他の人にはできない卑猥なことを、旭はなおにしいたいと思った。そして、今ならできるとも思った。それだから、乱暴な欲望が腹の奥で暴れ狂い、今にも腕がぴくぴくと動きそうだった。何の警戒心もなく笑っているなおが恐ろしくも、ちょろくも感じる。
「なおさん危ないですよ。ブラジャーとかつけないんですか」
身の危険を諭すようなことを言って、なおの味方になって、自分という恐ろしい敵から距離を置くように旭は言った。しかしその言葉をなおはうまく理解しなかった。
旭は頭の弱いなおにじれて、叫ぶように言った。
「金曜日に、あなたは襲われるんだ。レイプされるんだ。もう学校へは来ちゃいけない」
そう言いながら旭はなおの胸の膨らみとその中央のとんがりをどきどきしながら食いつくように見つめていた。
「学校行く」なおは地団駄を踏んだ。
「行ってはいけないよ。だめなんだ。僕は、あなたを不幸にしたくない。あなたは不幸になる必要なんて全然ないんだ。悪い先輩たちがあなたをどうにでもしようとしている。女一人立ち向かうことなんてできない。逃げるんだ。いいかい。逃げるんだ。家にこもるんだ。あなたの両親に話してもいい」
なんでこんなまでになおを守ろうと親身になっているのだろう。自分だっていやらしいことをしたいのに。
正義面している自分が、旭はひどく不潔に思えた。なおの胸を凝視していると、今にも自分の汚い手がそれを鷲づかもうと伸びるようだ。
「なおさん、あなたの家に連れて行ってほしい」
なんだか旭は涙があふれてきた。自分の欲とは対象に言葉が飛び出る。良い子ちゃんになって、なおに取り入ろうとしている。ついでに親とも知り合いになって、危険を伝えることで好意をもってもらい、なおのそばにいる権利を勝ち取ろうとしている。自分の卑小さに嫌気がさす。
「んんぅ」
なおは意味のわからない声を上げると、歩き出した。家に帰るつもりらしい。旭は立ち止まってその姿を見送るような姿勢になっていたが、なおが振り返り、
「あー」と言って、地団駄を踏み、しゃがみこんだので、そばまで走っていった。なおは旭の手を取ると、歩き出した。
「こっち?」
導かれるように旭は歩いた。
やがて一軒のあばら屋にたどり着いた。築五十年は建っていそうな古い建物である。表札に菊池とかかれてあった。
今更に旭はどぎまぎして、気後れがした。
今から仲間の計画をちくるのだ。なおの両親ってどんなひとだろう。なおにたいする邪心が気づかれやしないだろうか。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
なおは旭とつないだ手をぶんぶんと振り回している。
玄関には鍵がかかっていた。
「あ、鍵は?」
なおは呼び鈴を鳴らす。すると扉が開いて、中から髪の毛のボサボサの、背の高い中年の太り気味の男が出てきた。長い前髪を彼は掻きあげ、彼は旭を不思議そうに見つめた。中年の男はとても顔立ちが整っていた。
「こんにちは。なおさんのお父さんですか……?」
後ろめたい気持ちになりながら旭がおそるおそる聞くと、その男はかすかにうなって返事をした。
「君、何」
「なおさんの味方です」
「どういう意味で」
なおの父は冷たく突き放すように言った。
「率直に言うとなおさんが危険な目にあいそうなので、それを阻止したいんです」
「なに? ちょっと意味わからない。どう危険なの」
「獣です。獣が暴れるんです。だから、なおさんを学校に来させないようにしてもらいたいんです。あ、獣というのは人です。大勢の男」
「つまり最低限の義務教育を放棄して、うちの娘を馬鹿の置物にして家に転がしておけと?」
「は……? ち、違います。ただ、学校は危険なんです。なおさん可愛いから」
「事情が良くわからないんだけど、それでもさあ、どんな事情があれ学校は行くべきだと思うんだよね。危ないとか、俺に言ってもどうにもならないよ。何もできないし。そういうのは、危険人物に話してわからせたら? 君、言ったの? その人たちに何か。味方とか言って、なにもしないんじゃ信用がないよ」
そう責められると、旭は胸がもやもやして気分が落ち込んだ。
「言う人を間違っているよ。俺に言っても止められない。君がその人たちをとめてよ。そんなに考えるのなら」
「あ……はい……」
「なお、おいで」
父は眉をひそめ、不機嫌さを露わに、なおを家に入れると、旭の前で扉を閉めた。
旭は呆然としていた。すると、草むしりに庭に出ていた隣の家のばあさんが気の毒に思ったのか、顔を出し、
「あれま、そこの家のひとはちょっと難しいんだよ。長男を事故で亡くしてから奥さんが鬱病になって自殺したんだよ。だから、お父さんも精一杯でなおちゃんのぶんまで手が回らないんだよ。悪く取らないでね。そっとしておきなよ。なんやかんやで寄っていても、あんたのほうが傷つくだけだよ」
その忠告を受けると、旭は気が遠くなった先で何かピースがかちりとはまる音を聞いた。
おにいちゃんとなおが言うのは、自分のお兄ちゃんを呼んでいるんだ。
哀れで息が苦しくなった。胸の中心に鋭い針が刺さったようだ。
堅く閉じられた扉を見て、旭はどうすればいいのかわからなかった。事件から逃げることができないなら、どうやってなおを守れるのだろう。自分にできるだろうか。金曜日。
旭は金曜日なおを守ろうとして、みんなからぼこぼこにされ鼻血を出している自分の姿を想像して怖くなり、顔をしかめた。
「馬鹿。自分だけ良い子ぶって、俺だってなおと遊びたいのに」
何の防御もしていない、嘘偽りのない自分の言葉を小声ではくと、その思わずするりと出た自然な言葉に、旭は深く傷ついた。自分が優しく正しい強い何かでないのが、酷く汚らしく感じた。
旭は道を歩きながらどうしたらいいだろうと考えて、その末に武器を準備しようと思った。彼は駅前の百円ショップで果物ナイフを買った。さやがついていないので、新聞紙で丸めて鞄の奥底に押し込んだ。
これでやるんだ。脅しで振り回す。でも万が一あいつ等が怯えずにかかってきたら、これで切る。切る? その切るという言葉には妙な空虚さがあった。実際に自分がどうにかできる気がしなかった。きっと血がいっぱい飛び散るだろうな。血と言えば、鼻血と、転んでできたかすり傷の血くらいしか旭は知らない。人を刺したときの血祭りとはどんなだろう。そんなことを一人で考えると、旭は体が恐怖にぶるぶる震えるのを感じた。正直嫌である。誰かを刺すだなんて。いきすぎた自分を興奮した思いで想像し、彼は自分を軽蔑しかけた。そして、人を守ることを浅くみる自分を見いだし、つくづく自分が嫌になった。
「俺ってそういうキャラじゃないよな。俺って一人で何かできるようなやつじゃない。誰かの陰に隠れている透明人間。それが俺だ」
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