御爛然
いなひ
プロローグ『不始発』
生まれ落ちるまでの命は脆く儚い。
穢れを知らない
少女もまた、ある者の干渉によってその運命は大きく変わることになるのだが今はまだ、誰も知る由もない。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
――――ふわふわり。
宙を舞うやわらかな雪が頬に触れ、彼女は『ハッ!』と我に返る。
意識の戻ったその女性は降雪の向こうに見える景色に脱帽し、さらには言葉をも失ってしまう。
彼女の心を一瞬にして奪った景色、その正体は雪が降り
しかしそこには一本の桜の木があり、その木からは淡い桃色の桜がひらひらと舞い落ちていた。
(雪を寄せ纏っているのか? いや、これは雪が桜を包み覆っている。しかし雪と桜の関係とは一体……)
彼女の目に映っていたのは舞い散る桜が雪を纏い、
生まれて初めて目にしたその美景は戦場に立ち続けた彼女の心にある感情を芽生えさせる。
いや、心の奥底に眠る感情を呼び起こしたと表現するほうが正確だろうか。
(まるで三層コーティングのチョコレートだな、それに初めての感覚だ。張り詰めていた心が解きほぐされていくような、しかし不快感は一切感じない)
人の手が加わっていない自然の美景は心の奥底に眠る感動の感情を容易く引き起こすとはよく言ったものだ。
現に今、彼女もその感情を引き起こされている。
だがしかし、平和や美景とは無縁の人生を歩んできた彼女は舞い散る桜を飛び交う鮮血と錯覚すると次第に表情を曇らせていく。
(私は
「――しかし後悔はない。歩みを止めることこそ同胞や切り伏せた者の意味を
彼女の名前はレーヴェ。
特徴の塊のような風貌だが、それでも強いて特徴を挙げれば背中まで伸びた銀色の長い髪に灰がかった赤い瞳。
それに加え、モデル並みの高身長とゆるく吊り上がった目つきも相まって一匹狼気質な近寄り難い雰囲気を放っていた。
しかしそれらの中でも特に目を引くのは雪国とは無縁そうな黒を基調とした中世風の軍服だろうか。
レーヴェが決意の言葉を口にすると次第に飛散する鮮血は舞い落ちる桜へと変わっていく。
彼女が再び絶佳に心を奪われていると舞い落ちる
すると
(命一つありはしない。ここは何だ? もとより命に執着など欠片もない。しかし命を投げ出すのはキメラと対峙した時と決めている)
彼女の目的は魔なる獣キメラを世界から死滅させることだった。
そのためならば後世を生きる者に惜しみなく助力するつもりでいた。
しかし失敗の仕方によっては即、詰みに直面するためレーヴェは状況を把握するべく歩き出す。
――――しかし。
情報がなければ推測も憶測も成り立たない。
世界と呼ばれるものには創造主の一部が反映されている。
かつて聞いた主君の言葉を念頭に置き、彼女はこの世界の数少ない情報を脳内で繋ぎ合わせていく。
(生ける命が存在しないのはおそらく命という概念が存在しないから。桜と雪が共存しているのは遅生まれを意味し、状況が変わるにはこの世界の大半を占める雪に何らかの変化があるはずだ)
と、この世界を分析していると先にレーヴェの方が身体に変調をきたす。
「はぁ…はぁ……」
脳内は問題なく機能している。
しかし身体の方は徐々に限界を迎えていた。
雪山を思わせる薄く凛と張り詰めた空気は彼女の体力を徐々に奪っていき、次第にレーヴェは息を弾ませる。
しかしそんなことは気にも留めずに歩き続けていると進行方向上に現れた
そのとき――――。
≪――して。私は……ろあ≫
か細く今にも消え入りそうな幼い声が脳内に聞こえ、レーヴェは声の主を探し辺りを見渡す。
しかし彼女の周辺には人っ子一人としておらず、今まで通ってきた道にも誰一人といなかったことから(
「ふっ、死以外はさして問題ない。それを知り得ただけでも大いに収穫ありだ」
レーヴェはバスも、その標識すらも見たことがない。
しかしそれよりも図らずして手に入れた自身の推測を裏付ける情報に喜びを感じているとまたもや、しかし今度はさっきとは違った異変を感じる。
「……っ!!」
突如、電気が走ったかのような頭痛がレーヴェを襲い、彼女は反射的に頭を手で押さえる。
が、瞬時に外的要因によるものだと認識し、何かに干渉されている可能性に気付いていく。
この頭痛は自己防衛によるものだと考えその原因を探る。
ただの頭痛で片付けるなら原因はわからなかっただろう。
しかし外的要因を前提にするとその答えは自ずと見えてくる。
(思考が消散している? それに伴って薄れ、消え入る記憶。まさか自我が消失しているのか?! 死して不滅の大義を据えろ! 無様な死に様を晒しはしない!!)
自身の全てを心に移し、加護を用いれば最悪の事態を免れることができる。
そう考えたレーヴェは決意を固め、軽く息を吸って瞳を閉じると大儀を胸中で唱える。
すると彼女の心は施錠音とともに完全に施錠され、外部からはおろか、自身にも開錠は不可能となる。
次の開眼でレーヴェの意識は完全に消失し、肉体だけがそこにはあった。
虚ろな瞳とその表情は
しばらくするとレーヴェの肉体は独りでに動き出し、まるで何かに引き寄せられるかのように標識の少し先にある整備の行き届いていない道路に向かって歩き出す。
憑き物でもいるかのような重たい足取りで歩く彼女の肉体は道路の端、白線辺りでピタっと足を止めると背後から一台のバスが通り過ぎ、彼女を追い抜いた少し先で停車し扉が開く。
通り過ぎたバスに追い付くため、後を追う形で動き出した彼女の肉体は乗車口まで辿り着くと本来ならば必要不可欠だろう乗車賃を払うことなく乗車する。
すると車内には制帽を目深に被った運転手を始め、人を
今の彼女を他の乗客の特徴に当てはめるなら、心砕けた
レーヴェの肉体はバスに乗り込むと意識のないままに最後列の窓際の席に座ると
そしてバスは女性一人を拾い乗せるとマフラーから白煙を噴出し、再び車道を走り出す。
・朽ちた木々が並び立つ荒野『
・羽降る無人街『
レーヴェが乗車して以降、バスは二つの駅を経由したがその際の
一方で硝子越しに外を眺めていた彼女の力なく、無機質なその瞳は過ぎ去る景色をただただ眺めるだけだった。
各駅一人ずつを拾い乗せ、走行を続けるバスは誰も降車させることなく終点まで辿り着く。
すると最後の
「次は終点『~~
次の瞬間、
光が消えた頃には彼女を含めた乗客全員、バスの中から姿を消していて、一人残された運転手は運転席を離れると後方に歩きながら一人ごとのように話し始める。
「皆様の新たな門出に携われたこと、大変嬉しく思います。ですが、いつか安らぎの旅を提供できることを心よりお待ちしています」
「――――それでは良い旅を――――」
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