マエストーソ
「うわえぇぇええええ……!良かったですう……うえええ……!須藤様、僕のこと"ナツメちゃん"って言ってくれましたあぁぁぁ……」
「あ、え!?そこ!?……いやさ、だってあんまり、その……嫌じゃない?」
「さん付けされる方が怒られてるみたいで嫌ですうう……うええええ……」
「あ、そ、そう!そうなんだね!ごめん、ごめんね!……うん、ナツメちゃん。とにかく落ち着くまで泣いていいからね!あ、ちょっと待っててね!飲み物、買ってくる!……えっと、夜遅いし、なんかあったら叫んでね?ていうか、そっか、"人払い"をしておけばいっか」
「うええええええ……!!」
須藤様は、未だ涙が止められない僕を芝生の上に座らせて、浮遊する薄紫の炎をツンと指でつついてから一度この場を離れて行きました。
それからまもなくして、彼は両手に缶コーヒーを持って戻ってきて僕の隣に座りました。
「甘いのとそうじゃないの、どっちがいい?」
「う、うう……須藤様が、お好きな方を先に選んでください。僕は、どちらでも……」
「ん。じゃあ、お言葉に甘えて。星でも眺めて、のんびりしようか」
カシュっと缶コーヒーを開けて一口飲んでから、須藤様は空を見上げました。
少し落ち着きを取り戻した僕は、須藤様に倣って缶コーヒーを開けて一口飲みました。ほんのりとした甘さを口の中に転がしながら、夜空を仰ぎました。
「うん、意外と……というか全ッ然、星見えないね!今日、曇りじゃん!」
「あはは……。ここは天体観測ができるスポットとしても有名だったのに、あいにくの天気で残念ですね。……あの、須藤様は、星がお好きなのですか?」
「ん?あー、まあね。好きっていうか、なんていうか複雑なんだけど。……誰かに見てもらうのが好きだし、喜んでもらうのも好き、かな。って、星が好きなのかって聞かれてるのに、これじゃ変な答えだよね」
「は、はい。少しだけ」
「それじゃ、それを踏まえて話をしたいんだけど、ナツメちゃん。おじさんのお願いごと、聞いてくれる?星が見えなくて本当に残念だけど」
「へ?……お願いって?僕にですか?」
「ほら、色々あったけどさ。元々、ナツメちゃんをここに呼んだ理由はもっと別のことだったでしょ?おじさんに、君を雇わせてほしい」
それを聞いた僕は、思わず立ち上がりました。
はい!と即答しそうになったところを何とか飲み込んで、「どうしてですか?」という質問に切り替えることに成功しました。
ただし、その質問が須藤様のお言葉に相応しいかどうかは別として、現に、須藤様は僕の逆質問に対して困ったように笑いました。
「ど、どうしてって言われると、色々理由を答えられちゃうけど良いかな?例えば、君が河田家で育てられてしっかりと家守ができそうだからとか、おじさんがナツメちゃんの夢を奪っちゃったという責任とか、そういう話になっちゃうんだけど……いい?」
「う、うう……あんまり良くないです。その辺は、あんまり触れてほしくない、ですけど」
「うん、それなら。理由はただ一つ。おじさんが出した求人にナツメちゃんが応募してきた。おじさん達は少なくとも顔馴染みであり、お互いの事情をある程度理解している。……そういう"奇跡"が起こったから、その奇跡にあやかろうと思った、というわけ」
「──それで、どうかな?あ、具体的なお仕事の内容は、その1。おじさんが留守の間の家守。ご存知の通り、軍医の身の上もあるから、上に呼ばれたら何が何でもシエントまで行かなきゃいけないんだよね。気まぐれで呼ばれることも多々あるし、そういう時って戸締りとかできないこともある。そこで、突然の何かがあっても良いように、日本にあるあの家を守ってくれる人が欲しいってわけ」
「──お仕事その2、簡単な事務作業。スケジュール管理。おじさん、これでもそれなりに売れてる音楽家だからさ、演奏会の依頼とか、指揮者の指名とか色々来るんだよね。その辺の調整をしてほしい。できるだけ多くの人にコンサートに来てもらうためにも、ね」
「──それからお仕事その3、美味しいご飯が食べたい!お肉料理が嬉しいかな!」
須藤様はそう言って笑みをこぼし、僕と同じように立ち上がりました。
僕へ握手を求めるように手を差し向けて言いました。
「あの時、お父さんの前では河田家を背負っているその名誉のためにも言えなかったんだけど。……良い意味でも悪い意味でも、ナツメちゃんは家を離れて自由になったのだから」
「──自分の在りたいようにあればいい。特に、この人の世には性別等によって差別されるべきではないっていうステキな決まりごとがきちんとできているのだから。どうかこれからも胸を張って良いと思う。そして、おじさんにも、その手伝いをさせてほしい」
僕はといえば、須藤様の大きな手と、顔と、地面を順番に見つめてしまいました。
差し出された手もすぐには握り返すことができなくて、須藤様から言われた一言一言を噛み締めました。
思えば、性別という括りに縛り付けられていたのは、僕なのかもしれません。男だからとか、女だからとか、決めつけられる環境で育った僕は、受け入れられないと家出をしつつも、家を出た先では誰よりも一番性別という括りに拘っていたのです。
周りの人は、僕のこと"人"として見てくれていたにもかかわらず。僕はそれを自分で否定し続けていたのです。
しかし、須藤様が仰ったように。
僕は自由になりました。少なくとも性別であれこれ言われる環境ではなくなった。父様や兄様たち──河田家のために、"執事"として出過ぎたことはきっとできないけれど。
僕はこれから、数々の奇跡あって僕に手を差し伸べてくれているこの人を、主人としてお慕いしようと思います。
「……僕で、よろしければ。精一杯、貴方様の力になります。え、えっと……ご主人様、須藤様……!」
僕は差し伸べられた、ご主人様の手を取りました。
「うん。よろしくねナツメちゃん。あ、それと、"様"はあんまりつけないでほしいかな。畏れられるのは好きじゃないんだ」
「わかりました!ご主人!」
僕が言うと、須藤様──いえ、ご主人は「あんまり変わってない気もするけど……まあ、いいか!」と、ちょっと困ったように笑いました。
「それじゃ、ひとまずのところ。詳しい話は追々するとして。今日はお互い自分の家に帰ろうか。……あ、良ければお家まで送っていくよ」
「え、いえ!大丈夫──」
「もう一つ言わなきゃいけないことがあるから、ね?」
そう言うと、ご主人は僕の手を離しました。
そして、「おじさんがいいよって言うまで後ろに下がってもらえる?」とおっしゃった為、僕は言うとおりに、1歩ずつ後退しました。
やがて、お互いに少し声を張らないと聞こえないくらいの位置まで移動したところで「オッケー!」と、ご主人が声と手を上げました。
何が起こるのかと、ただ呆然とご主人の姿を見ていると、ふと隣に浮いていた薄紫の炎がスッと消えてしまいました。
あたりは本当に真っ暗になってしまったのですが、僕は呑気に「そういえば、ご主人は能力者なのだろうか」なんて、"的外れ"な思考を繰り出していました。
そうしていると、突如強い風が吹きその風に煽られて僕は芝生の上に尻餅をつきました。
そして、再びご主人の方を見やると、そこにはご主人の姿は無く、満点の星空が広がっていました。
いや、ありえない──
先ほどご主人と空は曇っていると話したばかりなのに、あの突風で雲が晴れたなんて言うことも考えにくいです。
それに、良く見ると……その星空はヒラヒラと"靡く"のです。星が動くなんて、きっと宇宙が滅亡でもしない限り起こりません。すると、つまり、あれは自然なものではなく、プラネタリウムのようなものかもしれません。ああ、きっとそうです!
だってそんな、能力者の存在自体が珍しいこの日本で、ギルディアにいたときのような神秘に触れられるなんて、そんなのあるわけがないのです!
星空の真ん中に、二つ。
紫色の宝石が浮かびました。その宝石は僕のことを見つめるように、そして周囲に広がる星空と同じようにパチパチと瞬きます。
生物の呼吸のような風の流れ、そして音が聞こえ始めて、僕はいよいよ、突如現れた星の正体が──僕のご主人が"何"であるのかを理解したのです。
星の翼を持つ竜が居る、と。
前にアルべ様が、塔の封印の報告の時にそういう話をしてくださいました。そういう竜に、襲われたとも。
きっと、アルべ様に襲いかかった竜とは別だと思いますが──人に襲いかかるほど気性の荒い竜だという話だったので、もし今目の前にいる竜が、アルべ様を襲ったソレならば、僕はとっくに食べられているでしょう。
しかし、しかし……
それにしたって、あんまりにも唐突で。
──のちに、ご主人から聞いた話では。
僕は、あまりの出来事に立ったまま失神していたようです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます