財前ルール
財前は何事も無かったように再び歩き出す。
自室である【本部長室】と書かれた部屋に入るや否や、財前の足が止まり、片眉がぴくっと跳ねた。
「酒井」
「確認します」
苛立ちを滲ませた財前の声音に反応するように、背後にピッタリと張り付いている秘書の酒井
――二十五度。
酒井が室温設定を二十七度に変更したのを見届け、財前の足が再び動き出した。
財前がデスクに着いたのを確認した酒井は、安堵の溜息を溢しながら一旦部屋を出て珈琲を淹れ、それを手にして再び本部長室へと舞い戻った。
「本日の予定は――」
酒井は財前のデスクに珈琲カップを置くと、手帳に記された予定を読み上げる。
財前はというと、珈琲を目視し、カップの縁から三センチピッタリに淹れられた珈琲の香りを鼻腔で優雅に楽しみ、ゆっくりと口を付ける。
勿論この珈琲もただの珈琲ではなく、厳選されたオーガニック豆を使用し、お気に入りの製糖会社のオーガニック角砂糖一個を入れたもの。
その珈琲をじっくりと味わいながら、本日のスケジュールを把握するというのが財前の朝のルーティン。
この会社には暗黙の了解とも言える、ルールが幾つかある。いや、正確に言えば『財前ルール』と変換されてもおかしくない。
この異常なまでに拘りの強い男が作り出したと言っても過言ではないルールだ。
夏は二十七度、冬は二十三度の室温設定。
社員が胸ポケットに挿すボールペンは、
珈琲豆や砂糖にも拘りがあるが、カップの縁から三センチという量は、この男のみに適用するルールだ。
勿論、他にも財前ルールはあるのだが……。
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