第2話

 三人は東に向かって歩いていた。

 連中が西から来るのなら東に行くしかない。

 選択の余地はないのだ。


 三十年前、『最後の審判』が起きた日から雨は内陸の奥にある高い山の上にしか降らなくなった。


 雨が降らないから内陸の平地は荒野になり、緑地帯は海沿いと川沿いだけになった。

 そのため人間の行動範囲は川沿いと海沿いの緑地帯に限定されているのだ。


 川沿いの緑地帯の幅は川の大きさによる。

 向こう岸が見えないような大河でもない限り広くて百メートル程度だ。


 三人がいるのは大して広くない川沿いの緑地帯である。


 幅数十メートル程度だから一本道みたいなものだ。

 西から来た連中が、ケイ達と出会わなかったことに気付けば、そのまま東に来るだろう。


 シーサイドベルトと呼ばれる海沿いの緑地帯は数キロの幅がある。樹が生えているのは主に川辺でそれ以外はほとんど草原である。

 森の樹々がまばらになってきたところを見ると、そろそろシーサイドベルトに入っているかもしれない。


「ここ、どの辺かな」

 ラウルの問いにケイは背負っていた荷物を下ろした。

 地面に置いた荷物の前にしゃがみ込むと、地図を出すためにバックパックを開いた。


 少女がケイの方を振り返り、

「あーーー!」

 悲鳴に近い声を上げた。


「どうしたの?」

 ラウルが驚いたように訊ねた。

「荷物がない」

 少女が答える。


「当然だろ。持ってこなかったんだから」

 ケイが素っ気なく言って荷物の中から地図を引っぱり出す。

 少女はケイを睨み付けてから踵を返した。


「どこに行くの?」

 ラウルが声を掛ける。

「荷物取りに帰る」

 少女の言葉にラウルが黙って西の空を指した。

 黒い煙が乾いた空に立ち昇っている。


「何あれ」

 少女が首を傾げると、

「さっきの連中の仲間だよ。あの人達の遺体と持ち物を焼き払ってるんだ」

 ラウルが言った。


「なんで!?」

「知識を後世に残さないために」

 ケイは地図を広げなら答えた。


「知識って、植林の?」

 少女の問いに、

「兵器製造のだ」

 ケイは地図に目を落としたまま言った。


「そんなの作ってなかったわよ!」

 少女が心外だ、という表情で言った。


「作ってたんだ。審判前に」

「ケイ、もう少し優しく……」

 ラウルがケイの素っ気ない態度を穏やかにたしなめた。


「どこにそんな証拠があるのよ!」

 少女が腹を立てたように言うと、

「証拠なんかいらないんだ。あいつらがそう思えばそれで十分なんだよ」

 ラウルが答えた。


「そんな……!」

 少女は何かを言いかけて口をつぐんだ。

 煙が昇っている西の空を見上げる。


 ケイは地図を広げたままラウルを見上げた。

 ラウルは少女に気を取られているようだった。斜め後ろから少女を見つめている。


 空を見ていた少女が口を開きかけたとき、

「君の名前、何て言うの?」

 ラウルが訊ねた。


 と言うことは、やはり二人は知り合いではなかったのか。

 だとしたら、さっきのラウルのリアクションはなんだったんだろうか。


「僕はラウル。ラウル・クライ・デート」

 ラウルが名乗ると、

「ティア・シティル」

 と少女が答えた。


 ラウルがケイを無言で促す。

 ティアもつられるようにケイの方を向いた。


「……ケイ」

 嫌だったが仕方なく名乗った。

「それだけ?」

 ティアが首を傾げる。


「ちょっと、訳ありで……」

 言い掛けたラウルを、

「追われてるんでね」

 ケイは遮って答えた。

 ラウルが非難がましい視線を向けてくる。


 大抵の人間は追われていると言うと関わり合いになるのを恐れて離れていってしまうからだろう。

 だがケイとしてはティアというお荷物を抱え込む前にどこかへ行ってほしかった。


 しかしティアは動じずに、

「じゃあ、お互い様ね」

 とだけ言ってから、もう一度西の空を見上げた。


 ケイとラウルは顔を見合わせた。

 ティアはミールのことを知らなかった。

 と言うことは、追っ手は他にいると言うことだ。


 こんなに可愛い顔をして、一体何をしでかしたんだろうか……。


 ラウルも同じことを考えたようだが、口に出して言ったのは、

「あのさ、荷物とか、無いと困るよね?」

 だった。


「まあね」

 ティアは曖昧に答えた。

「お金とかも無いよね?」

 ラウルが更に訊ねる。


「そうだけど……どうせ、そろそろ働き始めなきゃなんなかったし……」

「……君の仕事って?」

 ラウルが少し躊躇ためらってから訊ねた。


 どこにも所属してない少女が出来る仕事は限られている。

 しかし彼女はそう言う仕事をしているようには見えない。

 薄紅色のシャツのボタンは、第一ボタンまでしっかり閉めているし、下はスカートではなく作業用のズボンだ。


 服は労働していたことを示すように所々に泥が付いている。露出している部分と言えば顔と手くらいだ。

 それに客が来るような町中ではなく人気のない森の中にいた。


 殺された家族には、ちゃんと母親らしい人物がいたから専属の娼婦だったわけでもなさそうだ。

 あんな森の中では召使いも必要ないだろう。ベビーシッターも。

 そもそも森の中にいたら報酬は払えないわけだし。


「農業アドバイザーよ」

 予想外の答えにケイとラウルは再び顔を見合わせた。

 こんな若い女の子が、と言う思いと、なぜ農業のアドバイザーが追わるのかが理解できないという思いがあった。


「それって誰かに追われるような仕事?」

 ラウルが二人の疑問を代表して聞いた。


「ウィリディスって知ってる?」

 ティアの問いに、

「農家に種や苗を提供している団体でしょ」

 ラウルが答えた。


 農家はどこもウィリディスから種や苗を買っている。

 他に販売している組織はなかったはずだ。


「シンジケートよ」

 ティアが軽蔑したように言った。


「農家は毎年種をウィリディスから買わなきゃならないのよ。ウィリディスは種の出来ない種を売りつけて、種の作り方を秘密にしてるから」

「君は種の作り方を知ってるの?」

 ラウルが訊ねる。


「ええ。ウィリディスは農家が他から種を買うのを許さない。刃向かえば殺される。だから商売の邪魔をしてる私も殺したいの」

 ティアが言うと、

「命を狙われてるのに、それでもやめないの?」

 ラウルが信じられないと言う表情で訊ねた。


 ティアが肩をすくめる。


「それが私の仕事だもの」

 ティアはそう答えた。


 ラウルとティアが話し込んでいる間に、ケイは膝丈まで伸びている草むらの中に、幅五センチ四方高さ五十センチほどの標識を見つけた。


 細くて低いから知らないとなかなか気付かない。

 よく見ると、標識の後ろ七十センチ四方は鉄板に覆われていて雑草が生えていない。


「ラウル、今夜はここで寝よう。うまくすれば奴らをやり過ごせる」

「分かった」

 ラウルはケイに返事をするとティアに向き直った。


「君も一緒にどう? 一人で荷物もないんじゃ何かと不便でしょ」

「有難う。でもいいの?」

 ティアはケイを見ながら言った。


 ケイがティアを歓迎してないのを分かっているらしい。


「かまわないよ。ね、ケイ」

 ラウルが答える。


 かまわなくはないのだが早くしないとミールに追いつかれる。


 ケイは素早く標識についているパネルを押した。

 地中に埋まっていた鉄板が十センチほど盛り上がったかと思うと表面がスライドして開く。

 中にあったのは地下へ続く階段だった。


「これって……」

 ティアが驚いたように目を丸くした。

「話はあとだ」

 ケイはそう言うと中へ入っていった。


 ティアは躊躇ちゅうちょしているようだ。

 女の子が見知らぬ男二人と室内に入るのを躊躇ためらうのは当然だろう。


 しかしラウルはティアの手を取ると後に続いた。

 三人が階段を下りたところで地上の入り口が閉じる。


 同時に中の明かりが付いた。

 そこはいつも利用している他の備蓄庫と同じ作りだった。

 階段を下りて扉を入ったところにある壁には何もないが、よく見れば左隅の方にデータディスクを入れるスロットがある。他の壁は棚が並んでいた。


 部屋のほとんどの部分が棚で占められている。

 棚を置いてない壁の前に少し空間があいているだけで後は棚と棚の間の通路だけだ。

 室温は常温に保たれているから夏は涼しくて冬は暖かい。


 ケイはここの備蓄庫へ来たのは初めてだったので何が置いてあるのかざっと見て回った。


 広さは二十メートル四方くらい。棚には非常食や水、毛布、着替えなどが整然とおかれている。

 他の備蓄庫と同じだ。

 存在を知っていて、なおかつ中に入れるのは今ではケイぐらいだから置かれているものはどれも手つかずだった。

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