第3話

「なに? ここ……」

 ティアが不思議そうな声で言った。


「備蓄庫だよ。『最後の審判』の前の」

 ラウルが答えると、

「そんな大昔のものが残ってるの?」

 ティアが驚いたように言った。


 大昔と言っても三十年ほどなのだが。


「そうだよ」

 ラウルが頷く。

「こんなところがあるなんて知らなかった」

 ティアが物珍しそうに辺りを見回している。


「入れるのはケイだけだからね。知らなくて当然だよ」

 ラウルが答える。

「あの人しか入れないってどういうこと?」


「ケイが押してたパネル見た?」

 ラウルの問いにティアは無言で頷いたらしい。返事は聞こえなかった。


 ケイが押したパネルは五かける五の十五枚に区切られていた。

 パネルには数字や文字などは何も書かれていない。


「ケイは適当に押してるって言ってるけどね、でも十五桁のパネルを十二回適当に押して、それが正解である確率はゼロに近いよ」

 ラウルが言った。


「でも、それならあなたも適当にやってみれば……」

「間違えると殺されるんだ」

「嘘」

 ティアが信じられないというように言った。


「嘘じゃないよ。時々死体が転がってる。あれは適当に押して間違えたから殺されたんだと思うよ」

「誰が殺すの?」

 ティアが訊ねる。

 入口に見張りはいなかった。


「そう言う装置が付いてるんだよ。間違えた人間を殺すような」

「…………」

 ティアは言葉を失ったようだ。


 パネルを押す順番をラウルに教えようと思ったこともある。

 だが意識的に押そうとしても出来なかった。

 十二回というのも横でラウルが数えていたから分かったのだ。


 あとは押してるところをラウルに見ていてもらって順番を覚えてもらう以外に教える手段はない。

 だが間違えたら殺されるのでは覚えたのが正しいのかどうか迂闊に試してみることも出来ない。


 備蓄庫の中を一通り見て回ったケイは、携帯食と水のボトルを三人分取り出してラウルとティアに渡した。


「三十年前のものだけどね。食べても死なないよ。僕らがその証拠」

 ラウルは冗談めかして言った。

「これ何?」

 ティアは緑色の紙に包まれた直方体のものを見下ろしながら訊ねた。


 包み紙を開くと三センチ四方くらいのビスケットのようなものが五つほど入っていた。


「携帯食だよ。一つか二つでお腹いっぱいになるはずだから残りは取っておくといいよ」

 ラウルはそう言って自分の分を食べると、棚からバックパックを取りし毛布と携帯食を入れてティアに渡した。


「あ、着替えも必要なら探してみるといいよ。女性用の服も置いてあるから。僕らとお揃いになっちゃうけどね」

「有難う」

 ティアはそう言うと棚の間を見て回り始めた。


「これからどこへ行くの? どこか当てがあるなら送っていくよ」

 ラウルは棚の間を回っているティアに声をかけた。


 ケイは顔をしかめた。

 ラウルはとことんティアに関わる気らしい。


「ここから少し北へ行ったところに村があるの。そろそろそこが種を植える時期だからそこから始めるわ」

 ティアが答えた。


「仕事ってこの辺でしてるの?」

「主にこの〝ライン〟ね」


〝ライン〟というのは海岸に沿っている緑地帯――シーサイドベルトを指す。

 この大陸は南北に縦長の菱形に近い形をしているから、シーサイドベルトもほぼ南北に走っている。

 この大陸では、赤道から大陸の北端、または南端までを一つのラインと見なすのでラインは四本という事になる。


「南の村から農業のアドバイスをしながら北上していって、一番北の村まで行ったらまた南下してくるの。一カ所に収穫までとどまることもあるけど」

「へぇ」

 ラウルが感心した声で言った。


「ウィリディスの追求がきつくなると別のラインへ移動したり、今回みたいに森の中で植林を手伝ったりするの」

「森の中で植林をするの?」

 ラウルは不思議そうに聞き返したが、ケイにはその経験があった。


 緑地帯と内陸の荒野の間には〝エビルプラント帯〟と呼ばれる有毒な植物の帯がある。

 このエビルプラント帯がシーサイドベルトや川沿いの緑地帯と内陸の境界線になっていた。


 エビルプラントは葉や幹も有毒だし樹液も猛毒だから引っこ抜くことは難しい。

 燃やしても有毒ガスが発生する。

 このエビルプラント帯が人間の内陸へ行くことを阻んでいた。


 しかし、このエビルプラントは普通の植物が発生させるフィトンチッドと言う物質には弱いため普通の植物の近くには生えることが出来ない。


 そのため緑地帯の植物とエビルプラント帯の間にはわずかにあいだがあいている。

 そこに植林をするとエビルプラント帯はその部分だけ内陸側に後退する。


 そうやって少しずつ植林することで緑地帯を広げていくのだ。

 森の面積が広がれば葉から蒸発する水分により雨雲が出来、雨が降れば緑地帯が広がる。

 今のところ雨が降るほど緑地帯が広がっている場所はないようだが。


「へぇ、そうなんだ」

 ティアの説明にラウルは納得したように頷いた。

「緑地帯が広がれば内陸へも行かれるようになるよね」

 ラウルが興奮したように言う。


「そうね」

 ティアが首肯しゅこうする。


 内陸には空港も宇宙港もある。

 もっとも、海には港があるにも関わらず、隣の大陸へすら行かれないことを考えると、空港や宇宙港へ行かれても他の大陸や別の星へ行くことは不可能に近いだろうが。


「じゃあ、ティアの言う村へ行こう。いいよね、ケイ」

 ラウルが言った。


 農繁期の村は人の出入りが激しい。

 隠れるにはいいところだ。

 村人に混じって農作業をしていればミールをやり過ごせるだろうとラウルは考えたようだ。


 確かにその通りなのだ。

 ミールが村を襲うことはまずない。


 襲うときは村人全員を殺すが。

 しかし、そうやって『最後の審判』後、わずかに残った人間を皆殺しにしてしまったらミールの役目も終わる。


 ミールは全ての役目を終えたとき、全員自害することになっている。

 だからと言うわけではないだろうが、ミールはよほどのことがない限り村を襲わない。


  * * *


 それはほんの偶然だった。

 研究所の敷地は広く、食堂も部署ごとに別れていたから他の部署の人間と知り合う機会などまずなかった。


 女性が大荷物を地面にぶちまけてしまい慌てて拾っているのを見て、自分の足下に転がってきたものを拾って渡した。


 それがきっかけだった。

 ほんの偶然。

 しかし、すごい偶然だった。


 彼女――一花いちか・ルツェルンは植物学者で、世界各地で農業アドバイザーもしていたから研究所に顔を出すことはほとんどなかったのだ。


 その滅多にない機会に二人は出会った。

 一花は拾ってくれたお礼にと、和実かずみをお茶に誘った。


 後になって、知らない人間をお茶に誘ったのは初めてだったと一花が打ち明けてくれた。

 一花は美人だったこともあって和実はすぐに承諾した。


 そのまま店が閉店するまで二人は話をした。

 二人がうち解けるのに時間はかからなかった。


 一花はいつも世界中を飛び回っていたが戻ってきたときは必ず和実と一緒に過ごした。


 いつの間にか二人でいるのが当たり前になっていた。

 和実はよく、「農作物なんてスペースコロニーの工場でいくらでも作れるのに、わざわざ地上に作るなんて物好きな」と言って一花をからかった。


 和実自身、研究しているのは植物をより育てやすくするための土壌改良の研究だから、あくまで冗談だが。

 一花はその度に「植物は地上で作るのが自然なのよ」と言って反論した。

 和実が冗談で言ってるのが分かってるから一花も軽く受け流していた。


 一花は植物を育てることに関しては一種の天才――それはほとんど神懸かみがかり的だった。

 彼女はどんなに不毛な地でも植物を育てることが出来た。

 一花が指導した農場は必ず豊作になった。


 何かタネがあるんじゃないかと勘ぐるものもいたが、秘密をあばいたという人間はいなかった。


 彼女は〝緑の魔法使い〟と呼ばれていた。


  * *


「ねぇ、空の瓶ない?」

 ティアはどこから持ち出してきたのかいくつかの薬品の瓶を抱えていた。


「空の瓶? ケイ、見なかった?」

 ラウルがケイに声を掛けた。

「さぁな。そんなものがあるかなんてチェックしなかったから」

 ケイが肩を竦める。


「じゃあ、探してみよう」

 ラウルはそう言うと立ち上がって探し始めた。

 ティアももう一度棚の影に消えていった。


 しばらくしてティアがバケツを持ってきた。


 空の瓶は見つからなかったので、ケイとラウルで一リットル入りの水を半分ずつ飲んで一本分の空のボトルを作った。

 ティアはバケツに薬品を入れて混ぜ始めた。

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