ディミヌエンド



 どうせ、またお会いすることになるのです。

 ファンとしてではなく、河田家の面汚しとして。その方が、僕に相応しい。そうに、決まってる。


 呪文のように唱えながら、会場の外に出ました。外はコンサートの余韻に浸りながら帰る人々の姿と、父様と父様のご主人様のお姿がありました。

 ちょうど、ご主人様をお見送りするところのようです。「では、お気をつけてお帰りくださいませ」とご主人様に語りかけると、ご主人様を乗せた車がまもなく発進して行きました。


 車が見えなくなるまで深々と礼をしている父様の後ろ姿をしばらく見つめて、父様が顔を上げたところで振り返る前に僕から声をかけました。

 あんなにも父様から逃げ出したかったはずなのに、この時は、他に逃げ出したいものがあったからなのだと思います。



「……父様」


「なんだ。もう出てきて……お前、その花束。渡してこなかったのか」



 振り返った父様は、僕が須藤様に贈るはずの花束を持っていることに、顔を顰めました。



「……他のお客様とご歓談中でしたので。僕なんかが出ていける場所ではないと判断しました。これは後ほどお会いしたときにお渡ししようと思います」


「ふん。確かに、公衆の前でお前みたいなのが花束を渡しでもしたら……須藤様に迷惑がかかりかねん。その判断は評価しよう。少しは反省できたみたいで何よりだ」


「……は、はい」


「だが、先に決定したことは取り消さん。お前はこの一件が終わったら河田家を離れて生きるのだ。もう、執事という仕事に携わることも許さん」


「──会場に戻るぞ。我々の、こんなことのために楽屋まで借りてくださっているのだ。……ただでさえ、各国の要人と関わりがある御仁なのに、頭が上げられないどころかお顔を突き合わせることすら烏滸がましい」



 父様はそう言うと、僕の横を通り過ぎてコンサートホールの方へと戻って行きました。僕もその背中を追いました。

 人気のなくなった会場内を歩いているのは少し不気味な感じがしましたが、目の前にはお化けよりも怖い父様が居るのですから、ある意味心強い……なんて馬鹿なことを考えているうちに、須藤様が用意してくださったという楽屋に到着しました。


 楽屋の扉には、『河田様』と名前が書かれていました。扉の前に立つと父様は特にノックをすることなく扉を開けました。

 僕もそれに続こうとすると、目の前の父様の身体がびくりと震え、後ろに居た僕の身体を押し出しました。



「あ、どうもこんばんは」



 楽屋の中から声がします。

 どうやら、一足先に須藤様がいらっしゃっていたようでした。父様の動揺っぷりをみるに、予定外のことだったのでしょう。



「……も、申し訳ございません!お部屋にいらっしゃるとは思わず、ノックもなしに扉を開けてしまいました!」



 僕達の前では厳格な調子で静かにお話をする父様が、特別声を張って言い、直角よりもさらに狭く、人間ができる限りの礼を尽くしていました。



「あ〜っ!こちらこそすみません!予定よりもだいぶ早く……というか、そもそも予定が変わってしまってすぐにここに来られるようになったものですから……。河田さん、どうぞお顔をあげてください。人に畏まられるのは、ニガテなものでして。あ、ナツメちゃんは後ろに居るんですか?」



 須藤様の口から僕の名前が出てきたため、頭を下げる父様の背中からこっそりと楽屋の中を覗いてみると、ちょうど須藤様と目が合ってしまいました。

 すると、須藤様は「あ、いた!おーいナツメちゃん。さっきぶりだね!急に呼んだのに見にきてくれてありがとね」と軽快に僕に話しかけ、ひらひらと手を振りました。


 どうしようか、ひとまず手を振り返してみようかと思ったその時、父様が僕の行動を察したのかバッと顔を上げ、僕の方へと振り返りました。

 僕は手を振ろうと上げた手をサッと後ろに引っ込めて隠しましたが、そんなわずかな仕草も父様は見過ごさず、しかし須藤様の手前、怒鳴ることもせず。

 ただ、きっと僕を睨みつけ「お前は何も喋るな」と念押ししました。


 そうして父様は再び振り返り、須藤様に向かって一礼し「失礼します」と挨拶をしてから、楽屋へ足を踏み入れた。

 父様は椅子に座る須藤様の前に立ちました。それから僕にも隣へ立つよう指示してから「この度は我が娘が大変なるご迷惑をお掛けしました!」と、楽屋中に響くほどの声を張り、両膝、両手、最後に額を床に付きました。

 もちろん、父様だけに土下座をさせている場合ではないため、僕も同じように頭を下げました。



「ちょ、ちょ……言ってるそばから畏まらないでください!?先にお電話いただいた時点で謝罪の言葉もいただいておりますし。そもそも、彼女──ナツメさんを助けようと首を突っ込んだのは私ですから」


「──私のお節介のせいで、このように、河田さんから謝罪をいただいてしまうなんて。こちらこそ申し訳ありません。私の性格上、困っている人を見捨てることができなかったものですから……ナツメさんも、こんなおじさんのお節介を受けてさぞ困ったでしょうに……」



 須藤様が僕を助けてくれて、僕が困った?

 とんでもない。


 そんなこと絶対にありえないのに、どうしてこの御仁はそんなことを言ってしまえるのでしょう。

 父様から何も喋るなと言われた僕ですが、須藤様のご厚意のせいで僕が困ったなんて出鱈目は、僕の口から否定すべきだと感じました。



「……お、恐れながら申し上げます。ぼ、僕は、さ、昨夜は須藤様にお助けいただいて困ったということなどはありえません。むしろ、感謝するばかりで、感謝してもしても、尽くせません!」


「同じく、恐れながら申し上げます。娘の言うとおり、我々が困ることなどありません。我が娘が、その身の程に似合わないほどの迷惑を須藤様にかけて、須藤様を困らせてしまったと言うのが……」



 僕の言葉に続き、父様が顔を上げ、まっすぐと須藤様を見つめて言いました。

 そんな父様に対して須藤様はにこりと笑います。



「じゃあ、こうしましょう。私は、お二人から謝罪よりも、感謝の言葉をいただきたい。そうすれば、私は私のお節介に誇りが持てますから。──困っている人を助ける、支えるというのは、執事という職の根本なのではありませんか?」


「──なんて、素人が偉そうなことを言ってしまいました。とにかく、お二人とも。できれば普通に椅子にかけていただいて、お話をしましょう」



 須藤様が提案をすると、父様は渋い顔をしながらも「ご要望とあれば、承知いたしました」と言い、立ち上がりました。

 立ち上がった父様と僕に対し、須藤様は椅子に座るように促したため、それに従いました。



「……こほん。須藤様、改めまして。この度はお忙しい中、我々共のために時間を作っていただき、そして、昨晩には我が娘であるナツメをお助けいただいたことも感謝しております。また、今回のコンサートにおいて急にも関わらずご主人様の座席を用意してくださっただけでなく、我々にも……感謝してもし尽くせません。ありがとうございました」



 椅子に座りながら、父様は丁寧に頭を下げました。

 僕もそれに倣い頭を下げると、後ろの方で僕の服の裾がクイと引かれました。……おそらく、花束を渡すタイミングであるという父様の指示であることを悟り、僕は顔を上げ花束を渡そうとしました。

 感想を言おうかと考えたのですが、顔をあげて須藤様を視界に入れた瞬間、なぜか考えていたことが全部吹き飛んでしまいました。

 あとで父様に叱られるのを覚悟で、「ありがとうございました」と単純な言葉を添えて、花束を差し出しました。……その瞬間に、「はあ」と父様が呆れたため息を吐いたのが音として聞こえました。



「いえいえ、どういたしまして。それとありがとう、ナツメちゃん。いやはや本当に奇跡的に当日のキャンセルが出て当日席を用意できてよかったです。皆さんにも、お二人にもコンサートを楽しんでいただけたなら、音楽家としてこれほどの喜びはありません。ねね、ナツメちゃんどうだった?おじさんかっこよかった?」



 か、格好良かった?なんて……。

 すでにかっこいい顔でそんなこと言われても。


 しかも、隣の父様が明らかに「答えるな」というオーラを出していて、とてもじゃないですが、言葉にできませんでした。「あ」とか「えっと」とか、言葉ではない声で、何とかこの場での回答を回避しました。


 そうしてその後、すかさず父様が「須藤様」と、真剣な表情をして呼びかけました。



「須藤様。先ほど、謝罪よりも感謝せよとのご要望をいただいたばかりではありますが、これよりは『河田』という名前を背負う者として、お話しと謝罪をさせていただきたく思います。我が娘、河田ナツメのことについて──」



 そんなふうに前置いてから、父様は僕の話を始めました。


 河田家に生まれた者が性別により職業を分けられること。


 僕が女の身でありながら、男であることと執事であることを望んで、家出状態にあったこと。


 家出の身でありながら、事情を全く説明せず他国の貴族家に執事に近しい立場で仕えていたこと。


 そして、そのことが判明して帰宅を命じた時に、再び立場を弁えず、須藤様に迷惑をかけてしまったこと。


 最終的には、今回の一件とこれまでの事実を総合的に判断して、二度と執事業としての河田家の名を名乗らないこと──父様は、僕の最初から最後までを、全て包み隠さず須藤様に説明しました。



 恥ずかしくて、辛い。

 何故でしょうか。アルべ様に僕の身の上をお話しした時はそんな風に思ったことはなかったのに。

 こうして他人の口から話をされて、僕の状況を客観的に聞かされるのが嫌なのか、それとも別の理由があるのかは……分かりませんでした。



「……以上が、事の運びでございます。娘の身勝手な行動で須藤様だけでなく様々な方に迷惑をかけておりますから、河田の家長として今回の処分を覆すことはいたしません。二度と、須藤様にもご迷惑をかけないようにいたします。ついては、娘の代わりに立て替えていただいた代金を、些少ですが迷惑料込みでこちらに包ませて──」


「河田さん、ストップ」



 唐突に、須藤様は僕達に手のひらを差し向けて、父様の行動を制しました。

 父様は「はい」と短く返事をしながらも、懐より白い紙包みを取り出し、目の前の机の上に置きました。


 須藤様は、深いため息を吐きました。

 それから机に置かれた白い包みを手に取り、懐に収めました。それから、楽屋に設置されている時計を見て、さらに続けました。



「……ひとまず、わかりました。こちらは、『河田』家の御当主から、今回の件に関する"誠意"として受け取らせてもらいます。この件は、これでおしまいにしてください」



 彼の言葉に、初めて棘のようなものを感じました。

 須藤様は花束を手に持って立ち上がり、ふと僕の方に視線を落とし、煌めく紫色の瞳に僕を映しながら、言いました。



「……星に願いを。然すれば、奇跡は導かれる」



 そうして──

 須藤様が早々に立ち去ってしまったことで、父様が後を追う隙もなく、話し合いは終わってしまいました。


 父様は、須藤様が楽屋を出て行かれてから、また、ため息をつきました。



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