第3章:共鳴する心

 朝日が寄宿舎の窓を淡く照らし始めた頃、アリスは目を覚ました。昨夜の出来事が夢ではなかったことを確かめるように、自分の手のひらをそっと見つめる。愛の温もりが、まだそこに残っているような気がした。


 髪をとかしながら、アリスは鏡に映る自分を見つめた。いつもの顔なのに、何か違う。瞳の奥に、新しい光が宿っているように感じる。


「よし、今日も頑張ろう」


 アリスは小さく呟いた。制服に袖を通しながら、今日一日の計画を立てる。授業の合間に愛と話す機会を作ること。そして放課後、また一緒に星を見ること。


 朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、アリスは寄宿舎を出た。朝露に濡れた草花の香りが、新鮮な朝の訪れを告げている。


 教室に入ると、アリスの目は自然と愛の席に向かった。しかし、そこには誰もいなかった。


「あれ?」


 アリスは首を傾げた。昨日と同じように、愛が窓際で佇んでいる姿を想像していたのに。


 授業が始まっても、愛は現れなかった。アリスは、不安と心配で胸が締め付けられるのを感じた。昨日の夜、何かあったのだろうか? 


 休み時間、アリスは勇気を出して担任の先生に尋ねてみた。


「先生、紅葉さんは今日お休みなんですか?」


 先生は少し困ったような表情を浮かべた。


「ああ、紅葉さんね。体調を崩したそうよ。無理をさせないように、としばらくは自宅で療養するそうだわ」


 アリスは胸が痛んだ。昨日の夜、一緒に過ごした時間が愛にとって負担だったのだろうか? 自分のせいで愛が具合を悪くしたのではないかという思いが、アリスの心を重くした。


 その日の授業中、アリスは何度も愛の空席を見つめていた。教科書のページをめくる音、チョークの走る音。すべてが、愛の不在を際立たせているようだった。


 放課後、アリスは迷わず天文台へと向かった。昨夜と同じ場所に立ち、夕暮れの空を見上げる。しかし、今日は一人。


「愛ちゃん……大丈夫かな」


 アリスはつぶやいた。風に乗って、その言葉が愛に届けばいいのに。


 ふと、アリスはあることを思いついた。愛の作った機械。あの小さな装置なら、きっと愛の気持ちを理解する手がかりになるはずだ。


 アリスは決意を固めた。自分も、愛の心の声を聞き取れる何かを作ろう。そうすれば、言葉を交わさなくても、愛の気持ちがわかるかもしれない。


 その夜、アリスは寝る間も惜しんで作業に没頭した。電子工作の本を片手に、部品を組み立てていく。何度も失敗を繰り返しながらも、諦めずに挑戦し続けた。


 夜が明ける頃、ようやく一つの形になった。それは、愛の機械ほど洗練されてはいないが、確かに電波を受信できる装置だった。


 アリスは、出来上がった機械を胸に抱きしめた。これで、愛の心音が聞こえるかもしれない。その思いだけで、胸がいっぱいになる。


 しかし、学校に行っても愛の姿はなかった。アリスは放課後、勇気を出して愛の寮の部屋を訪ねてみた。


 ノックの音が、静かな廊下に響く。


「愛ちゃん、私だよ。アリス」


 返事はない。しかし、ドアの向こうで微かな気配を感じる。


「具合が悪いって聞いたの。心配だから来たんだ。……もし良かったら、この機械を受け取ってほしいな」


 アリスは自作の機械をそっとドアの前に置いた。


「これ、愛ちゃんの機械みたいに上手くはないけど……私の心音を伝えられたらいいなって思って作ったの。愛ちゃんの声が聞きたくて……でも、無理しないでね。ゆっくり休んで」


 アリスは深呼吸をして、ゆっくりとその場を離れた。振り返ると、ドアの隙間から細い指が伸び、機械を引き込むのが見えた。


 その夜、アリスは自分の部屋で星空を見上げながら、愛のことを考えていた。すると突然、手元の機械が小さな音を立て始めた。


 アリスは息を呑んだ。それは、まるで愛の心音のようだった。


 微かだけれど、確かな音。それは、愛からのメッセージのように思えた。


「聞こえたよ、愛ちゃん。私にも、あなたの気持ちが伝わったよ」


 アリスはつぶやいた。窓の外の星空が、いつもより明るく輝いて見えた。



 翌朝、アリスは早めに目覚めた。窓から差し込む柔らかな光が、新しい一日の始まりを告げている。ベッドサイドに置いた自作の機械を見つめ、アリスは昨夜聞こえてきた音を思い出した。


「きっと、愛ちゃんからのメッセージだったんだ」


 そう信じたい気持ちと、単なる偶然だったのではないかという不安が、アリスの心の中でせめぎ合う。


 制服に袖を通しながら、アリスは決意を固めた。今日こそ、愛と直接会って話をしよう。たとえ言葉を交わせなくても、ただそばにいるだけでいい。


 朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、アリスは寄宿舎を出た。校舎に向かう道すがら、木々のざわめきに耳を傾ける。まるで自然が、アリスの背中を押してくれているかのようだった。


 教室に入ると、アリスの目は自然と愛の席に向かった。そこには……。


「愛ちゃん!」


 思わず声が出た。愛が、静かに窓際の席に座っていたのだ。薄紫の髪が朝日に照らされ、儚げな美しさを放っている。


 愛は、アリスの声に気づいて顔を上げた。その大きな瞳に、昨日までなかった何かが宿っているように見えた。


 アリスは、自分の席に荷物を置くと、ゆっくりと愛の元へ歩み寄った。


「おはよう、愛ちゃん。具合は良くなった?」


 愛はうなずき、小さな声で答えた。


「うん……ありがとう」


 その言葉に、アリスは胸が熱くなるのを感じた。愛が、自分の言葉で応えてくれたのだ。


「あのね、昨日の機械……」


 アリスが言いかけたとき、教室のドアが開き、担任の先生が入ってきた。授業が始まる。アリスは、名残惜しそうに自分の席に戻った。


 授業中、アリスは何度も愛の方を見た。愛は真剣に授業に集中している。その横顔は、まるで一幅の絵のように美しかった。


 昼休み、アリスは勇気を出して愛に声をかけた。


「一緒にお昼食べない?」


 愛は少し驚いたような表情を浮かべたが、小さくうなずいた。二人は学校の裏庭へと向かった。


 木漏れ日が差し込む静かな場所。アリスと愛は、ベンチに腰掛けた。


「ねえ、愛ちゃん。昨日の夜、私の機械から音が聞こえたの」


 アリスは恥ずかしそうに告げた。愛は驚いた表情を浮かべ、そっとポケットから自分の機械を取り出した。


「私も……聞こえた」


 愛の声は、風に乗って消えそうなほど小さかった。しかし、その言葉はアリスの心に確かに届いた。


「じゃあ、私たちの心、つながったってこと?」


 アリスの問いかけに、愛は小さくうなずいた。そのとき、愛の頬に一筋の涙が流れた。


「どうしたの?」


 アリスは慌てて愛の肩に手を置いた。愛は顔を上げ、涙で潤んだ瞳でアリスを見つめた。


「嬉しくて……初めて、誰かと……」


 言葉にならない想いが、愛の表情に溢れている。アリスは、思わず愛を抱きしめていた。


「私も嬉しいよ、愛ちゃん。これからもずっと、一緒にいようね」


 二人の周りを、優しい風が包み込む。木々のざわめきが、二人の心音のように聞こえた。


 放課後、アリスと愛は天文台へと向かった。夕暮れの空が、オレンジ色に染まり始めている。


「ねえ、愛ちゃん。私たちの心、星座みたいだと思わない?」


 アリスがそう言うと、愛は不思議そうな顔をした。


「それぞれの星は離れているけど、線で結ばれているでしょ。私たちも、離れていても心でつながっているの」


 愛の目が、理解に満ちて輝いた。


「星座……私たちの」


 愛がつぶやいた言葉に、アリスは頷いた。


 二人は肩を寄せ合い、夜空を見上げた。星々が、ゆっくりと姿を現し始める。


 アリスは、愛の手をそっと握った。愛も、その手を握り返す。


 言葉を交わさなくても、二人の心は確かに通じ合っていた。それは、星々が奏でる静かな音楽のようだった。


 アリスと愛は、これからも一緒に成長していくだろう。時には躓き、時には迷うかもしれない。でも、二人の心が響き合う限り、どんな困難も乗り越えられるはずだ。


 星空の下、アリスと愛の新しい物語が、静かに、しかし確かに始まろうとしていた。

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