第28話
「化学兵器の研究所から流れ出した有害物質で水や土壌も汚染された。生き残った人々は安全な水を求めて殺し合いをした」
男は話を続けた。
「警察は機能しなくなり、無法地帯になった街には犯罪が横行した。一欠片のチーズのために容赦なく人が殺された。全て『最後の審判』が起きたせいだ。あれ以来この世は絶望が支配する世界になった」
男は感情が高ぶっている様子だった。
それまで黙って聞いていたティアはケイの方を振り向いた。
「確かに、パンドラの箱が開かれて悪魔達が飛び出した」
ティアがケイに向かって言った。
これは……一花が言っていた……。
「でも出てきたのは悪魔だけじゃない」
ティアが言う。
「何の話だ」
男は訳が分からないと言う表情をしている。
「最後に希望が出てきた。私達がその希望よ」
ティアがケイの目を見て言った。
「何を言って……」
男に構わずティアが言葉を続ける。
「それが私達の役目だもの。人々の〝希望〟になることが」
その瞬間、ケイの頭の中に和実の知識が流れ込んできた。
和実の記憶ならとっくに戻ってたのに。
いや、元からあったものが封印を解かれて溢れ出したのだ。
和実の知識は二段階に分けて封印されていたのだ。
一花が伝えようとしていたのはこれだ。
最後のキーワード。
〝希望〟
ケイは知識の奔流に思わずめまいを覚えて膝をついた。
「ケイ!」
ティアがケイに駆け寄ろうとしたがミールに捕まっているために身動きできなかった。
「……研究所だ」
ケイが言った。
「貴様、何を言って……」
「もう一度研究所に行く必要がある」
ケイはミールの男に構わず繰り返した。
「ケイ、思い出したの!?」
ラウルの問いに、
「ああ、やはり研究所にあった」
ケイが答える。
「一体……」
男はそう言いかけてから言葉を切り、
「研究所って言うのはクィエスとか言うところか」
とケイに訊ねた。
「そうだ」
ケイが返事をする。
「いいだろう。案内してもらおうか」
男の言葉にケイは驚いて男を見た。
「どういうことだ?」
ミールの隊員の一人が困惑した表情を浮かべる。
それはそうだろう。
ミールの隊員は命令に従うように訓練されている。
勝手な行動は許されない。
「そこが全ての元凶なんだろう」
男が言う。
「…………」
ケイは黙っていた。
確かにある意味ではそうだ。
しかし和実は研究所を誇りに思っていた。
そして一花と共にこの星の未来を託した場所だ。
それを悪く言われるのは気分が悪かった。
しかし今はティアが捕まっているのだ。
気分がどうのと言っていられる場合ではなかった。
だがミールの小隊を引き連れてクィエス研究所に行くわけにはいかない。
なんとかしなければ。
そのときティアの手が素早く動いて自分の首に回されている腕に何かを突き立てた。
「っ!」
男が声を上げた。
ティアがそれを引き抜くと腕から血が吹き出す。
山菜を採るためにナイフを使っていたのを思い出した。
ティアを捕まえていた力がゆるんだのか、彼女は身体を屈めて男の腕からすり抜けた。
ケイは自分の持っていたナイフを、ティアを押さえていたミールの隊員に投げつけた。
ナイフが隊員の喉に突き刺さる。
隊員が倒れた。
素早く銃を抜くとラウルに銃を突きつけている隊員を撃った。
ミールから解放されると同時にラウルが銃を抜く。
銃撃戦になった。
ティアを見ると地下鉄の階段に隠れるように伏せていた。
あそこなら銃撃に巻き込まれることもないだろう。
ケイはその場を離れると隊員を一人ずつ撃ち殺していった。
ラウルも樹の陰に隠れてミールの隊員を撃っている。
ケイの耳を銃弾がかすめた。
振り返って撃ち返す。
ミールが倒れる。
ティアが石を投げて隊員の注意を引いた。
隊員がティアを撃つために樹の影から出てきたところを撃つ。
すると別方向から撃ってきた。
ケイは撃った隊員を目の隅でとらえると撃ち返した。
静かな森に複数の銃声が響き渡った。
ケイは移動しながら撃ってくる隊員に撃ち返していた。
唐突に銃声がやんだ。
ケイは倒れている隊員を一人ずつ確認して、まだ息があるものにはとどめを刺した。
捕まったとき、人数を把握できなかったから全滅させることが出来たのか分からなかったがミールは最後の一人まで戦うように訓練されている。
だから、ここに倒れているので全部のはずだ。
「急ごう」
ケイはラウルと共に急いで地下鉄の中に入った。
ティアは既に中で待っていた。
たとえ生き残りがいたとしても中に入ってしまえば追ってくるのは難しいだろう。
ケイ達はクィエス研究所に向かって歩き出した。
地下鉄に入って三日がたっていた。
ケイ達はティアの希望で夜は荒野で寝ていた。
相変わらず容赦のない朝日に叩き起こされた三人は逃げるように地下鉄構内に入った。
「偵察に行ってくるよ」
ラウルはそう言うとケイの返事を待たずに来た道を戻っていった。
追っ手が心配なのかラウルは一日に何度も偵察に行っていた。
「あいつ、心配性だな」
「慎重なのよ」
しかし、そのためこの前の時より進む速度が遅くなっているのも事実だった。
地下鉄に入って七日がたっていた。
ようやく次の駅がクィエス研究所と言うところまで来た。
* *
「三十年だ」
和実はそう言ってカイトに小瓶を渡した。
一花は今、別室で三十年後に向けて録画をしている。
三十年もたてば有毒植物――エビルプラント――はフィトンチッドへの耐性を持って人間達の生活圏に進出してくるだろう。
三十年というのは長く見積もってである。
下手をすればもっと早い可能性もある。
そうなったら、どれだけの人間が生き残れるか分からない。
かといって、それより早くエビルプラントがなくなればスパイドが世界を支配する機会を与えてしまう。
スパイドは今五十代だから三十年たてば八十代だ。
八十代というのは微妙な年だ。
これまでは八十なんてまだまだ元気な盛りだ。
しかし今は状況が違う。
この地獄のようになった世界で年寄りが生きていくのは生やさしいことではない。
三十年後にはスパイドは死んでいることにかけるしかなかった。
スパイドは計略を巡らすのにはたけていたが科学者としては三流だった。
だから計画の実行にジムが必要だった。それが幸いした。
和実は研究所のコンピュータにパスワードをかけてスパイドの自由に出来ないようにした。
しかし当たりのパスワードが出るまでコンピュータで片端から入力する方法がある。
それを防ぐためにパスワードを間違えた人間を攻撃するようレーザーを取り付けた。
これで安易に入力する手は使えなくなった。
メインコンピュータが使えなければこの研究所では何も出来ない。
和実は一花と親友のカイトと計画を練った。
メインコンピュータはいつまで封印しておくか。
誰が封印を解くのか。
どうやって解くようにするのか。
エビルプラントにどう対処するのか。
三人はスパイドの目の届かないところに隠れて計画を練った。
「メインコンピュータにアクセスできなくしたのはお前達か!」
計画も最終段階に入り、後はカイトが計画を実行するだけ、と言う段になってスパイドに見つかってしまった。
「あなたの思うようにはさせない」
一花が言った。
「お前らに止められるものか!」
スパイドが怒鳴る。
和実が止めるより早く一花がスパイドの前に立ちはだかった。
「よせ!」
和実は手を伸ばしたが、わずかの差でスパイドの方が早かった。
ナイフが一花の胸に突き刺さる。
一花は声もなく倒れた。
「一花!」
「この女のようになりたくなかったらそれをよこせ!」
スパイドがナイフを和実に向ける。
「この!」
和実はスパイドに掴みかかった。
二人がもみ合いになる。
机にぶつかった弾みでナイフが和実の腹に刺さった。
「くっ!」
「和実!」
カイトが叫んだ。
「カイト! 行け!」
和実はナイフを持ったスパイドの手を握りしめたままカイトに怒鳴った。
エビルプラントへの対策はまだ何もなかったが、ここでカイトが捕まってしまったら希望は潰える。
いつか和実の記憶を託された子供がなんとかしてくれることをに望みを託すしかない。
「は、離せ!」
スパイドがもがくが、若い和実の方が力が強かった。
「和実!」
「早く!」
カイトは、和実と、倒れている一花を見てからドアの外に駆けだした。
「この! 離せ!」
スバイドはナイフを押し込むとひねった。
和実の腹部に激痛が走る。
刺されたところが溶鉱炉にでもなったみたいだ。
汗が顔中から流れ出してくる。
それでも和実は渾身の力を振り絞ってスパイドを押さえた。
カイトが持っているのは最後の望みだ。
これだけはスパイドの思い通りにさせるわけにはいかない。
「この! この!」
スパイドはナイフを小刻みに動かす。
和実は必死で痛みに耐えていた。
そのとき、窓の外に止めてあった車にカイトが乗り込んだのが見えた。
車が勢いよく走り出す。
カイト、あとは頼む……。
和実は一花の隣に倒れ込んだ。
最期に見たのは眠っているような一花の顔だった。
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