解散表明
「社長。もう一度だけ確認します。撮影者に心当たりがないんですね?」
M'sD社広告部長の
無表情でゆっくりと低い声で問いただす。何を考えているかわからないし、威迫的な態度だと思う。これでは部下が心を折って辞めていっても仕方がない。彼の強引な手法がM'sDの運営には必要だと思って重用してきたが、もう少し早く人事異動が必要だったかな……。
詰問を受けている当の本人、M'sD代表取締役、暮端刻数は二十歳近く年上の部下が憤る様子にため息をついた。
心ここにあらず。その様子を見てとったのか、時折の隣に座る法務・総務部長の
「暮端社長。現状を理解していただけていますか?」
適切な質問だと思う。
「してないよ。さっぱりわからない」
犯行声明が公開されてからの流れは時折の説明で理解が出来ている。だが、時間犯罪者が公開した画像がこれである理由は全くわからない。
「どうやって撮ったんだろうね、こんな写真」
「問題はそこじゃあないでしょう!」
しびれを切らした時折が怒声をあげた。
「重要なことでしょう。普通こんな写真は撮らないし撮れない。時折さん、警察の見解では悪質なハッカーなんでしょ? まずは偽造を疑うべきでしょう。ディープフェイクかもしれない」
昔から写真の加工技術は存在する。最近は技術革新がめざましく、一見すると本物と遜色のない存在しない偽画像が比較的簡単に作れるようになってしまった。
ゲーム業界にもその影響は出てきていて、リリース予定と異なる偽情報が出回って苦労している。ほんの数ヶ月前の時折が会議で述べた話だ。
「それは、そうだとしても本物かもしれんでしょう」
「これらの写真が本物だって? まあ官房長官のあられもない姿は本物かもしれないよ。政界じゃ名定期的にこういう破廉恥ネタはあるし、後ろに写っている裸の女性も特定されたって話じゃない。官房長官は異国の風習の勉強会だって話していたけど、参加者は全員日本人なんだよね」
本人も行為の性質はともかく、写真の現場自体は認めてしまっている。
「でもさ、この銀行の個人情報の写真とか、あとこっち、どこかの企業の未公開技術に関する写真、あとは警察署やら国会議事堂やらの進入禁止エリアの写真。この辺は偽造なんじゃないの?」
「しかし、各局は躍起になって削除を申し立てています」
「まだ削除できていないんだけっけ?」
「できていませんよ。『犯行声明』が広告とすり替わる手口も判明していない。おかげで、現在多くのウェブメディアが広告の掲載を取りやめていると言います」
「そいつはすごいね。閲覧しやすくなったんじゃない。昔のインターネットだ」
手を叩いて喜んでみせると時折が歯を食いしばった。向かい合って座る暮端のところまで歯ぎしりの音が聞こえてきそうな勢いだ。
「社長。年輩者を揶揄うのもいい加減にして欲しいですな」
「なに言ってんの。人事権を持つのは僕だよ」
「経営にほとんど関わらないあなたに何がわかりますか、この声明が現在の当社にとってどんな意味を持つのか」
「だから、偽造だって突っぱねればいい。だいたいにして相手は時間犯罪者だぞ。普通に考えたらイカレた妄想じゃないか。官房長官の件は偶然当たりが出たにすぎない。なんなら今からでも新作の告知を乗っ取られていたとでも発表すればよいかもしれない。僕たちは被害者で、かつ次回作のネタまで出来た」
「そんな話で済むわけがないだろうが。これは事実で、この写真は今も公開され続けているんだ。暮端刻数、あんたに宛てたページとして」
「あくまで僕に宛てたページとしてね。それはそうと。時折部長はあくまでこのページは事実を掲載していると、そう思っているわけだね」
僕は彼が印刷した1枚の写真を手に取った。
鼻から下をマスクで隠し、レインコートで身を隠した男が写っている。男は左手を大きく振りかぶり、握ったナイフを目の前の女性に振り下ろそうとしている。女性は目隠しをされて両手両足を椅子に縛り付けられている。彼らがいるのは何の変哲も無いリビングルームの一角。そして部屋の片隅には、地球儀からシャチが飛び出しているところを造形した金属像が置かれている。とある大会で記念品として作られた金属像で、現在世間には三体しか存在していない。
これは殺人事件の現場写真だ。金属像が現場に残された独身女性の殺人事件。誰だって5年前の報道を思い出す。
「僕も君がこれを持ってくる前に当然あの『犯行声明』をみたよ。それで、この写真だけは事実ならいいなと思っていた」
時折の頬が少しだけ引き攣ったように見えたのは僕の願望だろうか。
「時折部長、息子さんがいましたよね。確か、いまは留学中だ」
「いきなり、なんの話をしている」
彼の声が震えている。当たりだ。
「留学前に紹介してもらったことがあったと思うんですが、目元がね。時折さんにそっくりだった。本当にね」
「な、なにがいいたい」
「いいえ。ただ、僕はもしこの写真が事実なら、市民の義務をひとつ果たせるんじゃないかと思うんですよ。ね?」
「……それが事実だなんてどうやって証明なさるんですか。ディープフェイク。社長が言い出した話ですよ」
声を震わせながら時折が椅子にかけなおす。充分すぎる反応で、隣に座る加島までもが顔を引き攣らせていた。
「社長。時折部長を揶揄うのはその辺りにしていただけますか。私たちが打合せを願ったのは彼を揶揄うためではありません。今後の対応を決めたいのです」
言葉を失い震えている時折の隣で呼吸を整え、加島が改めて用件を述べる。
その心持ちは素晴らしいと思う。ただ、残念ながら時折にも加島にもその席に参加する権利はないのだ。
「そうだったね。ところで加島。ちょうど犯行声明が出る前日の話なんだけどね」
「なんですか? 急に」
「
「はぁ?」
今度は加島が素っ頓狂な声をあげた。
「いやほらばあちゃんも歳だろ? うちの事業のことなんてよくわかってないからさ。売って欲しいって懇願に行ったんだ」
「社長、何を仰っているのかわかっていますか?」
「わかってるよ。ばあちゃんは株主じゃない。M'sDはじいちゃんの夢を叶える場ではなくなった。そもそも君が上場の方針を厭がっていたのだって、じいちゃんの“事業”のせいだろ。あんなもの、一般投資家に開示できるわけがない」
加島の顔から血の気が引いていく。この辺が潮時だろう。
「この件に対するM'sD社の方針を決める。時間犯罪者の犯行声明の真偽はわからないし、僕には何の心当たりもないが、世間が混乱しているのは確かだろう。だからM'sD社は速やかに解散する。まあ、現在販売中のゲームがプレイできなくなるのはユーザーには申し訳ないので、さっさと売り先を見つけてくれ。二束三文で構わないから権利も何もかも譲渡してほしい。それと、僕はこれから全面的に警察に協力をすることにする」
「待ってください。それは、あなたは時間犯罪者のことを知っているということですか?」
「いいや? ただ、彼女に何がおきたのかは知っているよ」
時折と加島が目を見開いて僕の顔をみた。
僕が知っているM'sD社の内実はここまでだ。
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