第一章1話『露雫』

 かつて、世界はあらゆる生命いのちを拒絶した。

 生まれた生命いのちは刹那についえ、残る骸も土へと還った。

 ある時、そんな世界にことわりを変える程の力を有した生命いのちが産まれ落ちた。

 その者は後にと呼ばれ、万物ばんぶつもうは生まれるや否や、視界に広がる世界の凄惨さに憂いを帯びた声で呟いた。


「刹那の命、明日をも見れぬ徒桜あだざくら。残る骸は嗚呼、無情」


 この時、彼が目にした光景は一風吹けば、どこからともなく誕生誕生するがもう一風吹けば皮を失い白骨化し、さらにもう一風吹けばその白骨はまるでたんぽぽの種が飛んで行くかのように粉末状となって風と共に上空に舞い始めるというものだった。


 という概念を実感する間もなく生涯を終える薄命の数々、そんな彼らにいたく同情した万物ばんぶつもうはその身に宿ると呼ばれる力を世界、そして五つの生命いのちに吹き込むと、世界にと添え名を残し、その身を世界へ委ねるようにして深い眠りについた。


 後にその名が広く知られることとなるのだが、このとき万物ばんぶつもうが創ったとされる創造物の一つ、

 後世を生きる者はそれを『古代樹こだいじゅ』と呼ぶ。

 生い茂る木々の中、他とは一線を画すそれには古来より伝わる不可思議な伝承があった。


 ――、と。


 古代樹から滴り落ちた一雫ひとしずく、そこから今、新たに一つの生命いのちが誕生する。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 生まれ落ち、誕生した生命いのちの名は弓波露零ゆみなみろあ

 幼く華奢な少女の風貌は、背中まで伸びた透き通るような半透明の白い髪。

 年相応の幼く愛嬌ある顔立ちと、顔には似合わぬ知性の宿った水色の瞳。

 服装は白を基調としたこれといって特徴のない質素なもので、手にはフードのついた黒いマントを持っていた。


 生まれ落ちた露零ろあが産声代わりに上げた第一声は、少女が今置かれている状況から考えるとごく自然な言葉だった。


「ここから出ないと……」


 ここにいるべきじゃない。

 そう直感するのも無理はないだろう。

 生みの親同然の古代樹こだいじゅだが、そのじつを維持するためにを行う、万物ばんぶつもうによって作られた言わば維持装置のようなものだった。


 しかし、そんなことをたった今、生まれたばかりの露零ろあが知るはずもない。

 いや、露零ろあに限らず他の誰しも――。


 なぜこんなものが創られたのか? その答えはいくら歴史を遡ろうと、どこにも記されてはいない。

 ある者の見解では≪古代樹こだいじゅを中心に、三つ巴の形でくにがあることから古代樹こだいじゅこそがこの世界の中心だ≫。

 はたまた≪当時の世界は殺風景だったため、発展の意を込めて創られた創造物≫など様々な憶測が人々の間で飛び交っていたが、その全てを知るのは創造主であるしかいない。


 現在、露零ろあがいるのは程よく木が生い茂り、心地よい木漏れ日が差し込む比較的浅い場所なのだろう、森林のような場所だった。

 周辺には一本だけ明らかにスケールの違う太く、雲を突き抜けていそうな大樹がドン! とそびえ、その木を中心に三方向にそれぞれ流れる川がある。

 さらにその川に沿うように人工的な石畳が敷かれていて、クリアで色彩豊かな石畳それは木漏れ日に照らされて色鮮やかに輝いていた。


 露零ろあは(ここだけお魚さんがいる!)とそのうちの一つ、唯一魚が泳いでいる川に沿って歩き始める。

 チャポンと音を立てて跳ねる魚に一瞬で目が釘付けになる露零ろあは一切周りを見ない、迷子になるお決まりの流れを自ら作ってしまっていた。


 少女は跳ねるような軽い足取りでその魚を追いかけていき、しばらく歩いていると何やら足元に違和感を感じ、ふと目線を下に落とす。

 するとそこには人一人が通れる程度の石畳が敷かれていて、それは川に沿って続いていた。

 その人工的な石畳に気付いた少女は最初こそ浮かれ気分になるものの、歩いていくうちにどこか作為的なものを感じ始める。


「わぁ~、綺麗な石がいっぱいある! でも……自然にこうなったりしないよね?」


 露零ろあのことを傍から見る人には少女の単なる記憶喪失のように映るだろう。

 そんな心配も虚しく、少女の周辺には人っ子一人いないのだが。

 その時、前方から明るく品のある声が聞こえ、その声は息を切らせながら露零ろあの方に少しずつ近付いてくる。


「はぁ…はぁ……待ってくださーい」


「えっ、ひゃあ!?」


 声に気をとられていた露零ろあは近付いてくるもう一つの存在に気付くことができなかった。

 小動物の特徴でもある素早い動きを目視できず、接近を許した露零ろあは足に当たるこそばゆくやや不快感を伴う毛先の感触に少女は悲鳴にも似た驚きの声を上げる。

 その拍子に足元を見下ろすと、一匹の子猫が露零ろあの足元にすり寄っていた。


 子猫の特徴はクリーム色の毛並みに黒くつぶらな瞳を持つ和猫で、首元には真っ白なスカーフを巻いている。


「わぁ~~~~っ! 小さくて可愛い! あれ、首になにか巻いてる。さっきの声、もしかして飼い主さんかな?」


 そんなことを呟くも、すり寄る子猫に愛おしさと愛着を同時に抱いた露零ろあは飼い主と思しき人物はそっちのけで子猫の頭上に屈むと無造作にその頭を撫で始める。

 すると子猫はくすぐったいのかまるで水を弾くように首を激しく左右に振り、同時に首元からツンと鼻につく独特な匂いを漂わせた。


「はぁ…はぁ……。すみません、悲鳴のような声が聞こえたのですがお怪我はありませんか?」


 今度は至近距離から声が聞こえ、子猫に遅れて飼い主とおぼしき女性が一人、息を切らせながら屈み、子猫相手に夢中になっている少女の前までやって来る。

 彼女は一度深く深呼吸をし、息を整えると再び露零ろあに話し掛け、少女はこの世界でと会話を交わすこととなる。


「この子、いつもは勝手に飛び出したりしないのですが……」


「う、うん。少しびっくりしただけだから大丈夫だよ」


 露零ろあが立ち上がり、顔を上げると目の前には一人の女性がいた。

 彼女の風貌は色素の薄いがとても手入れの行き届いている綺麗な黒髪に灰色の瞳。

 編み込んだミディアムヘアのその髪は少女にはどこか大人びて見え、露零ろあは気恥ずかしさで頬に熱が籠るのを自覚する。

 そして服装は白を基調とした和袖の服に膝下まである丈の長いスカートで腰元には刀を携えており、単色で質素な服装がより彼女の魅力を際立たせていた。

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