番外編【ナツメ・パルティータ】

京野 参

前編

ナチュラル



『今日も、シエント航空223便をご利用くださいましてありがとうございます。まもなく出発いたします。シートベルトをしっかりとお締めください──』



 飛行機の中。

 機内アナウンスを聞きながら、僕は今までにあった様々なことを思い出しています。


 僕は、『河田』という故郷日本だけでなく世界中でもなのある召使い一家の家系に生まれました。『河田』の家で生まれた者は、全員例外なく、誰かに仕える仕事──使用人となります。

 ひとくくりに使用人と言っても、執事とかメイドとか様々あるのですが、『河田』の家には大原則があります。


 ──女は、執事にはなれない。

 ご主人様を一番近くで支えるものが女であってはならない。


『河田』の現当主──つまり僕の父様は、女性として生まれた僕に対して、そう言い放ちました。

 そんな家の決まりは、僕がわがままでなければ何の問題がなかったのですが、生まれもっての性自認が"男性"……というよりも"他人と比して曖昧である"僕はそんな父様のお言葉に納得することができませんでした。


 僕の夢は、素敵な執事になることです。

 素敵な執事になって、素敵なご主人様の生活を支えたい──ギルディア行政長官エドワード様のように──主人や主人が愛する全てのものを同じ目線で愛せるようになりたいのです。


 そう思って、僕は『河田』の当主である父様に反発し、勘当されました。

 それから日本に居るのが辛くなってしまって、先までの数年間、ギルディア王宮の臨時職員として働いていました。


 ギルディア行政長官エドワード様には、僕が家のことを言わずにギルディア王家で働いていたことが理由で、色々と迷惑をかけてしまいました。

 ドジな性格なので日々の業務でも迷惑をかけていたのですが、今回は決定的です。

 勘当された『河田』の女が、ギルディア王家にて執事をしていると……少し誤解を含んだ形で『河田』の当主の耳に入ってしまったようです。


 もちろん、父様は激怒してまして。

 それで、僕は今日ギルディアを出て、シエント帝国から日本へ帰るために飛行機をいくつか乗り継ぐことになりました。



「はあ……」



 自業自得、というのはわかっているのですが、どうしてもため息が止まりません。

 何せ、短い間でしたがギルディアでの生活はとても充実していました。


 ギルディア行政長官様は言うまでもなく、僕が憧れている執事のお姿で凄くかっこいいです。


 長官様の元で働いて居られるだけで幸せと思っていたら──そこに彗星の如く現れたのがアルベ様です。

 アルベ様は、多分というか絶対ギルディアで一番強い能力者様です。加えて、全く初対面の僕なんかのことを庇ってくれたりと優しさをもっている御人です。

 さらに、ギルディアを悪き魔物から救った英雄様です。色々とお辛いことがあったはずなのに、それをものともせず、凛としたお姿で彼もまた凄くかっこいいのです。


 そして、アルベ様にはマリア様という奥様がいて、彼女は天使を彷彿とさせるくらいお美しいし、伴侶であるアルベ様を凄く慕っています。それでいて、しっかりと自分の芯を持っていて、僕もそれには圧倒されました。"人を想う"とは、こういうことなのだと僕も見習わなければなりません。


 アルベ様とマリア様夫妻はとても良い人たちなのに、これまで大変な思いをされていましたから、この先はただ幸福であれと思いますし、お二人が幸せそうにしているのを見ていればご飯三杯はいけます。


 お二人のもとで働けたら……なあんて思ったこともあるのですが、二人ともが家事全般をこなせてしまっているので使用人として出る幕がありません。むしろ、ドジな僕の方が足手纏いになりそうです。


 ……それに、お二人に仕えるためには、ギルディア行政長官様という関門を越えなければいけません。

 というのも、長官様もあのお二人の幸せを願っている御仁であり、現に幸せの実現に全力を注いでいらっしゃるようですから、そこに僕が入ろうもんなら第一次執事対戦の始まりです。とはいえ、もちろん僕に勝ち目はありません。


 なので、父様に怒られていることも相俟って、潔く身を引きました。引きました、が──



「はあ……」



 やっぱり、ため息が止まりません。

 まだまだギルディアで仕事をしていたかったという思いが、とてつもないです。


 どうせ家に帰ったって父様に怒られるだけ。

 いや、勘当されて家出して、立場を弁えず勝手なことしていたのは僕で、ただただ自業自得なのですけど……やっぱりギルディアでの生活は、かけがえのない時間だったと、こうして飛行機に乗りながら感じています。

 アルベ様とマリア様から、お手紙と贈り物をいただきました。お手紙には故郷に戻っても頑張って欲しい。ナツメの想いがお父さんに届くことを願ってます、という励ましのお言葉がありました。


 僕の想い──

 女であっても、『河田』の執事になりたいという願い。男とか女とか性別の境なく、ただ平等にやりたい仕事に就きたい。


 それは、簡単のようで難しいことです。

 そもそも性別による向き不向きがあります。

 男性に比べて女性は身体が小さくて弱く見えます。いざ主人に危険が及んだ時に、それを守ることができるのは力も体力もある男性です。それに、実際に危険がなくとも、従者の性別を見て主人が襲撃しやすいか否かを決めることだってできるでしょう。

 そうすると、女性は弱く見られるので、その分、主人が危険な目に遭いやすくなるのです。


 その典型例として、僕は最適でしょう。

 身体は小さいし、弱く見える。実際、弱いし。


 牽制の意味でも、やはり一目置かれるのは男性なのです。もちろん女性が劣るという話ではありません。ただ単に、向き、不向きがある問題なのです。



「アルベ様のように、すごい能力があったら良かったのになぁ」



 飛行機の窓から、地上を見下ろして。

 僕は、しばらく想いに深けました。


 けれど、父様に何と話すか全く決まりません。

 思い出せるのはギルディアで過ごした日々のことばかりで……隣に座っている乗客に心配されるほどには、情けなく涙を落としていました。


 飛行機を乗り換えて、乗り換えて……やはり考えがまとまらないまま日本に到着しました。そこから電車に乗り換えて、日本の首都 東京に到着。

 時刻は18時。仕事人や学生らがそろそろと帰り始める時間です。ギルディアとは違い、人、人、人……でちょっと、というかだいぶ疲れてしまいました。ここからもう少し移動をしなければならないのですが、足が動きません。今朝までたくさんの優しさに触れていたためか、東京の人々は少し冷たく感じられました。大きな荷物を背負ってフラフラと歩いている僕もいけないのですが、明らかに嫌そうな顔をして、舌打ちをされるのが正直堪えました。


 少し休憩してから帰ろう。

 しかし、家には真っ直ぐ帰ると伝えてあるので、一応、話を通さなくてはいけません。

 こういうとき、長官様ならあの王家の魔導書をちょちょいと操作して僕達に連絡をするのですが、そのように幻想的な出来事は僕の前では起こり得ません。元々日本には能力者人口が少ないと、何かのテレビ番組で見たことがありますから、そもそもこの日本で能力者が起こす奇跡などというのは、なかなかお目にかかれません。だから、"在る"ことが当たり前のギルディアに来たときは、とても驚いたことを覚えています。


 ああ、いやいや……。

 僕はまた思い出に浸ろうとしてしまいました。


 とにかく、平凡な僕が今からすべきなのは、この広い駅の中で、今では数少なくなった公衆電話を探すことです。携帯電話は外国では使えないと思って、日本を出る時に解約してしまったので、連絡手段はそれしかありません。


 すでに棒のようになってしまった足をなんとか動かして、駅構内地図を頼りにしばらく人の波に抗っていると、ポツンと一つ公衆電話がありました。

 受話器を持ち、硬貨を入れ、番号を入力すると呼び出し音が聞こえました。……おそらく、父様が出るだろうと憂鬱に思いながら待っていると、『はい、河田でございます』と若い声がしました。



「……あ、も、もしもし。僕……いや、私です。ナツメです」



 電話の相手は『ナツメ?』と少し訝しそうに呟きました。各言う僕も、少し不思議でした。声を聞く限り、電話の相手が父様ではないのです。


 しかしその声には覚えがありました。僕の兄の声です。僕の兄は二人いますが、電話の声は2番目の兄です。二人の兄様達は、僕が家を出たころには執事として"ご主人様"のもとで働いている立派な兄です。お二人とも父様とは違い、僕のこと心配してくれる優しい兄でした。



「あれ、もしかして兄様ですか!?」


『そういうお前は……ナツメか!久しぶりだな!家出したって聞いた時はびっくりしたぞ。大丈夫か?飯は食ってるか?それとも食わせてもらえているか?』


「あ……えっと……その……」



 兄様達には、僕の性自認のことは話していません。いくら兄といえど……いえ、兄だからこそ話せませんでした。それに父様に勘当された時にはすぐに家を飛び出したため、おそらく兄様たちは、僕の家出の事実も理由も何も知らないでしょう。尤も、父様に聞かされてなければの話ですが。

 ただ、この調子だと兄様は"僕が家出した"という事実だけを知っているようでした。

 そして、「食わせてもらっているか」という問いには、家出の後はどこかで住み込みのメイドとして仕えているのだと思っていることが察せられました。



「兄様、父様はご在宅でしょうか。家出から帰ってくるように言われて、それで……」


『ああ、父様か?僕も呼び出されて休暇をもらってきたんだが、仕事に出ていっちまったよ。お仕え先の御仁が超有名な楽団のコンサートのチケットを取れとかいう無理難題を押し付けたらしくてさ。』


『──だから、今日は多分戻らないんじゃないか。僕もどうしようか迷っていたところだが、もしよかったら仕事のこと話さないか?お前がどんなとこで仕事してんのか知りたいし、久しぶりに話したい。何なら、兄さんも……』


「……あ、そうなんですね。実は、電車が遅れて時間に帰れそうにないっていう電話だったんです。兄様達とは話したいのですが、まだ到着しそうになくて。父様がお見えでないのなら、今日は適当にホテルでもとってこの辺で過ごしますから」



 自分でも驚くくらい簡単に嘘を吐きました。

 しかも、罪悪感が全くありません。

 兄様が嫌いなわけではなく、むしろ尊敬しているくらいなのですが、仕事の話なんてできるわけがありません。その仕事が原因で僕はここに帰ってきていると言うのに……。



『おお、そうか。じゃあ、明日には会えるのかな。うん、じゃあもし父様が帰ってきたら僕からそういう連絡があったって言っておくから。』


「は、はい。すみません、ありがとうございます」



 ガチャン、と向こうが電話を切った後で、こちらも受話器を戻しました。


 さて、これからどうしよう。

 なぁんて、故意に暇を作った人間の言うことではありません。しかし、本当に何も考えず、ただ父様や家のことから少しでも長く逃げ出していたいがために吐いた嘘。そこに合理性なんてあるわけがないのでした。



「ひとまず、どこかお店に入って時間を潰そう……。父様に何を言うかきちんと考えないと」


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