ハナの声を聞いて ~霊花の首飾り
あれから数日、子爵家ベリーロンドの末娘が、ついに療養を終えたという知らせは、緩やかに広まっていっていた。かくいう俺も外に出る際の常識をディジーや使用人から学んでいるが、貴族というのはいささか面倒だ。
正直なところ物覚えには自信がなく、遺物の記憶を覚えておくだけでも精一杯なんだ。俺の不祥事のせいでディジーや家に関して悪いことが起こってほしくはないし、学べるだけ学んでおくが。
少し肌寒い、春先の日の朝。自室でメイドのハナと一緒に身支度をしている。見た目で格下だと判断されないためにも、身だしなみには気を使っているつもりだった。
「ディジー様、ついに町へお出かけになるのですね! ハナもお供いたします」
「出ていくのはあんたが知ってるディジーじゃなくて、俺だけどな。少なくとも、目上の人間に失礼がないようにしないと」
「大丈夫です! 魂となったディジーお嬢様とハナが、目一杯サポートいたしますから。ね? お嬢様?」
「そうよ! 危なくなったら私が出るから、安心して行動すればいいわ――はあ、急に喋らないでくれ」
ハナの声に応えるようにして、ディジーが声を発した。あれからほんの少し力が戻ったのか、わずかな時間だけ会話の主導権を握ることができるようになったらしい。この時代において常識的なのはディジーの方だし、こうして表に出られるのもいい傾向だ。
「1つ申し上げるとすれば、自分のことを俺、と呼ぶとか、人をあんたと呼ぶのは直したほうがいいかもしれませんね」
「う、そうだよな。けどまあ昔からの癖みたいなもんなんだ、気を付けてはいるが期待はしないでくれ」
「うふふ、あなた様の昔話もお聞きしたいですね」
私も聞きたいわ。あまり覚えてないのでしょうけど、きっと興味深い話が聞けると思うの。
俺もあまり覚えてないんだけどな。まあ、時間があったら話してやる。
雑談をしながらしばらく支度をしていると、見違えるように綺麗になった自分が鏡の前に立っている。これが俺の身体だとはとうてい思えないが、慣れていかないといけない。
ふわりとした金髪は特に目を引くが、なんとも人間らしさを感じる髪型だ。って、俺はどういう視点で人を見ているんだろうか。いや確か、俺は人間では……ううん。鼻の先まででかかっているような気がするが、これ以上は思い出せないのでやめておこう。
「ハナも綺麗だし、もっとお洒落してもいいんじゃないか? きっと姉に間違えられるぞ」
「もうディジー様、嬉しいお言葉ですが、侍女が主より目立ってはいけませんわ。ハナは控えめで良いのです」
勿体ないわよね。庶民の出だけどよく尽くしてくれているし、何か返してあげられたらいいのだけど。私と違ってすらっとした茶髪だし、色んな髪型を試せるわね。2人でおしゃれして、買い物にでも出かけようかしら。ずっと憧れてたのよ!
そういうのはあんたにお願いするよ。俺はおしゃれだの買い物だのはまだわからんからな。じゃあ、散歩にでも行くか。外の世界にゆっくり慣れていこう。
馬車を借りて移動した俺たちは、そのまま最寄りの町まで向かっていた。これまでずっと家にこもりきりだったから、外を覗いた時にうっすらと建物が立ち並んでいるのを見るだけで、好奇心が掻き立てられる。適当にうろついたりして、ディジーの気持ちが少しでも晴れればそれでいいか。人助けは今じゃなくてもいいし、やるのであればもう少し計画的にしたい。
家の空気も悪いものではなかったが、外の空気もまた違う味がした。なにより、開放的でいい。人が集まる場所というのは何かと危険が伴う印象だったが、今はあまり殺気を感じないというか、殺伐としていない気がした。
あなたの町に対する印象は、いささか偏っているようね。確かに国家間で争いはあっても、こんな町まで戦場にはならないわ。ここトリアルデ国はもうしばらく戦争をしていないし、あなたの言う印象っていつの時代の話か気になるわね。
……少し思い出したが、いいものじゃない。聞いていて楽しくないし、今は散歩を楽しむ方が優先だ。俺も外の世界が気になるんでな。
「あなたっていつもそうやって誤魔化すわよねー」
「あら? またおふたりでお話なさっていたのですか?」
「そうよ。あっちのディジーは昔話が好きなんだか嫌いなんだか。いつか絶対話してもらうんだから」
全く、突然身体を使って喋るなよディジー。びっくりするだろ。というかハナもなんて対応力なんだ。態度でどっちか判断しろと言っているのは俺だが、ここまできっちり判別がつくのは逆に怖いぞ。
「そういえば、ディジー様がお話されていたお宝について、ハナもいくらか調べてみたのです」
「遺物のことだな。何かわかったか? まさか家で見つかったとか」
「いえ、それらしい物はなにも。もう少し特徴がわかれば探しやすいのですけれど」
そう言ったハナは、しゅん、と顔を下げてしまった。家には何も無しかと思ったが、先にハナを励ます方が先決だ。
「そう落ち込むな。遺物探しは目的のおまけみたいなもんだし、俺は身体を返せればそれでいい。遺物の特徴だったよな、気になるならちょっと話しておくか。きっとディジーも知りたがってるだろうし」
もちろん気になってるわ。どんなものがあるの?
「まず遺物ってのは……生き物だとか、食べ物じゃない。そういう類のものじゃないってことだな」
「伝説のショートケーキとか、魔法のシュークリームみたいなものはありませんのね」
「えらく例えが可愛らしいな。その通りで、不思議なからくりのようなものや、装飾品、武具……本当に色々ある。人間の一生じゃ到底探しきれないぐらいには数があるんだ」
いつもは秘密にしてばかりなのに、本当に詳しいのね。でも、指輪をなんとかするのが最優先よ。そこは譲れないんだから。
「まあ、怪しいと思ったら見せてみな。俺が見れば本物かどうか、どんな遺物かも分かる」
「頼りにしていますわね、ディジー様。ハナも頑張って探してみます!」
両手を握りしめて決心するハナ。表情がころころと変わって賑やかな人だ。ディジーはいい使用人を持ったらしい。
そうよ! ハナは昔から私を支えてくれたし、ベリーロンドの家で育った家族。あなたが来てからの5年間、ずっと優しい言葉をかけてくれたのは知ってるでしょ? 人としての器が広いのよ!
ディジーには本当に家族と家の皆が大好きなんだなと伝えて、合間に外の様子を眺めてみる。さっきまで遠かったはずの町並みはすぐ近くまで来ていて、かすかにだが人々の声が聞こえてくる。
「着いたか。さて、町はどんな所なんだか楽しみだな」
「ハナがご案内しますわ! 買い出しでよく来る場所ですもの」
馬車から降りた俺は、ハナに案内されながら町の中心部へと向かっていく。はぐれないように手をぎゅっと握るハナからして、俺はまだ小さい子どもだと思われているのだろうか。
居住区や商業区など区画分けがされているらしく、案内するのは主に商業区の方だとハナが教えてくれた。観光客も多く来るのだろうが、ここはゴミも散らばってないし、露店もそこそこある。人々の服装もまばらだが、ある一定水準の清潔さはあるのを見るに、治安はかなりいいらしい。
揚げ物のいい匂いがすると思えば、違うところから甘い香りが漂ってくる。というかさっきからかなりディジーがうるさい。あっちに行け、こっちに行けとハナを連れ店を見て回っているが、時折食べ物を買っては2人で味を確かめている。俺としてはもう少し薄味がいいのだが、ディジーは町でしか食べられない味の濃さにご満悦のようだ。
そうだ! みんなにお土産を買って帰りましょう。綺麗な花はどうかしら? 私が選ぶから、あなたは荷物持ちよ。
いや持つのは自分の身体だからな……? 俺のことをなんだと思ってるんだ。
「ハナ、ディジーが土産に花を買いたいらしい。どこか良さげな店は知らないか?」
「ハナに花を……うふふ、失礼しました。でしたら、いつもハナの実家に贈る花を買っているお店に行きましょうか」
にこにこと上機嫌なハナに、表情は見えなくとも楽しげなディジー。2人の機嫌を損ねないように、余計なことを言わず花屋へと向かうのだった。
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