アンダンテ



 一週間が経ちました。

 あの後、父様から宣告されたとおり、僕は1ヶ月の生活資金を貸してもらった後に家を出ました。

 二人の兄様にはかなり心配をしてもらい、一時は兄様の家に住まわせてもらう提案も受けたのですが、怒る父様に強く止められていましたし、僕も迷惑をかけたくなかったので、お断りしました。


 それで大変か、と言われると意外とそうでもなく。都内の訳あり安アパートを借りて、コンサートに行く前に調べておいた求人の面接に行ったり、駅で無料の求人誌を貰ったりして仕事を探しています。


 そんな、こんなで──

 人ってば、何となくでも生きていけるんだなぁ、と物凄くあっさりとしてしまっています。


 ただ、問題は結構ありまして、この僕の状況をギルディアの行政長官様にお伝えしなければならないということです。現状では、長官様に託されたお願い──日本のギルディア王家に接触することは難しそうです。

 勘当されたことで家は頼れなくなってしまったので、何か他の方法があればとは思うのですが、明日の生活すらも怪しくては、新しい方法なんか思いつくはずもなく。ひとまず、自分の身を落ち着かせてきちんとお手紙で報告できるまでにはならないといけません。


 さて、今日は……といっても時刻は今日も終わりに近い夜の11時ですがこれから求人募集の面接です。

 業務の内容は住み込みでの家事手伝いと、簡単な事務作業と、留守番とのこと。最後がよくわからないのですが日給も悪くないですし、お電話で依頼主の方とお話しした時も、すごく感じの良い方でしたし、奇跡のような好条件です。


 日中は都合がつかず、遅い時間の面接になってしまいましたが、とにかく依頼主──いえ、"ご主人様"にお会いするのが楽しみです。父様には、金輪際、執事業に関わるなとは言われていますが、家事手伝いの依頼主の方を僕が心の中でどのように呼ぼうと、関係ないはずです。



「えっと……。待ち合わせ場所、本当にここでいいのかな?」



 そんなご主人様が待ち合わせ場所に指定してきたのが、ここ。都内某所の公園です。その公園の芝生広場で待っていると言われたのですが、不気味なほどに静かです。

 そりゃ日付変更間近な時間ですから、人がいるほうが珍しいですね。訳あり物件に住んでから一週間、数々の霊障に襲われたせいで精神的に鍛えられたとは思っていたのですが、まだまだのようです。



「んー、どこにいらっしゃるんだろう……」



 芝生広場までやってきて、あたりを見渡します。

 が、灯りが数えるほどしかないため真っ暗でよくわかりません。



「わかんないし、電話してみよう」



 格安の携帯電話でご主人様の電話の番号を入力し、電話をかけてみました。

 コール音を聞いている間も周りを見渡してみましたが、やはり人影はありません。待ち合わせ場所を間違えてしまったのでしょうか。いや、この辺で芝生の公園といえばここしかないはずですし、穴が開くほど待ち合わせ場所を確認しましたから、間違いはないと思うのですが……と考えているうちに電話の方が繋がりました。



「あ、もしもし。河田です。……あの待ち合わせ場所にについたのですが、もう着いていらっしゃいますでしょうか?」


『ああ、ごめんね。もう着いてるよ。目印に灯りを出すからそこまで来てもらえる?』


「承知しました。あ、電話はこのままでお願いします。えっと……あ!見えました!」



 広場のちょうど真ん中に、ぽうっと淡い紫色の光が見えます。僕はほっと安心して、灯りに向かって駆け出しました。しかし、灯りから少し離れたところで僕は足を止めました。


 その薄灯り──薄紫色に燃える炎に照らされている人が、誰なのか……よく知っていたからです。



「やあ、こんばんは。いい夜だね」



 耳に当てている携帯電話から、そして彼の口から──同じ声が重なって聞こえました。



「あ……貴方は、須藤様ッ!?」



 それはそれはもう驚きすぎて、遅い時間にも関わらず大きな声をあげてしまいました。

 その大声は僕が持っている携帯電話から須藤様が持っている携帯電話にも伝わって聞こえたようで、須藤様は「うわ」という声と共に携帯電話を耳から離しました。



「あ!?ご、ごめんなさい!!声、大きかったですよね!?でも、ええッなんでッ!?!?」



 一生会うことがないと思っていた人が、目の前にいます。……いや、一生とは言い過ぎでした。お金が溜まったら彼のコンサートのチケット戦争に新参ファンとして赴こうと思っていた身ですから。最近チケット倍率を知って卒倒しそうになったのはいい思い出です。


 って、そんなことはどうでもいいんです。

 今の問題は、僕の目の前に、こうも気軽に存在してはいけないはずの人がここにいることです。しかも、それが取引の相手だなんて!僕は、僕は……この人に迷惑をかけてはいけないのですから、この場から立ち去るべきなのです。それなのに──


 また、お会いできて嬉しい……

 なんて思ってしまっている。どうして、でしょうか。



「……ええと、そんなに驚かれるとは思ってなかった。声で気が付いたと思ってたんだけど」


「……全然、です。全然気が付かなかった、です」


「そっかぁ。複雑なような、そうでないような気はするけれど……まあとにかく、無事、君に会うことができて何よりだよ」


「え?僕に、会うために……?そのために求人広告を出したんですか?」


「ああ。元々お手伝いさんが欲しかったから求人は出していたんだ。ただ、そこに君と再会するという奇跡を紡いだだけ。普通に会いたいって話しても、会ってくれなさそうだし、迷惑とも思ったから……自然な再会を星に願っただけ」



 わかるようで、わからないことを須藤様は言いました。

 そもそも、須藤様が、僕に会いたかったという理由がわからないのです。

 僕は須藤様に迷惑をかけてしまって、最後の話し合いの時だって、須藤様は言葉に棘があるような感じをさせていましたから、僕に巻き込まれたことを怒っていると思っていました。



「……どうして、ですか?」



 そんな疑問の言葉が、勝手に口から溢れていました。



「君に──ナツメさんに、謝罪をしたくて」


「謝罪?そんなの……父様と一緒に言いましたが、謝罪をするのは、迷惑をかけた僕たちの方で……」


「ごめんね、ちょっとでもいいから聞いてくれる?この間のことと、おじさんが君に謝罪したいってことは、別の問題だから」


「え、あ、……はい。す、すみません」


「ん、ありがと。別の問題とはいえ、少しは関係はしているんだけど……」



 そう前置いてから、須藤様はゆっくりと語りました。

 とても驚いたのは、その語りの内容が須藤様の身の上──シエント帝国の軍隊に所属している医者、つまりは軍医であることを特に包み隠さず明らかにしたのです。

 そして、須藤様の身の上を知っている父様だからこそ、今回の一件について相当気を遣っていただろうとも、お話をしてくれました。


 長官様や僕の認識では、この須藤様という御仁はシエント帝国軍の諜報員なのですが、諜報員という立場にある者が自らの立場を簡単に明かすものでしょうか。

 普通はシエント帝国と関係があることを悟られないようにすると思うのです。

 実際に、肩書きはたくさんお持ちなので、そこであえてシエント帝国軍医であると明らかにする必要はない──やはり、何か……僕達は彼を誤解しているのかもしれません。



「ナツメさんのお父さんには、余計な心配をさせてしまったと思う。これは余談なのだけど、一時期は軍医じゃなくて"手段を選ばない極悪非道の諜報員"なんて、恐れられてたらしくて……あれも嘘なんだよね。そういう嘘を広めて遊んでたんだってさ。……寂しい思いをさせてしまったのはおじさんだから、仕方ないよね」


「──それで、なんとか誤解は解いて回ったんだけど、一度そういう噂が広まっちゃうと"あれは嘘だった"って示しても信じてもらえないこともあってね。……とにかく、もしお父さんとお話しできる機会があるのなら、きちんとお話ししたいところだね」



 はい、僕は今、そのことを考えていました。

 え、いや、……嘘?


 そんなの嘘だぁ。だってそう簡単に、言うわけないじゃないですか。そして、それを僕達が信じられるはずがないのです。僕はともかく、長官様は絶対に信じないと思いますけど!?


 心が叫んでいます。質問をしたくて堪らないのですが、下手に質問をして僕がギルディアやアルべ様達と関係があると知られてしまっても困ります。

 須藤様が本当にただの軍医であったとしても、その軍の頂点に立つ人らは少なくとも、アルべ様達をどうにか手中に収めようとしているのは、間違いないのです。



「それでね、ナツメさん。あくまでも今のは前置き。ナツメさんがお父さんのことを嫌いになってしまわないための、ね」


「──もし、おじさんにそういう噂がなくて、ただの演奏家だったらば、お父さんはきっとここまで厳しい決断──ナツメさんのことを切り離すような決断はされなかったと思うんだ。一家の一人がトラブルに巻き込まれて、かつそれを救ったのが諜報員と噂の立つ者なら、関わり合いになりたくないと思うのは当然だから。この身の上が、必要以上の結末を招いてしまった。……それが、謝りたいことの一つ」


「──そして、二つ目。兵士の心をケアする役割にある医者、つまり精神科医として、あの場面で君をフォローできなかったことを謝りたい」


「──"性自認"の苦しさは、本人にしかわからない。だからせめて、他人には理解してもらう必要がある。それを促すのが精神科医であるおじさんの役割だった。その役割を、あの場面では放棄してしまったことを……どうか許してほしい」


「──どこまで踏み込んでも良いものか、あの場では決められなかった。ナツメさんの思いも、お父さんの思いも、河田家の家の方針も何も知らないから、答えが出せなかった。……ただ唯一わかったのは、あの場でお父さんが話をしてくれている間、君の表情がとっても苦しそうだったから。この場から、一刻も早く解放してあげるべきだと思った。それで、あの対応……正直乱暴で強引すぎたとは思ったけれど、おじさんが導き出した最適解だった」


「──結果、ナツメさんは家を出ることになってしまったんだよね。今でもあの場でお父さんを説得していたら変わったかもしれない……なんて思うことはある。でも、おじさんは……わ、って、ナツメちゃん!?」



 須藤様は、僕の顔を見て慌てていました。

 そりゃあ突然泣き出していたら、誰だって驚くでしょう。でも、僕の涙は止まらなくて、胸がすごく熱くなっています。

 須藤様は綺麗なハンカチを差し出してくださって、そのハンカチはすぐに涙でベタベタになってしまいました。

 本当に、本当に申し訳ないのですが、でも──



 あなたに嫌われていなくて、良かった。

 嫌われたんじゃなくて、本当に良かった。



 家のこととか、性別のこととかは、もうどうでも良くて。ただ純粋に、心のどこかで、この人にだけは嫌われたくないという気持ちがありました。


 それが今、仔細を伝えられて安心に変わったのです。


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