第6話 標準装備

 困った。非常に困った。

 「白い結婚」で乗り切った初夜から2週間。


 今日もわたしは残業だ。

 もちろん、遅くなることはセドリック様にも家令のエムアルさん達にも伝えている。

 それなのにわたしを待っているのだ。セドリック様が。


 時計を見るとまだ20時。あともう少し仕事をしていたいのに、わたしは机に広がる書類をババっと片付けて、大急ぎで裏門へと全速力で走る。

 そこにあるベンチでセドリック様が待っているのだ。


 今夜も月明りの中で、無表情で姿勢正しく本を読んでいるセドリック様が待っていた。


「お待たせしました。だいぶ、お待たせしてしまったのでは?」

「いや、大丈夫だ。俺もさっきまで仕事をしていた」

 メガネをクイッとしながら、目線をそらされた。

 もしや、結構お待たせをしてしまって怒っておられるのだろうか?

 セドリック様のことだから、言葉通りこの時間まで仕事をしていたと信じたいけど。

 これでも、セドリック様をお待たせしているとなると気が気でなくて、最近は仕事を途中でこのように強制終了しているんだけど、なにか気に障ったかな?


 ここから家までたったの徒歩10分の距離なのに、夜道は危険だからと結婚後の出勤以来ずっとこの「一緒に帰る」が定着しつつある。

 箱入り娘だったらともかく、わたしは寮暮らしでそうではないし、自分で自分を守れるように護身術の知識も実力もそこそこあるのに。


「1週間後に同盟国のセイサラ王国の第2殿下が国賓として来られる準備がこれから大詰めですので、明日からはもう少し遅くなる予定です。ですから…」

 明日からは待たなくていいと言いたいのに。

 

「わかった。では明日は20時半の待ち合わせでどうだ?」


 食い気味にセドリック様から提案がくる。

 そうじゃない。先に帰ってください。待たれていると仕事に集中できないんです。

 この一緒に夫婦で帰るという儀式は、同じ職場で働く共働き夫婦の標準装備なの?

 人と一緒に帰るという行為に慣れていないわたしは毎日、セドリック様と家路に向かう会話の話題を考えるだけでいっぱいいっぱいなんですが。

 先に屋敷に帰って、夕ごはんでも食べていてほしい!

 と叫びたくなるが、喉まで出かかっている言葉をグッと飲み込む。

 わたしは結婚前のようになにも気にせず思う存分、区切りのいいところまで仕事をしたいのに。

 そして、一人で夜道をぶらぶらと月を眺めながら気分転換しながら帰りたいのだ。

 セドリック様もそうじゃなの?


「セドリック様、わたしは何時に終わるかわかりませんので先にお帰りになって休まれてください。セドリック様も連日遅くまで仕事をされてお疲れでしょう?」

 彼の体調を気遣っているかのような善人のような言葉を吐いて、「先に帰ってくれ~」と念を飛ばす。

「危ないから待っているよ」

「………」

 セドリック様には、全然わたしの念が通じない。すごい良い笑顔でわたしの念を弾き飛ばされてしまった。


 帰路は仕事であった今日の出来事をまるで業務報告のようにお互いに代わる代わる話し、なんとか成立する会話。夫婦だけどふたりきりではすごく緊張をする。

 10分の距離が恐ろしく遠く感じる。

 

 屋敷に戻れば、家令のエムアルさんとメイドのリオさんがすぐに夕飯の準備をしてくれ、温かいごはんが食べられる。

 ホッとする瞬間だ。

 4人での会話は楽しい。強調する訳ではないが4人なら。

 寮生活の時は、冷えたごはんが並べられているだけだったので、夕ご飯を食べずに自分の部屋に直行することも多かった。

 疲れているはずなのに笑えるのだから不思議なものだ。

 寮生活ではなかった温かい環境。

 これはこれで充実していて、不満はないのだけど。


「明日は7時で良いだろうか?」

 彼はわたしが早く出勤していることを以前から知っていたようだった。それもそうか。わたしも彼が早く出勤をしているのを知っているのだから。

 朝が早い寮の食堂は人が少なく、見られていたのね。

 

「はい。7時に食堂で」

 そして、朝も一緒に王城に出勤をする。

 共働き夫婦の「行き帰り一緒」の標準装備、恐るべし!

 

 これではまるで仲の良い夫婦みたいじゃないか!

 わたしは影の薄い妻を目指しているのに。

 それに1年後に離婚するなら、いまから周りに不仲だと思わせておいたほうがセドリック様には好都合なのに困ったものだ。


「ところでシェリーは1週間後にあるセイサラ王国の第2殿下の歓迎レセプションは仕事だよね?」

「もちろんです。歓迎レセプションは儀典室の仕事ですから。第2殿下が我が国に滞在中は帰宅が夜中になると思います。セドリック様は参加予定ではなかったですよね。たしか歓迎レセプションにはお義父さまとお義母様が出席される予定でしたよね?」

「そうだったんだが今日連絡があって、母が体調を崩したらしく欠席するか迷っているらしい」

 

 先日の結婚式でお会いした時は、お義母様はわたしの手を取って率先して意気揚々と侯爵家の親戚関係をご紹介してくださったことが思い出された。

 1年後の離婚計画を考えると、あんまり親戚関係に顔を売りたくなかったんだけど、お義母様の善意を無下にはできなかったのよね。

 お義母様、あの時はすごくお元気だったけど、結婚式で張り切りすぎて疲れがドッと出てしまわれたのね。

 

「お義母様の容態は大丈夫なのですか?同盟国のセイサラ王国の第2殿下は私達と年齢も一緒ぐらいのお若い方ですので、お義母様が無理を押して出席されるよりもセドリック様のご都合が良ければセドリック様が出席されるほうが良いかと思われます」

 セドリック様の表情が明るくなり頷かれた。

 

「ありがとう。母は少し発熱しているだけだ。すぐに良くなるよ。なるほど。そうか、私が出席したほうがいいのだな」

「儀典室視点で言えば、土壇場での欠席は極力ご遠慮願いたいですしね」

 なるほどと納得されたご様子。

 こんなことでお役に立てて良かった。


「お義父様とお義母様が揃って欠席される場合は、セドリック様はどなたかをエスコートされてくださいね。わたしは仕事ですので、わたしへのお気遣いは無用ですよ」

「シェリーは私が他の女性をエスコートしても許せるのか?」

 

(へっ?)

 セドリック様が真顔でする発言に思わずポカンとする。

 セドリック様がメガネをクイッとして、掛け直すがその奥の目が笑ってない。怖っ。

 

「許すも許さないもわたしは当日は仕事ですので物理的に出席は無理ですよ。セドリック様がエスコートすることを選ばれた素敵な女性に意地悪なんてしませんから、安心してください」

「…そうか」

 ははは…と適当に乾いた笑いをセドリック様がされた。


「いろいろ、わかった」

 そう聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くとセドリック様が急に無表情となった。


 なにを心配しているんだろう。

 わたしって、そんなに意地悪しそうな人に見えるのかしら?むしろ、1年後にわたしと離婚した後の再婚相手をいまから探してもらっても構わないのですが。


 急に言葉数が減ったセドリック様にわたしはなにか悪いことを言ってしまったのかしら?とも思い、チラッと家令のエムアル様を見るとなぜか苦笑をしている。

 この会話のどこに笑うとこがあったかしら?

 


 それからはお互い、その歓迎レセプションの話をするこもなく当日となった。

 もちろん、当日を迎えるまで仕事はいつも通りに行きも帰りもずっと一緒っだったけど、始終仕事の話をしていた。

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