第一章5話『心を読む女』

 (触ってみたい!)と相も変わらずに考えていると本人に伝わったのか、さらに距離を取られてしまう。

 二人がそんな言葉のないやり取りをしているとの場違いとも思える一言で場の空気は変化する。


「そう言えばあなたの名前を聞いていませんでしたね」


 心紬みつの唐突すぎる話の振りに(思い出したことを言っただけなんじゃ…)と考えているとシエナも同じことを考えたのか、露零ろあが口を開くよりも先に刃物のような鋭利で愛のない言葉が少女の背後から勢いよく飛んでくる。


「ずっと一緒にいたんですよね? 何してたんですか」


「あはは……」


(私も、もっと早く聞かれると思ってた)


 心紬みつのことをと感じた露零ろあだったが少女にはそもそも名前を付けてくれるような人物など身近にいない。


 ――にもかかわらず。

 名前を聞かれ、少女はそれに心当たりがあった。


 名付け親などいやしない。

 だがしかし、即席で思い付いた名でもない。


 一つの単語としてという言葉が記憶の片隅にあるだけで、名前が弓波露零それということ以外、名前に関する前後の記憶が曖昧になっていた。

 少女は軽く瞳を閉じ、自身の胸元に手を持ってくると今度はゆっくり瞳を開き、快く自己紹介を始める。


「――なまえ、私の名前は弓波露零ゆみなみろあだよ」


弓波露零ゆみなみろあ、ですね」


 少女の名前を聞いたシエナは意味深な表情を浮かべた後、何やら訳あり気に「弓波ゆみなみ…」と呟く。

 しかし、一方の心紬みつは少女の名前にそれほど反応を示さなかった。


 むしろ少女の自己紹介が終わると心紬みつはシエナに目配せをし、アイコンタクトを送っていた。

 そして向けられた視線に気付いたシエナは早々に彼女の意図を汲み取ると気怠そうに渋々自己紹介を始める。


「――あなたはもう済ませているようですね。どうも、伽耶かや様の従者のシエナです。以後お見知りおきを」


 促されるがまま軽く自己紹介を済ませたシエナだったが、心紬みつはそんな彼女に満足していない様子だった。

 友人のことをもっと紹介したい、知って欲しいと考えたのか、心紬みつはこの空気に便乗してシエナの情報を勝手に深堀して少女に説明し始める。


「シエナは和猫との混血種で索敵・戦闘・情報収集とあらゆる分野で秀でているんです。そして彼女は私たち従者の中でもとりでと呼ばれていて、國はとりでがいてこそ成り立っているとまで言われているんですよ」


(よくわからないけどなんだか凄そう!)


 それが露零ろあの率直な感想だった。

 シエナの自己紹介までは理解できていたがその先、心紬みつの補足がかえって少女の理解を妨げていたのだ。


 そんな彼女に露零ろあは(心紬みつお姉ちゃん説明下手っぴだよ)と内心悪態をつく。

 しかし(せっかく教えてくれたんだし…)と考え直すと、できるかはともかく少女なりに理解しようと試みる。


「はぁ…あなたのその順序立てて話さないところは相変わらずですね」


「そうですか? いつかは話すことですし細かいことはいいじゃないですか」


「やれやれ、露零ろあと言いましたか。先輩風を吹かせてますが心紬みつの話はで聞いていいですよ」


 しかし気を利かせたシエナの言葉は少女の耳には届いておらず、情報処理に手一杯な少女の脳内はこんがらがっていた。

 そんな少女なりの努力が伺え、シエナは話を振る矛先を心紬みつに変更すると今度は伽耶かやに関する話題を振る。


 それから数分が経過した頃、心紬みつがシエナを慌てて呼び止める大きな声が聞こええたことで散乱した情報をまとめ、一つのものにするという目隠し福笑いにも似たことを脳内で行っていた露零ろあは冷静さを取り戻す。

 いや、情報ピースが不足していることを踏まえるとそれ以上に難易度は高いかもしれない。


「待ってください! 伽耶かや様ももう戻られるんですよ!?」


「心が読めるあなたなら私がすぐに戻ってくることくらいわかりますよね?」


 部屋の空気が徐々に不穏になっていくことを感じ、露零ろあはさっきまでとは真逆の状況に驚き、慌て、急いで話題を変えようと思考を巡らせる。

 しかし二人の会話に出てきたあるに少女の脳内は瞬く間に支配される。


(心が読める?? もしかしてあのとき……)


 この時、露零ろあは城下町でのについての会話を思い返していた。

 当初は無意識のうちに言葉にしていた、あるいは表情を読まれたのだと考えていた露零ろあも心を読めるということを前提に考えると全て繋がるのを感じた。


(私、あのとき心を見られたんだ……。もしかして最初から全部??)


 心を読むという単語に悪寒が走り、露零ろあは自分の置かれている状況を今一度再認識する。


 今の状況は最初から仕組まれたものだったんじゃないか?

 本当に信用しても大丈夫なのか?


 短いながらも今までの出来事を根底から覆しかねない、最も重要な情報をシエナは口喧嘩の弾みでぽろっと口にしたのだ。

 そもそもは自身が理解し、相手は知らない状況を生み出せることから大っぴらにそのことを他人に話すべきではないはずだ。

 他者に真意を知られないことで得られるアドバンテージがあまりにも大きすぎるからだ。


 一つ例を挙げても自身は知り、相手は知らない状況を作り出せればあらゆる事柄でじゃんけんの後出しのようなことが可能になるだろう。


 良くも悪くも心紬みつの人間離れした才能を思わぬ形で知った露零ろあ

 すると突如、障子の外から発せられた妖艶で大人びた声が部屋全体に響き渡る。


「ちょっと待ち、もう戻ってるで」

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