「第四日:並行世界の交錯 ―仮説―」
8月15日木曜日、さいたま新都心に4日目の朝が訪れた。巨大な卵の存在は、もはや驚きではなく、人々の日常の一部となっていた。しかし、その「日常」は、これまでの常識を大きく逸脱したものだった。
朝9時、さいたまスーパーアリーナで開かれた国際科学会議は、世界中の注目を集めていた。会場には、ノーベル賞受賞者を含む世界的な科学者たちが集結し、巨大卵の謎に挑んでいた。
最初に登壇したのは、ハーバード大学の進化生物学者、エミリー・ワトソン博士だった。
「我々は、この卵が突然変異による進化の可能性を示唆していると考えています」
ワトソン博士の声は、会場全体に響き渡った。
「この卵のDNA解析結果は、我々の知るいかなる生物種とも一致しません。しかし、興味深いことに、地球上の全生物のDNAの一部が、この卵のDNAに含まれているのです」
会場がどよめく中、ワトソン博士は続けた。
「我々の仮説は次の通りです。この卵は、地球上の全生物のDNAを組み合わせた、いわば『究極の生命体』の卵である可能性があります。これは、進化の新たな段階を示唆しているかもしれません」
この発表は、会場に衝撃を与えた。人類の進化の概念を根本から覆す可能性を秘めた理論だった。
次に登壇したのは、MITの理論物理学者、マイケル・チェン博士だった。
「我々は、この卵が平行世界からの干渉によって出現した可能性を提唱します」
チェン博士の言葉に、会場は静まり返った。
「量子力学の多世界解釈によれば、無限の平行世界が存在します。我々の観測結果は、この卵が複数の世界線の交差点に位置している可能性を示唆しています」
チェン博士は、複雑な方程式が書かれたスライドを示しながら説明を続けた。
「この理論が正しければ、我々は初めて、平行世界の存在を直接観測したことになります」
この発表は、科学界に大きな波紋を投げかけた。それは同時に、哲学的な議論にも新たな火種を投じることとなった。
哲学者たちも黙っていなかった。パリ大学の現象学者、ジャン・ルノワール教授は、オンライン会議で次のように語った。
「この卵の出現は、『存在の意味』に関する我々の理解を根本から覆すものです。ハイデガーの『存在と時間』を想起させますが、この卵は『存在の時間性』を超越した何かかもしれません」
ルノワール教授の言葉は、存在論に新たな視点をもたらした。
「我々は、『存在』を時間の流れの中で捉えてきました。しかし、この卵は、時間を超越した『絶対的存在』の可能性を示唆しているのです」
このような科学的、哲学的議論が展開される一方で、一般市民の間では別の動きが起こっていた。
さいたま新都心駅前では、「卵信仰」を唱える人々が集まり始めていた。彼らは、卵を「新たな神の化身」として崇拝し始めたのだ。
「この卵は、我々に救いをもたらす使者なのです!」
自称「卵教」の教祖、山田太郎氏の熱烈な説教に、周囲の人々は熱狂的に反応した。
一方で、卵の存在を脅威と捉える過激派も現れ始めていた。彼らは、卵を破壊しようと企てていた。
「あんなものは、人類の脅威だ! 破壊しなければならない!」
過激派のリーダー、佐藤一郎氏の叫びに、一部の市民が同調し始めていた。
これらの過激な反応に、科学者たちは困惑を隠せなかった。
「冷静になってください。我々はまだ、この卵の本質を理解していません。拙速な行動は危険です」
国立科学博物館の鈴木美咲博士の呼びかけも、熱狂する人々の耳には届かないようだった。
この混沌とした状況の中、高校生たちが面白い取り組みを始めた。さいたま市立O高校の科学部が、「卵の正体」についてのオンライン投票を実施したのだ。
「科学的な仮説から、SF的なアイデアまで、みんなの想像力を結集させよう!」
科学部長の佐々木健太君の呼びかけに、全国から様々なアイデアが寄せられた。
「宇宙人のタイムカプセル」
「未来からのメッセージ」
「地球の意識が具現化したもの」
奇想天外なアイデアが次々と投稿され、SNS上でも大きな話題となった。
この状況を、さくらは冷静に観察していた。彼女は友人とのLINEグループでこう書き込んだ。
「みんな、それぞれの立場で必死に『答え』を探しているんだね。でも、その過程で、人間の想像力の素晴らしさと、同時に恐ろしさも見えてくる気がする」
さくらの言葉は、この異常事態が引き起こした人々の反応の両面性を鋭く捉えていた。
その日の夜、さいたま新都心の街は、これまでにない興奮に包まれていた。科学者たちの大胆な仮説、哲学者たちの深遠な考察、そして市民たちの様々な反応が、空気を震わせているかのようだった。
そして、誰もが気づかぬうちに、この4日間で、人々の「常識」や「現実」という概念は、取り返しのつかないほどに変容していたのだ。科学と哲学、宗教と狂信、そして人々の想像力と恐怖心が入り混じり、新たな世界観が生まれつつあった。
その夜、巨大な卵は、まるで全てを見通しているかのように、静かにそこに存在し続けていた。
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