第6話


 「勝手に入ったのは、確かにアタシが悪かった。でも、匿うくらいはいいでしょ?」


 「匿うったって…」


 「もしかして、他に誰かいるの?」


 「誰か…?」


 「2人暮らしなのかなって」


 「1人暮らし…だけど」



 あ、ヤバい


 ここは嘘でも二人暮らしって言っとくべきだったか?


 1人暮らしってそれ、「助けが来ない」っていってるようなもんじゃねーか!


 俺としたことが、こういう時に機転を効かさないでどうすんだ!


 生きるかか死ぬかの瀬戸際なんだぞ…!?


 馬鹿野郎!



 「よかった」



 ほら見ろ!


 言わんこっちゃない。


 犯罪者に安心感を与えてどうする。


 焦る思考の中、ナイフの鋒に視線がいった。


 …どうする?


 どうすればこの状況を切り抜けられる?


 下手に動こうもんなら、ナイフが俺に向かってくるだろう。


 ナイフを向けられた時の防衛術を、テレビかなんかで見たような気がするけど、…どうすればいいんだっけ?


 冷静になれ、俺。


 相手は“女子”だ。


 体格じゃ俺が勝ってる。


 ナイフを持ってるとはいっても、所詮はポケットナイフだ。


 一直線に玄関に走れば、仮に刺されたとしても致命傷は避けられるかもしれない。


 …いや、下手に逃げなくても、逆に「会話」を続けるべきか?


 こう言う時は相手を逆撫でるような行為はしないほうがいいって、誰かが言ってた気もする。


 「匿って欲しい」って言ってるわけだし、その通りにするべきなのか?


 金なら持っていけばいい。


 欲しいもんがあるなら、なんでも持っていってくれ。


 最優先にすべきは「命」だと思った。


 どうせ、この部屋にはろくなもんが置いてないんだ。


 だから…



 「そんな目で見ないでよ」


 「…へ??」


 「ほんとに私のこと、覚えてない?」


 「覚えてないです…」


 「よーく見て。昔とはちょっと違うかもしんないけどさ」



 彼女は少しだけ寂しそうに、俺の目を見た。


 声のトーンは、少し低い。


 さっきも言ったけど、知らないものは知らない。


 

 …まさか、本気で聞いてるのか?



 …いや、あんたのことは知らない。


 もう一度顔を見た。


 ナイフに気が取られるあまり、集中はできなかった。


 だけど、さっきよりは近い距離にいた分、はっきりと確認できた。


 鼻の先に掠めるフローラル系の香りと、上品なほどに艶のある金色の髪。


 目はぱっちりしてる。


 大きい割にどこかスッキリとした印象で、鋭い。


 優しさと厳しさが同居してるような、奥深い目元。


 堀は深かった。


 優等生気質な雰囲気が、スマートな鼻通りの向こうに見えた。


 ってか、多分すっぴんだ。


 化粧特有のテカリもないし、不自然な色合いもない。


 肌そのものの質感と、色。


 近くで見ると、ますます「美形」だなって思った。


 見た目だけで言えば、不法侵入なんて絶対にしそうにない感じなのに、人間ってわからないもんだな…




 …って、…あれ?



 まじまじ見ると、懐かしい気持ちが、なぜか胸の奥に込み上げてきた。


 そう言えば、どこかでこの「景色」を見たことがある。


 全開にした窓から差し込む日差しと、はだけたシャツ。


 怯える俺に覆い被さるように、ずいっと、近づいてくる「体」。


 日曜日のことだった。


 初めて部屋に呼んだ女の子が、あり得ないくらいの近さで、俺の“隣”にいた。


 まるで夢のような時間だった。


 初めて好きになった相手。


 学園一のアイドルだった、——クラスメイト。



 唇が、妙に疼いた。


 ふと蘇ってくる記憶の淵で、あの日起こったことが、沸騰する水のように泡立ち始めた。


 唸るような蝉の声と、乾き切った喉。


 網戸から入ってくる隙間風に、溶けるような、——甘い香り。


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