スフォルツァート⑴
僕は、自分が思っている以上に疲れていたのでしょう。普段はこんなこと絶対にしないのですが、お酒に身を任せることにしたのです。
というか、一人で飲み屋街を歩いていたら半ば強引に店に引き込まれて、あれ、これと、現実逃避をするためにお酒を飲みました。
こんな姿は長官様にはもちろんアルベ様やマリア様、父様、兄様……小学校時代の友達にだって見せられないでしょう。
そんな罪悪感をもお酒で流して、流して……かれこれ三時間くらいは溺れていたと思います。
で、その後のことがなんっにも思い出せません。
気がつけば僕はベッドの上に寝ていて、なぜだかアルベ様からもらった贈り物を抱きしめていました。おそらく、しこたま飲んだ後なんとかホテルに辿り着いて、そのままベッドで寝たのでしょう。
時刻はわかりませんが、カーテンの隙間から光が溢れているのを見ると昼間であることはわかります。そして、二日酔いから来る頭痛と吐き気、倦怠感が僕に襲いかかりました。
ベッドから起き上がることすらままなりません。
しかし、そういう時に限って、我慢できないものです。
「み、水ぅ……」
二日酔いにうなされながら発した声は、喉が酒に焼かれてしまったためかガラガラになっていました。
貴族じゃあるまいし、たとえガラガラ声を振り絞ったとしても執事が出てくるわけじゃありません。
むしろ僕が執事でありたいと求めているのに、このような状況はまさに醜態でした。
そう思うと、二日酔いに加え、お酒で流した罪悪感が一斉に襲いかかってきて、僕は寝転がったまま贈り物を抱きしめて、声を上げて泣きました。
今なら一人です。
隣に乗客もいませんし、舌打ちをする冷たい東京人もいません。人目なんか気にせずに思いっきり泣くことができます。
「……だ、大丈夫!?」
誰もいません。僕は一人です。
そのはず、でした。
白い引き戸がガラッと勢いよく開けられて、外の光とは別の人工的な光が僕の目に飛び込んできました。
それから、人──ワイシャツとジーンズを着た男の人が部屋に飛び込んできたのです。
「へ……?誰、ですか……?」
誰、この人?
というか、めちゃくちゃかっこいい。
かの魔導所館長が10人が10人とも振り返るのだったら、この人も同じ。歳は僕よりも二回りくらい上のように見えますが、適度に体を鍛えているのかだらしないことはなく、男性モデルさん、或いは俳優さんなのではないかと思いました。
いやいや、しかし。しかし──
一旦、落ち着きましょう。
いくら、この人がめちゃくちゃかっこよくたって、僕の部屋にいることがおかしいです。
僕の旅路には、途中までアルベ様が付いてきてくださいましたが、そのあとは冷たくされてばかりでした。ここにきて、冷たいものが暖かくなるわけありませんよね。
つまり──これは二日酔いが生んだ幻想。
あるいは、酒、イケてるメンズ、ホテルの一室ときたら連想されることは一つ。
僕は、心は男でも身体は女。
女には見えない格好をしがちなので、パッと見ではわからないと思いますが、酒やら何やらで混濁した意識の中では、あらゆることをしたりされたり──
「誰ですかあああああ!!」
僕は叫びました。
その時だけは二日酔いの眩暈や吐き気を全部忘れて、この一室からこの人を追い出すことに集中しました。
勢いで立ち上がり、勢いで相撲取りが如くつっぱりで男の人を押し出し、リビング、そして廊下を歩き、玄関から追い出し、鍵をかけました。
「……え!?ちょっと、ちょっと!?おじさんが、追い出されるの!?」
閉じられた玄関扉越しに男の人が叫びました。
僕はそれを無視し、ホテルのフロントへ警察を呼んでもらうために電話をかけようとしました……が、普通は室内に備え付けられているはずのルームサービス用の電話がありません。
さらに、リビングにはめちゃくちゃ生活感があります。普通、ホテル一部屋といえば必要最低限以外のものは置かれていないはず。それが……なんだか人の家のようなのです。茶封筒がいくつか机の上に置かれていたり、花瓶が飾られていたり?
ん?
そもそも、ホテルにリビングという概念があっても良いのか?
ああ、え?
リビングルームがあって、ベッドルームがあって、あっちにはキッチンもある?
ひょっとして、ここ、ホテルじゃない!?
現実に思考が追いつきました。
思考が現実に追いついた途端、二日酔いの症状が襲いかかりました。
口を押さえてその場にうずくまり、吐き気が収まるのを待っていると、玄関の方で扉の鍵が開く音がしました。
「……まさか、自分の家を追い出されるとは。って、ああ、そんな無理するから……!」
どうやって入ってきたのかは分かりませんが、男の人は僕の状態を見つけると直ぐに僕の方へ近寄り、背中をさすってくれました。
「……大丈夫?ごめんね、そりゃ驚くよね。詳しいことを話してあげたいのだけど、それどころじゃなさそうだから一旦落ち着こうか。立てる?」
正直、あまり大丈夫ではなかったので、ひとまず男の人に身を委ねていると、彼は僕をゆっくりと立ち上がらせ、トイレへと移動しました。
「落ち着いたら出ておいで。何か必要なら今聞いておくけど、どうかな?」
「水。お水を、ください……」
「うん、了解。用意して扉の前に置いておくから、好きな時に飲んでいいからね」
パタン、と優しくトイレの戸を閉めて、彼は行ってしまったようです。
再び一人になった途端に吐き気が蘇り、そのまましばらくトイレとお友達になりました。
しっかし全部吐き出した後、どうして人はこんなにもすっきりしてしまうのでしょう。
まあ、二日酔いの頭痛とだるさは残っているのですが、先まで動けなくなるほどだったのが、今ではケロッとしていて、現況を考えられるほどになっています。
ここはどこか──
というのは何となく察せられました。おそらく、あの男の人のお家なのでしょう。
それから、あの男の人は誰か──
というのは、おそらく酔っ払った僕を介抱してくれた人です。僕には女としての魅力が微塵もないと思いますから、多分きっと恐らく希望的な観測として、"そういうこと"にはなっていないはずです。
あとは、何があったのか──
これは彼に聞かなければなりません。昨日兄様と電話で話した後から今までの記憶が全て吹っ飛ばされていますから。
音を立てないようにトイレの扉をこっそり開けてみると、開いた扉が当たらない位置にコップ一杯の水が置いてありました。
ありがたく、そして勢いよくその水を飲み干すと、また気分がすっきりしたように感じました。このままの調子で、僕は使ったトイレを徹底的に掃除しました。
「おうい、大丈夫か?水はもう少し欲しい?着替えとか必要なら貸すけど。……いや、女性相手におじさんの服貸すのはどう、なのかな?い、嫌だったら新しいTシャツとか買ってくるから!」
そうしていると、トイレの扉の向こうで男の人が声をかけてきました。
「あ、ええと……大丈夫。大丈夫です!」
あまり心配をかけてはいけないと思い、僕はすぐに返事をし、その勢いでトイレ掃除の道具を持ったまま扉を開けました。
「あれ、掃除までしてくれたの?どうせ男の一人暮らしだから気にしないのに。むしろ、そんなところを掃除させちゃってごめんね?」
「……い、いえ。掃除をして喜ぶ職業というか人種、なので!問題ありません!……あ、えと、僕、助けてもらったんですよね?」
「……まあ、ちょっと大変そうだったからね。こんなところで立ち話もなんだから、リビングで話そっか」
そう言うと、彼は廊下を歩いてリビングへと向かって行きました。
状況把握のためにも、彼の提案に従うことは当然でしょう。掃除道具を片付けてから、彼の後に続いて僕も廊下を歩きました。二日酔いからスッキリして余裕ができたのか、視界からさまざまな情報が入ってくるようになりました。
今歩いている廊下は、玄関とリビング、それから一つの部屋を繋いでいました。先まで僕が寝ていたベッドルームと、通りがかりに見たキッチンを合わせると、間取りは2LDKというのでしょう。
廊下から入れる一室の扉が少し開いていたため、中の様子を覗くと、贈り物用の包装がされた箱、ぬいぐるみ、茶封筒がたくさん置いてありました。汚いというほどではないのですが、物を棚などに収納せずそのまま積み上げていくと出来上がる部屋、という感じです。
そして、箱とぬいぐるみと茶封筒の中に塗れてもなお、異彩を放っているもの──電子ピアノが1台置いてありました。ピアノに繋がれているヘッドフォンがボロボロになっているあたり、彼はその電子ピアノをよく使うのだろうと想像できました。
かっこいいし、ピアノも弾けるなんて……。
男性、というか、そもそも人として尊敬ができます。僕にはこれといった特技がありませんから、初対面の彼に対して、長官様とは違った方面の憧れの感情を抱いてしまいました。
と、あまり他人の部屋を眺めてはいけません。プライバシーの侵害です。大人しく、彼が向かったリビングへと移動しましょう。
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