第4章:心の揺らぎ

 星ヶ丘学園の日々は、アリスと愛にとって穏やかな幸せに満ちていた。二人の関係は日に日に深まり、互いの存在がかけがえのないものになっていった。しかし、その静かな日常に、やがて小さな波紋が広がり始める。


 秋も深まり、木々の葉が色づき始めたある日の午後。アリスと愛は、いつものように天文台で過ごしていた。


「ねえ、愛ちゃん」


 アリスが声をかけると、愛はゆっくりと顔を上げた。夕陽に照らされた愛の横顔に、アリスは思わずドキリとする。


「この前の実験、すごく上手くいったよね。もっと可能性を追求してみない?」


 アリスの目は、興奮で輝いていた。しかし、愛の表情には翳りが浮かんだ。


「でも……このままで、十分」


 愛の小さな声に、アリスは少し戸惑いを覚えた。


「どうして? 私たちの発見は、きっと多くの人の役に立つはずだよ」


 アリスは熱心に語りかける。しかし、愛は首を横に振った。


「私は……このままがいい。アリスと、二人だけで」


 その言葉に、アリスは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。愛の気持ちもわかる。でも、この発見の可能性を諦めるのは……。


 二人の間に、初めて分かり合えない空気が流れた。


 その夜、アリスは眠れずにいた。窓から見える満天の星空を眺めながら、愛のことを考える。愛の繊細な心、その儚さにも似た美しさ。それを大切にしたい。でも同時に、二人の発見の可能性も追求したい。


 翌日、教室でアリスは愛の姿を探した。しかし、愛の席は空っぽだった。


「紅葉さんは、今日は体調を崩して休みだそうよ」


 担任の先生がそう告げると、アリスは胸が痛んだ。昨日の会話が、愛を苦しめてしまったのだろうか。


 放課後、アリスは迷いながらも愛の寮を訪ねた。ノックの音が、静かな廊下に響く。


「愛ちゃん、私だよ。アリス」


 返事はない。しかし、ドアの向こうでかすかな気配を感じる。


「ごめんね、昨日は押し付けがましかった。愛ちゃんの気持ち、もっと考えるべきだった」


 アリスは、ドアに額を寄せてそっと語りかけた。


 しばらくの沈黙の後、かすかな足音が聞こえ、ドアがゆっくりと開いた。


 愛の姿が現れる。その目は、少し赤く腫れていた。


「アリス……ごめんね」


 愛の小さな声に、アリスは思わず抱きしめようとした。しかし、愛は少し身を引いた。


「私、アリスの夢の邪魔をしてる」


 愛のその言葉に、アリスは驚いた。


「違うよ! 愛ちゃんは私の夢そのものだよ」


 アリスは必死に言葉を紡ぐ。しかし、愛の表情は晴れない。


「でも……アリスには、もっと大きな可能性がある。私なんかと一緒にいたら……」


 愛の言葉が途切れる。アリスは、愛の肩に優しく手を置いた。


「愛ちゃん、聞いて。私にとって、あなたは何よりも大切な存在なんだ。研究のことは……そうだね、もう少しゆっくり考えよう」


 アリスの言葉に、愛はようやく顔を上げた。その瞳に、小さな希望の光が宿る。


 しかし、その時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。愛の両親だった。


「愛、話があるの」


 母親の声に、愛は身を強張らせた。アリスは、不安な予感を覚えた。


 愛の両親は、突然のまた転校の話を持ち出した。仕事の都合で転勤することになったという。


 その言葉を聞いた瞬間、アリスは世界が止まったように感じた。愛と離れ離れになる……その考えだけで、胸が張り裂けそうだった。


「いや……だ」


 愛が小さく呟いた。両親は驚いた顔で愛を見る。


「あなた、何か言った?」


 母親が尋ねる。愛は、震える声で答えた。


「私、ここに……いたい」


 その言葉に、両親は困惑の表情を浮かべた。アリスは、愛の勇気に心を打たれた。


「お願いします」


 アリスも、思わず口を開いた。


「愛ちゃんは、ここでとても頑張っています。友達もできて、毎日楽しく過ごしています。どうか、もう少し……」


 アリスの言葉に、両親は顔を見合わせた。


「そうね……少し考えてみましょう」


 母親がそう言うと、愛の表情が明るくなった。


 両親が去った後、愛はアリスの手をぎゅっと握った。


「ありがとう……アリス」


 その言葉に、アリスは胸が熱くなった。


 二人は、しばらくの間だけ離れることにした。それぞれの気持ちを整理するために。


 別れ際、アリスは自分のスカーフを愛に渡した。


「私の香りがついてるから、寂しくなったら、これを」


 愛は、頬を赤らめながらスカーフを受け取った。そして、首にかけていた星座のペンダントをアリスに手渡した。


「これ、アリスに……大切にして」


 アリスは、その小さなペンダントを握りしめた。


 別れの時、二人は言葉少なに見つめ合った。たとえ離れていても、心はつながっている。そう信じながら、アリスは愛に背を向けた。


 窓の外では、夕焼け空が広がっていた。まるで、二人の心を映すかのように、赤く染まっていく。


 アリスは、ペンダントを胸に当てた。愛の鼓動が、確かに伝わってくるような気がした。


「必ず、また一緒になろう」


 そっとつぶやきながら、アリスは新たな決意を胸に刻んだ。この試練を乗り越え、愛とともに歩んでいく未来を。そんな強い思いが、アリスの心を満たしていった。

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