第3話

 夫は優しい人だ。いつも穏やかで、声を荒げたりするところを見たことがない。とにかく優しい、とても。

 私は彼の穏やかで優しいところが好きだった。優しくされるほど、大切にされていると思えた。

 だけど、この優しい夫が、はたして「良い夫」なのかどうか、今はわからない。


 夫は私を縛りたがった。私のすべてを逐一把握したがった。私の行動や交友関係を制限したりはしない。けれど穏やかな言葉や表情の奥にはどこか有無を言わせないものがあった。すべてを話すことが億劫になるにつれ、行動は単調になり、新たな人間関係を築くのを避けた。友人とも疎遠になっていった。


 優しい夫は、優しさの一方で何もかも掌握しようとする夫は、私が悪夢の何に怯えているのか、その本質には気づいていないだろう。

 だって私はただ従順に、彼の優しさに甘えてきたのだから。毎日悪夢にうなされる私をいたわる彼の腕に、頼るように身を委ねているのだから。



 夜になればまた、私は眠りにつく。



 目が覚めると、隣に夫はいなかった。

 体を起こして、ひゅっと声にならない悲鳴が漏れた。血に濡れた包丁を、血まみれの手で私は握っていた。


心臓は早鐘を打ち、呼吸は浅く、恐怖で体が震えた。


 これは夢だ、と私は思った。いつもの夢だと。少し進めば覚める。いつもの夢をなぞればいい。


 私は震えを抑えつけるようにしてなんとかベッドからおり、寝室を出た。夢の記憶をたどるように、リビングを見、キッチンを見た。

 いつもの夢と変わらず、しんと静まり返っていて人の気配はない。

 少しだけ開いたままのトイレのドアを開いて中をのぞいてみても、誰もいない。


 少しほっとした気持ちで洗面所をのぞいてみても、やっぱり誰もいなかった。


 そしてピタッと閉まった浴室の扉。


 何かとても嫌な感じがした。無意識が開けてはいけないと警鐘を鳴らす。

 どくんどくんと心臓の音が異様に大きく響く。呼吸がうまくできなくて浅くなる。


 近づいてはいけないと思いながら確認せずにはいられない。震えの止まらない手で、浴室の扉を開けた。


 そこには赤色が広がっていた。血まみれの動かない夫が、夫だったものが転がっていた。


 

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