第一章7話『歪な世界』

「地上に三つ、雲の上と地下に一個ずつ國があるんや。まぁ、行き着いた國で過ごすんが普通やからそこは気にせんでええよ」


 間髪入れず一方的に話を続ける伽耶かやは落としめのペースで話してはいたがそれでも情報量はかなり多く、話の後半で露零ろあは一度思考停止してしまう。

 その後、再思考した少女は彼女の最後の言葉で湧いた一つの疑問を問い掛ける。


「私も水鏡ここから出られないの?」


「無理強いはしてへんよ。でも推奨はせえへん」


 露零ろあの質問の真意は失われた伽耶かやの記憶を取り戻すため、そして言葉のを確認しようと考えてのことだった。


 だがしかし、恐らく伽耶かやは自身の記憶を全くと言っていいほど疑っていない。

 自身の記憶を話そうかと迷っていた露零ろあだったが、少女が意を決する前に伽耶かやは話を進める。


「そうや、言い忘れるとこやったけど國に当てはまらへん場所は全部って呼ばれてるんや。よう話題に上がるから頭の片隅にでも置いとき」


 全て話し終わる前に露零ろあからの問いがあったため、思い出したように最後に補足する伽耶かや

 そんな彼女に話の主導権を完全に握られた少女は自分語りどころか質問をする間もなく、以降はただただ説明を受けるだけになっていた。


「んで最後に話すんはウチら人間と古代樹についてや。まずウチらは動物とちごうてってもんがないんや。身体の構造上、の感情はあるみたいやけどな。でもそれやとどう生まれるんか気になるやろ?」


「うん」


「そこで重要になるんが古代樹こだいじゅってなわけや。古代樹こだいじゅはなぁ、故人の魂を養分みたいに取り込んで新しい命を実らせるらしいで」


 一通り話し終えたのか、注視していなければわからない程度に息を整える伽耶かや

 彼女なりに最大限要約した説明なのだろうがそれでも一からの説明となるとやはり長々となってしまうもので、彼女が息を切らせるのも仕方のないことかもしれない。


 だがそれ以降は疲労を感じさせる素振りを微塵も見せることはなく、再び露零ろあに視線を向けると彼女は次に疑問点の有無を確認する。


「……と、まあこんな感じちゃう? 他に聞いときたいこととかある?」


 すると露零ろあは心に抱いていた素朴な、しかし的を射た疑問を彼女にぶつける。

 それは伽耶かやとお対面する少し前に遡り、ずっと心に引っかかっていただった。


 しかし彼女から返ってきたのは少女が求めていたものとは違い、露零ろあは抱いた疑問を払えないでいた。


「名前ってなに? 私、生まれたときから――」


「ん? 名前なんか他人と区別するもんでそれ以上でも以下でもないやろ? 


 伽耶かやはかなり癖の強い、訛りのような独特の口調をしていたが、露零ろあが脳内で情報を整理し、標準語に置き換えることができたのは冒頭のがあったからに他ならない。

 言葉一つで特定の感情を心から取り除くなど相当に高度で繊細な技術が備わっていなければできない芸当だろう。

 しかし何か思うことがあったのか、伽耶かやは顎に手を当てしばらくすると今度は脱力した口調で露零ろあに話し掛ける。


「別に今すぐ理解せんでもええよ? 言葉が伝わらへんことはなさそうやけど標準語の方が理解しやすいやろうし」


(一遍いっぺんうても処理追いつかんやろうしあとはようできた従者が補足してくれるやろ)


「へっ?」


 彼女の言葉に思わず気の抜けた返事をしてしまい、露零ろあが言葉の意図を理解したのはそれから数秒が経過した後だった。


(やっぱりお姉ちゃん、私のこと覚えてないんだ…。お姉ちゃんとずっと一緒にいたんだから話し方なんて気にならないのに)


 聞きなじみのない言葉でも、言葉自体の意味を露零ろあが理解しているのには訳がある。

 当然露零とうぜんろあに限った話ではないが、繰り返す転生の中で生前に見聞きしたことの一部が魂に刻まれているからだ。


 露零ろあもまた、無意識のうちに決めつけで物事を判断していた。

 少なからず感情の取り払いによってできた心のゆとりが情報処理の促進に影響していたのだが、少女は自分自身の力と記憶のお陰だと思い込んでいた。


 そんなことを考えながら自身の記憶を辿っていると、本来伽耶ほんらいかやとの思い出に差し当たるはずが、まるで記憶の一部がごっそり抜け落ちたかのように伽耶かやとの関係を示す記憶が虫食いになっていることに気付いていく。


(あれ、なんでだろ? お姉ちゃんとの思い出がぽつぽつしてる)


 一方その頃、部屋の外では何やらがさつき始め、室内にいる伽耶かやは「何やえらい騒がしいなぁ」と障子に目を向けながら一人呟いていた。

 次の瞬間、聞き覚えのある声が突っ込み事故の如く勢いで障子越しから飛んでくる。


「ちょっとちょっと! なにしれっと私たちに押し付けようとしてるんですか!?」


「言っておきますがまだ伽耶かや様自身のことも後継の件も話題に上がっていませんからね」


 最初の声は感情を昂らせた心紬みつだった。

 障子越しではあるが、おそらく主君である伽耶かやの心を読んだのだろう。

 そんな心紬みつに続いてシエナの冷めた口調の辛辣な物言いがまるで鋭利な刃物のように続け様に障子をすり抜け飛んでくる。


 次の瞬間、勢いよく障子が開き、外で待機していた二人が同時に部屋の中に突撃してくると彼女達は伽耶かや杜撰ずさんな説明を咎め始める。

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