5ページ目 突然の自分語り③

 こちらの文章内に登場する特定の人物、団体を侮辱、批判する意図は一切ございません。

 また私の家庭環境についても触れる機会がありますが、現在そういった部分で悩みを抱えていらっしゃる方がご不快に思われるような表現、描写がございます。お読みになる際は十分にご注意下さい。


 文中で発達障がいグレーゾーンの症状やADHDの症状に言及していますが、あくまでも私個人の症状であって、感じ方、捉え方には個人差がありますことをご了承下さい。


 それでは長々と大変失礼致しました。

 どうぞ以上の点をご理解頂けますよう、よろしくお願い致します。






 何やかんや高校に進学し、おおよそ平穏に過ごしていた私ですが、遂にその時がやって来ました。そう、進路です。

 高校受験で母の人となりを知った私は、色々と嫌になって一応は進学クラスに籍を置いているにも拘わらず、就職を考えていました。

 県外か、県外でなくとも親元から離れようと思ったんです。


 しかし就職は認めてもらえず、そんなに進学して欲しいなら県外の大学に行ってやろうと思い、私は隣の県にある大学の名前を上げました。そこには英文科と社会学部があり、社会学部の方は高校に推薦枠が来ていました。

 この時は明確な夢という程ではありませんでしたが、高校で世界史を専攻してとても面白かったので、何かそういう仕事に携われたらなと思ったんです。また英文科は英語と本を読むのが好きだったこともあって、翻訳家や通訳という道も思い描いていました。


「英文科か社会学部? そんな何の役に立つのかも解らない学部なんて行ったって無駄でしょ。そもそも、県外なんて行かせられる訳ないし。お金ないんだから。仕送りなんてできる訳ないじゃない」


 お金がないなら、何でわざわざ大学に通わせようとするんだろう。

 こっちは就職したいって言ってるのに。頭がおかしいんじゃないだろうか?


 まず最初にそう思いました。

 母の言い分が理解できず本当に頭が真っ白になってしまったのですが、その間にも話は続いている訳でして。


「それにアタシは母親だから解るけど、アンタみたいに朝が弱くてその上根性なしが、大学に通いながらアルバイトなんて絶対無理に決まってるでしょ。家から通える大学にしなさい」


「この大学なら管理栄養士の資格が取れるし、管理栄養士は国家資格なんだから給料だって良いはずでしょ」


 母が名前を出したのは、私が通っている高校から更に二駅行った市にある大学でした。

 それ以前に私は食に興味関心がなく、また管理栄養士といったら理数系。高校受験の時に数学の出来の悪さが問題になって志望校を下げさせたのを忘れてしまったのだろうかと、さすがに唖然としました。

 自分としては毎日六時間以上勉強し、自分なりに努力した上で認めてもらえなかった中学時代の二の舞はもう後免でした。

 ですので同じ大学でも興味がある他の学部を上げたのですが、「建築デザイン? そんなの何の役に立つのよ」「福祉なんて給料も安いし、わざわざ大学に行ってまで学ぶことじゃないでしょ」と取りつく島もありませんでした。


 しつこく「いや、でも」とごねる私に、最終的にキレた母は「うるさい! 金を払うのはアタシなんだから従え!! アンタはアタシが敷いたレールの上を走っていれば良いんだ! アンタみたいな奴は、そうした方が上手くいくんだから!!」と怒鳴りました。

 こうして文字に書き起こすとまるで漫画や小説に出て来そうな台詞ですが、面と向かって言われた方は言葉を失うしかありませんでした。


 勿論シングルマザーの母が「金を払う」には限界がある訳で、当然奨学金を借りることになりました。

 その際に言われたのは「将来アンタが返すようになるんだから。アンタが入金を忘れないように、よく使う口座にしなさい」で、「私は就職するって言ってるのに、それを認めないばかりか大学とその学部と、人の人生にまで口出ししておいて、奨学金は私に返済させるの?? おかしくない?? しかも借りる奨学金って利子が付く第二種だし、初回は三十万増額してるし、月は十万近く借りてるし。結果五百万位借りてるし、返済には二十年も掛かるんだけど。それに返済の月額はほぼ二万だし。何かおかしくない??」「というか最初は仕送りが出来ないって話だったのに、何で朝が弱いとか、根性なしとか。まるで私のせいみたいな話に擦り変わってるんだ?? 今まで殆んど一緒に過ごしたこともないくせに、何が解るの??」という反論が一気に頭を過りました。


 しかし「この人に何を言っても無駄」という思考が既に出来上がっていたのと、最早言い争うだけの気力もなく、特に口答えすることなくこうして大学受験が始まりました。

 高校にこの大学の食物栄養学科の公募推薦枠が運良く来ていたためその枠を使って受験し、合格することができました。

 結果早い段階で合格が決まったため、空いた時間でアルバイトをすることにしました。

 車の教習代を貯めることにしたんです。何分車がないと生活できない田舎ということもあり、免許を取ることは必須でした。


 この時「免許代位は払うよ」と母には言われたのですが、卑屈を極めた私は「そんなもん払う位なら、そのお金で私が行きたかった大学に行かせてくれよ」と思いながら「大学の四年間があるから良いよ。自分で貯める」と断りました。

 この時は『大学生なんて四年もあるんだし、どうせ暇でしょ』という、母が口にしていた信憑性のない話を信じていたんですね……。


 大学に入学していざ日程を組んでみると、平日にアルバイトを入れる余裕は一切ありませんでした。

 仕方なく土日だけ働くことにしたのですが、大学一年生の四月の時点で「これが四年間も続くのか」という絶望を感じました。

 自分のやりたいことでもなく、ましてや興味がある訳でもない授業は苦痛しかなく、管理栄養士の資格どころかこれでは卒業すらできないんじゃないかと愕然としました。

 それに加えて、親に自分の意見を聞いてもらえて、応援してもらえて。そうして将来の夢に向かって、自分のやりたいことが出来る同級生達の姿が本当にキラキラしていて眩しくて、どうしようもない位に妬みを覚えました。


 またこの大学は私立なので比較的裕福な家庭の同級生も多く、母子家庭というのは私だけでした。

 一年生の時に一度、書類の手続きで大学の窓口を訪れたことがありました。住所の番地の表記に悩み事務員に尋ねた所、「団地……? 団地にお住まいの生徒さんの対応は今までなかったので、ちょっと他の者に聞いて来ますね」と他の事務員に遠慮のない大声で話し掛けていて、それ以来一応は母校なのですが、この大学が大嫌いです。


 アルバイトをしている同級生も、片手で足りる位しかいませんでした。

 そのためか同級生の大半と金銭感覚が異なり『ついていけない』と感じることも多く、余り深く関わることはしませんでした。

 こんな感じで『大学生』というイメージの百倍は味気ない学生生活を四年間過ごし、卒論を書かなくても単位が足りていれば良いという学校でしたので研究室にも入らず、卒業出来るギリギリの単位と点数で卒業しました。


 早い段階で管理栄養士は受からないだろうという予感と、元々好きではなかった料理がこの四年間の実習で更に嫌いになったこともあり、就職先は食とは一切関係のない所にしました。

 恥ずかしながら、大学を卒業してから一度も包丁を握っていません。自慢にもなりませんが。


 母は就職活動には全く口を出してこなかったため、余りの気味の悪さに「職種に悩んでるんだけど……」と話して反応を伺ったことがあります。

 そうすると「アンタの人生なんだからアンタが決めたら」と返され、「今までは私の人生じゃなかったのかよ」「今まで口出したんだったら最後まで責任取れよ」と不快な気持ちになり、聞くんじゃなかったと後悔しました。


 そして食関係ではなく全くの他職種に就職し、また管理栄養士国家試験は数点足りずに不合格となった割には晴れやかな顔で卒業した私に、母はここでようやく色々と悟ったようでした。


 後に地元の市役所職員の募集要項で建築、土木関係の募集が出ているのを見て、また福祉関係の労働環境がどんどん見直されていくようになると、母は「食物栄養学科じゃなくて、建築デザインか福祉学科に行かせれば良かった」とぼやき、私は「本当にこいつどうしてくれようか……」と殺意を覚えるのでした。



 母は高校と専門学校で所謂『上には上がいる』『才能』というものをまざまざと感じ、挫折した経験があるそうです。


 酒好きな母は酔っ払うと「自分のようにはなって欲しくないから、あたしがアンタをここまで導いてやったのよ」と涙ながらによく話します。

 ちなみにですが母は酒癖が悪いです。絡み酒だわ説教癖もあるわ、泣き上戸だわ。叱る時には手を上げるタイプなので幼少期には頭や頬を叩かれたことも多々ありますが、一度、投げられた七味唐辛子の瓶が頭にぶつかったのには参りました。怪我も出血もありませんでしたが、あれは本当に痛かったですね。


 話は戻りますが……高校も専門学校も、そのどちらも母自身が選んだ志望校であり、専門学校もやりたいことをやるために進んだ道です。

 祖母は貧乏ながらも、進路に関しては母の意思を否定することなく応援したそうです。

 努力も可能性も何もかも否定され、その機会すら与えてもらえなかった私と、好きなことをやった上で挫折した母、どちらの後悔が少ないのでしょう。

 既に終わってしまった話ですので議論してももはやどうしようもありませんし、感じた後悔なんてものは比べるようなものでもありませんが……ふとした時に考えてしまいます。



 断りを入れておきますが、ここまで長々と恨み辛みを書き連ねてきたものの、私は別に母のことを嫌っている訳ではありません。

 恨んでいないといったらかなり嘘ではありますが、母自身祖母に色々と言われながら育ってきたことも聞いてはいるので『自分がされたことを子供にしている』、ただそれだけなんだろうなと諦めています。 今更掘り返した所で、もうどうにもならない年齢でもありますし。


 そう思えば仕方ないのかなとは思うですが……もしも私が家族を持って、子供を持った時。

「私とは違って、子供には子供が望んだ進路を歩ませてあげたい」と思う自分と、それ以上に「私は自分の好きなことが出来なかったのに。自分の子供はそれが許されるなんて許せない。私だって自分で選んだ道に進むことができていたら、鬱とか発達障がいグレーゾーンに、ここまで悩まされなかったかもしれない。そうしたら、もっと違った人生があったかもしれないのに」と、そういった「たら」「れば」を考えて母親と同じことをしてしまいそうな私がいて、それが本当に怖くて恐ろしくて。


 ですので家庭も子供も、持ちたいとは一切思えません。


 まあ親元から離れられなかった時点で、家族や子供なんてものは夢のまた夢のような話だったのかもしれませんが。

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