第2話 8月1日――登校日②

 怒りに我を忘れた金髪の男子生徒が、伊十郎の顔めがけて拳を振り上げた。


 だが、その拳は伊十郎には届かなかった。

 突然現れた目つきの鋭い長身の生徒が、男子生徒の拳を素早く受け止めたからだ。


「邪魔すんじゃねぇよ、錦木!」


 殴るのを阻止された男子生徒は歯を食いしばり、怒りに震える声で叫んだ。

 翔太郎は冷たい視線で、男子生徒と女子生徒たちを無言のまま睨みつける。その姿は、まるで不動明王を想起させるような立ち振る舞いだった。


「そうよ! そいつが変に突っかかってきたのが悪いんでしょ!」


 女子生徒が甲高い声で叫ぶ。


「お前も同じ様に――」


 オールバックの男が翔太郎に向かって今にも飛びかかろうとする。


「はーい、そこまで」


 軽やかな声が響く。

 いつの間にか、男子生徒の背後には季祥が立っていた。

 彼は優雅に扇子を広げ、口元に微笑みをたたえていた。


「いやーごめんねー。うちの伊三郎も気が立ってたみたいでさ。ほら、クラスメイトが亡くなるなんてショックなことなんだもの。お互い冷静になろう。はい!仲直りの握手~」


 季祥は軽やかな口調で言って、男子生徒の肩に手を置いた。


「うるせぇ! 外野は引っ込んでろ!」

「そうよ! 関係ない人は黙ってて!」


 なおも興奮の色を見せる3人を見て、季祥は大きなため息をついた。その表情には、少しの諦めと、何かを企んでいるような色が混ざっていた。


「人っていうのは、どうしてこうも頑固なんだろうねぇ」


 季祥はつぶやくように言った。

 彼は翔太郎に目配せをする。そして、ポケットからゆっくりとスマートフォンを取り出した。


「実は伊十郎を見つけたときからさー……撮ってたんだよねぇ」


 季祥は3人に画面を向けた。そこには、彼らの暴言と、男子生徒が伊十郎の胸ぐらを掴んで脅す様子が鮮明に映し出されていた。3人の顔が見る見る青ざめていく。


「テメェ!」


 金髪の男は、伊十郎から手を離すと、季祥に向かって突進した。

 しかし、翔太郎の動きはさらに素早かった。彼は一瞬で男子生徒を捕まえ、床に押し付けたのだった。

 その動作は素人目から見ても、洗練されていて隙のない動きだった。


「暴力はダメだろ」


 翔太郎は冷たい声で言った。その目は氷のように冷たく、男子生徒を見下ろしていた。

 季祥はゆっくりと男子生徒の前にしゃがみ込んだ。彼の顔には、今までに見たこともないような笑みが浮かんでいた。スマートフォンの画面が、男子生徒の目の前でちらつく。


「ねぇ、この動画を先生たちに見せちゃったら、君たちどうなると思う?」


 季祥は笑みを湛えたまま甘い声で言った。


「クソッ」


 男子生徒は悔しそうな顔で俯いた。その目には、怒りと屈辱、そして恐怖が混ざっていた。


「まあ、僕はそんな酷いことことしないけどね」


 季祥は軽やかに言った。そして、「翔太郎」と呼びかけた。


「あぁ」


 翔太郎は短く返事をした。

 彼は静かに身体を起こし、男子生徒から手を離した。

 困惑する男子生徒の目の前で、季祥はゆっくりとした手つきで動画を削除した。


「ほら、僕は消したよー」


 季祥は優しく微笑んだ。


「それで? この後君たちはどうする?」


 その声には、選択を迫る重みがあった。


「クソが!」



 男子生徒はそう吐き捨てると、まるで尻尾を巻いた犬のように、一目散に走っていった。

 翔太郎はゆっくりと身体を回し、呆然と立ち尽くす男子生徒と女子2人を見た。その目は氷のように冷たく、声もそれに負けず劣らず冷ややかだった。


「お前らは?」


 3人は互いに顔を見合わせると、逃げた男子生徒を追って去っていった。


「まぁ、念のためコピーは取ってるんだけどね」


 季祥は軽く笑った。その表情はすぐに心配そうなものに変わる。


「それより伊十郎、大丈夫? どこか怪我とかしてない?」


 季祥と翔太郎は心配そうに伊十郎の元へ駆け寄る。


「あぁ」


 伊十郎は顔を上げずに小さく答えた。


「……今日は鍋を作ろうと思っている」


 翔太郎は少し間を置いて言った。


「だから、2人とも今から家に来い」

「えっ?こんな暑い時期に鍋? 馬鹿じゃないの? 暑さで頭やられちゃった?せめて冷やし中華、そうだ!冷やし中華にしようよ !」

「鍋は栄養満点だぞ」


 翔太郎は自信満々に言う。


「何より、安く済む」


 その口調には、わずかな誇りのようなものが感じられた。



 季祥と翔太郎は、まるで兄弟のように軽口を叩き合い始めた。張り詰めていた空気が少しずつ和らいでいくのを感じる。


 伊十郎はそんな2人を見ていると、そんな2人のやり取りを見ていた。すると不思議と、先ほどまでの重苦しい気持ちが少しずつ薄れていくのを感じた。

 翔太郎は静かに伊十郎に手を差し伸べた。


「立てるか?」


 翔太郎の声は、いつもの冷たさとは違う温かみを帯びていた。

 伊十郎は翔太郎の手を掴んで立ち上がった

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